就任7年目の藤原正和監督が指導する中央大は、今季の駅伝で復活の兆しを見せている【写真:中央大学陸上競技部】

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箱根駅伝「ダークホース校の指導論」、中央大学・藤原正和監督インタビュー第1回

 今年度の大学駅伝シーズンも佳境を迎え、毎年1月2日と3日に行われる正月の風物詩、箱根駅伝の開催が近づいている。10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝で2冠を達成した駒澤大を止めるのはどこか――。「THE ANSWER」では、勢いに乗る“ダークホース校”の監督に注目。今回は箱根駅伝で歴代最多の総合優勝14回を誇る名門・中央大学で、就任7年目を迎えた藤原正和監督だ。前回大会で総合6位に入り、10年ぶりのシード権を獲得したが、近年低迷していたチームをどのように立て直してきたのか。第1回では2016年の就任とともに様々な改革を断行した、激動の監督1年目を振り返った。(取材・文=佐藤 俊)

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 2023年の箱根駅伝で面白い存在になっているのが中央大学だ。前回の箱根駅伝では6位に入ってシード権を獲得し、今シーズンは地に足をつけた強化で選手が成長。出雲駅伝は3位、全日本大学駅伝は7位と地力を高め、優勝候補の駒澤大や青山学院大に迫る勢いだ。

 その中央大を指揮するのが、藤原正和監督である。2016年に陸上競技部の駅伝監督に就任して以来、今年で7年目。名門の立て直しを図ってきた“藤原流”とも言える強化育成は、どのようなものだったのだろうか。

――2016年、監督に就任した当時のチームは、どのように見えていましたか。

「駅伝監督就任会見の日、3年生の代表と1、2年生の代表がそれぞれ『話を聞いて下さい』と言ってきました。3年生と1、2年生が完全にチーム内で分かれていたんです。3年生のある選手がテストの点数が悪かったことを茶化してSNSにあげてしまい、それ以来、上級生の自覚を促すべくチームを2つに分けて練習させていたようで、上級生は練習もほとんどやっていなかった状態でした。『この戦力のなか、練習もできていないとは……』と思ったのですが、すぐに新人も含めて全学年で合宿をしました。その時は新しい監督はどんな人なのだろうという緊張感と、僕らは変わりたいという欲求が強かったせいか、すごく良い練習ができたんです。これだけ良い練習ができるのに、なぜこんなに弱いのだろうと思っていました(苦笑)」

――春合宿から通常の練習に戻った時も順調だったのですか。

「一生懸命やったのは、合宿だけだろうなという読みがあったので、普段の練習を見てみようと思って、こっそり何回か見に行ったんです。そうしたら案の定、ダラダラとやっていました。これが本当の姿だな、かなり厳しいスタートになるなと思いましたね」

――当時の学生のレベルは、どのくらいだったのですか。

「1万メートルのタイムで、28分、29分台のタイムを持っていたのが3人だけです。その年の全日本大学駅伝の予選会20チーム中17番でした。練習は、朝ジョグもろくにできなかったですし、中には朝ジョグをせずにすぐに帰寮する子もいました。寮もグラウンドも汚くて、マネージャーや練習が空いている子に手伝ってもらって寮の清掃を3、4か月間継続してやりましたね。挨拶をする、掃除をする、時間を守るというのを徹底させました。1年目はほとんど陸上の指導ができず、生活面のことばかり言って終わった感じです」

就任当時の4年生は「変化を求める思考が停止していた」

 1年目、藤原監督は大胆な改革に着手した。上級生からキャプテンを選出せず、1年生の舟津彰馬に主将を任せたのだ。大学内外から異論反論が続出し、藤原監督は厳しい声の矢面に立たされたが、やり方を曲げることはしなかった。

――なぜ、1年生をキャプテンに置いたのですか。

「当時の4年生は今までのやり方で予選会を通って箱根を走ってきたので、変化を求める思考が停止していたんです。だから、このままじゃやばいよ、変わらないとダメだよ、という話をしてもピンとこない。今までのやり方でなんとかなってきたし、きっと誰かが走ってくれる、という思考で理解できないんです。自分が責任を取りたくない、失敗したくないという気持ちもあったんでしょうね。『監督が決めてください』と言うんですが、私からしたら『いや、君たちのチームだろ』と。何かを劇的に変えていかないといけない。それには何色にも染まっていない1年生をキャプテンに据えたほうがいいと思ったんです。いろんな批判を受けましたけど、そのくらいチームとして追い込まれた状況で、変化を起こすにはそれしか打つ手がなかったんです」

