⽇本に“超⾼級車メーカー”がないのはどうして?

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トヨタや⽇産、ホンダ、三菱、マツダ、スバルにスズキなど、⽇本には⾃動⾞メーカーがいくつもあります。しかし、世界的⾃動⾞メーカーが多数存在しながら、どれも⼤衆⾞メーカーであり、超⾼級車メーカーは存在しません。

では、なぜ⽇本にはヨーロッパにあるような、ロールスロイスやフェラーリなどの超⾼級メーカーがないのでしょうか。その理由の⼀つは、⽇本の⾃動⾞産業の出発地点にあります。

⽇本が初めて量産モデルの⾃動⾞を⽣産した時と、⾃動⾞発祥の地であるヨーロッパでは、ターゲットとしている顧客層が異なっていました。そのターゲットの違いが⾃動⾞ブランドとしての違いに発展していったのです。

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ヨーロッパの最初の顧客層は、王室などの貴族でした。⾃動⾞という新しい⾼級な乗り物を最初に使⽤できる層は上流階層だったため、ヨーロッパの⾃動⾞メーカーは原点から上流階級をターゲットとしていました。 

⼀⽅、⽇本の⾃動⾞産業はヨーロッパと⽐べて遅れていました。トヨタが最初の量産モデルであるトヨタAA型の⽣産を開始したのは、1936年のこと。その際は個⼈所有というよりもハイヤー、タクシーといったフリートユーザーがターゲットでした。

そのため、⽇本の上流階級が⾃動⾞を求めた時代に、⽇本にはそれに相応しい⾃動⾞メーカーはなく、輸⼊車でしか⾼級⾞を⼿に⼊れることができなかったのです。

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実際、⼤正天皇の即位時(1912年)に最初の御料⾞として使われたのは、⾃動⾞先進国であるイギリスから輸⼊されたデイムラーでした。その後も、ロールスロイスやメルセデス・ベンツなどの輸⼊⾞が御料⾞として使⽤されました。

国内の輸入車販売店の担当者によると、上記のような背景から日本では「輸入車=高級車」と言ったイメージが確立されたと言います。

それは、現代の自動車メーカーのブランドイメージにも根付いており、ステータス性を求めて国産ではなく輸入車を購入するユーザーの割合が高い傾向にあると話します。

このような背景も含め、⽇本の⾃動⾞メーカーは貴族階級をターゲットとするのではなく、⼤衆をターゲットとした⾃動⾞メーカーへと成⻑していきました。

⽇本の⾃動⾞メーカーのブランドイメージはどのように作られたのか

超⾼級⾞を販売していくには、商品価値として重要になっているブランドイメージが必要です。ブランドイメージと相違のある⾃動⾞は、市場に受け⼊れられづらい点も挙げられます。⽇本の⾃動⾞メーカーはそのブランドイメージを、どのように作っていったのでしょうか。

⽇本の国産⾞は欧⽶の技術をもとに製造されていましたが、1960年代から⽇本独⾃の⾞両が開発されるようになりました。その結果、環境に配慮したエンジンの導⼊や、低燃費を謳った⼩型⾞が国内で流通するようになったのです。

⽇本の⾃動⾞が世界で注⽬されるようになったのはこの頃でした。

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さらに、1973年に発⽣したオイルショックが追い⾵となり、⽇本⾞の低燃費、低価格、耐久性が評価され、⼩型⾞として⽣活ツールとして海外で⼈気が⾼まっていきました。海外でも⽇本⾞が普及し、⽇本の⾃動⾞メーカーが世界的な地位を獲得していきました。

こうして⽇本の⾃動⾞メーカーは、低燃費で低価格、耐久性の優れた実⽤⾞としてのブランドイメージを確⽴していったのです。

このブランドイメージを刷新するために、レクサス、インフィニティ、アキュラなどの上級ブランドが⽴ち上げられました。しかし、これらはあくまでもベースとなるトヨタ、日産、ホンダのイメージが根づいています。

レクサス 新型RX

一方で、超⾼級⾞並の性能を⾼級⾞の価格で手に入れることができることから、レクサス、インフィニティ、アキュラといったブランドは、⼀定の⼈気を得ることができました。そういった意味では、⾼級⾞としてのブランドを確⽴することができたといえるでしょう。

このようにして⽇本の⾃動⾞メーカーは、超⾼級⾞としてのブランドイメージを作らずとも、グローバルな⾃動⾞販売に成功していったのです。