――舟津選手をキャプテンに置いて、チームは機能したのですか。

「舟津自身は一生懸命にやってくれましたが、チーム全体としては1年生主将への反発は大きかったですね。それでも夏合宿をなんとか形にしていきましたが、箱根の予選会は11番に終わり、大学として87大会ぶりに出場権を失ったんですけど、私とコーチの花田(俊輔)の間では、バトンを受け取った状況から考えればよく11番になれたなっていうのが正直な気持ちでした。これは中央大学の歴史の中で言ってはいけない言葉ですし、頑張った彼らを褒めてもあげられないんですけどね。最初は変化を望まなかった4年生が、予選会ではよく頑張ってくれた。彼らの努力は凄かったなと今改めて思います」

――1年目は、選手とかなり衝突したのですか。

「衝突といいますか、言い合うことがわりとありましたね。夏合宿で16キロ走をした時、当時4年生の相馬(一生)と翌年に入学予定の畝(拓夢)以外は全然できなかったんです。その時、『予選会を突破しないといけないチームが高校生にもやれた練習ができないって、さすがにこれはないよ』と話をした後、4年生の1人が陸上部のLINEで『今日のは練習メニューが悪かった』と言ってきたんです。それは違うだろと思って、『こういう意味でやっていると説明したよね。できなかったのはなぜだと思っているの?』と、LINEで2時間延々とやりとりをしました。このケンカ、いつ終わるんだってみんな思っていたようです(苦笑)」

――その結果、どうなったのですか。

「彼や前日の練習をこなせなかった選手には練習の意図を納得してもらい、翌日に1キロ10本をやりました。そうしたら、それはできたんですよ。『できるじゃん、なんで昨日やらないの? できる準備をしようよ、昨日が予選会だったら落ちているんだよ』と話をして、みんなに練習の意図や力を出し切ることの大切さを説きました」

どんな批判を受けても「やり遂げる覚悟があった」

――学生たちはその言葉を素直に聞いていたのですか。

「素直に聞いていた子もいますし、反発心を持って、でも何も言ってこない子もいました。まだ、意見を出してきた彼のほうが良かったですし、予選会も頑張ってくれた。その頃は寮に住み込んでいたのですが、夜中に学生が来て、『ちょっと話を聞いてほしいんですけど』というのも多々ありました。やっぱり上手くいっていないチームだと、選手もストレスを感じて負の感情を持ってしまう。それが1年間続いたので、本当にしんどかった。今もう1回、あの1年目をやれと言われても絶対に無理ですね」

――当時の藤原監督を支えていたものは、なんだったのでしょうか。

「やはり使命感でしょうか。ここまで長い時間をかけて右肩下がりできたチームですから、そう簡単に底を打って浮上はしないだろうと考えていたのと、私がここで踏ん張って立て直すことができなかったら中央大学は終わってしまう。そんな覚悟を持って入職したので、どんな批判を受けてもやり遂げるんだと今でも毎日思っていますよ。批判を浴びるのは、良くも悪くも選手時代に慣れていたので、それでなんとかやっていけてるんじゃないかなと思います」

藤原 正和
1981年生まれ、兵庫県出身。現役時代は中央大の中心選手として箱根駅伝などで活躍。2001年ユニバーシアード北京大会の男子ハーフマラソンで金メダルを獲得した。03年のびわ湖毎日マラソンでは日本人トップの3位入賞、2時間08分12秒のタイムは初マラソン日本最高記録とマラソン日本学生最高記録となっている。卒業後はホンダに入社。世界陸上の男子マラソンに2度出場するなどの実績を残し、16年に現役を引退すると中央大の駅伝監督に就任した。同年の箱根駅伝出場を逃すなど苦しい時も過ごしたが、着実にチームを強化。今年度は3大駅伝にフル参戦し、出雲駅伝3位、全日本大学駅伝7位の成績を引っ提げて箱根路に挑む。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。