SNSで多くのフォロワーを集める「インフルエンサー」の発信する情報は、はたして信頼に足るものなのか。ノンフィクション作家の吉川ばんびさんは「インフルエンサーの中には、リスクには一切触れずに極端な情報を発信して私腹を肥やす人もいる。そうした情報をうのみにするのは危険だ」という――。
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■誰しも貧困の沼に引きずり込まれる可能性がある

少し前に、大原扁理『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版)という本がYouTube番組「中田敦彦のYouTube大学」で紹介され、話題を集めた。

動画では中田敦彦氏が「いかに働かずに自由に生きるか」を熱弁し、週に2日だけ仕事をして、年収90万円で東京(多摩)生活をしている大原扁理氏の生き方をとにかく絶賛していた。

この動画で私が問題だと感じたのは、視聴者に「早くマインドコントロールから解き放たれて、こっち側(大原扁理氏・中田敦彦氏がいるほう)へ来い」と執拗(しつよう)に訴えかけ、誘導していた点である。

昨年4月に、私は『年収100万円で生きる 格差都市・東京の肉声』(扶桑社新書)という本を刊行した。

本書では実際に東京で困窮している16人(多くが年収100万円ほどで生活している)に取材をしているが、彼ら彼女らは先に紹介したような「ハッピー」な生活からは程遠く、さまざまな事情で安定した収入を得ることができずに、日々食いつなぐことすら危うい状況にある。

居住を禁止されているトランクルーム(貸し倉庫)で寝泊まりしている男性は、空調もなく物音を立てることもできないので、夏は地獄のような暑さの中、熱中症に怯えながら膝を畳んで眠り、冬は寒さに凍えながら、気配を殺して毎日を過ごす。自分の他にもおそらく何人か住人がいて、ときどき他のブースから人の気配を感じることもあるという。また、男性のスペースに盗みに入ろうとする者もおり、中にいた男性は必死でドアが開かないように押さえつけたこともあった。

たとえ今は若くて健康であっても、事故や病気など、突然何らかの理由で心身を壊して仕事ができなくなったり、家賃が支払えずにアパートを追い出されてしまったりすると、転落するのは一瞬のことで、「元の生活」には戻れなくなる。

終身雇用制度が崩壊しはじめた現代の日本はまさに「一寸先は闇」であり、よほどの資産家か、富裕層の家庭に生まれたなど「実家が太い」と言われる人々でないかぎり、誰しも貧困の沼に引きずり込まれる可能性があることをほとんどの人は知らない。

■ハッピーライフというより社会からの孤立

『年収90万円で東京ハッピーライフ』の動画を視聴したとき、私の頭には「文化的貧困」という言葉が真っ先に浮かんだ。

週に2日介護の仕事をして、多摩で駅から徒歩25分の5畳ワンルームに住み、金を使わないために友人とは会わず、娯楽は図書館と散歩、食費は1日300円までで、基本的には玄米と味噌汁、「たまに」漬物やサバを食べる。これだけでは、成人に必要な1日あたりの栄養素には到底届かないことは明らかだ。栄養失調から、いつ病気になってもおかしくない。

※実際の本では「だいたい朝は食パン、昼は麺類、夜は玄米とお味噌汁に漬物、季節の常備菜をいつも1種類用意しておく! で、たまに外食とか出来合いのもの」と書かれているため、中田敦彦氏の動画では食事内容の一部を切り取って強調したものであることを申し添えたい。また、著者の大原扁理氏は「ただ、個人差は絶対にあると思います。何度も言いますけど、わたしに粗食が合っているからって、万人に合うとは限りません」と読者に注意を促しているが、中田敦彦氏は動画内でこれらに一切触れていない。

もはやこれはハッピーライフというより、ほとんど社会からの「孤立」である。憲法の定める「健康で文化的な最低限度の生活」とはほど遠い。

YouTubeで登録者数400万人を超えるモンスター級インフルエンサーが、社会とのつながりを絶って孤立化することを声高にすすめ、生活保護の受給要件(都内・単身者世帯の場合)を大きく下回る生活を後押ししている姿は、あまりにも恐ろしいものだった。

■貧困生活を後悔せずに続けられるか

もしもこの『ハッピーライフ』の話に感化され、今の仕事や生活に限界を感じていて「楽をして生活したい」「仕事を最低限度に抑えて自分の時間を作りたい」と考えた人々が、強い求心力を持つインフルエンサーにそそのかされて安定した職を手放し、あるいは就職活動をやめ、実際に年収90万円生活をスタートしたとする。

果たして毎日玄米と味噌汁しか食べられず、「健康で文化的な最低限度」のレベルにすら満たない貧困生活を、後悔せずに「続けたい」と思える人がどれだけいるだろうか。外界との関わりを遮断し、孤独に身を投じ、経済的な不安を抱えながら、老後までそんな生活を送りたいと思うだろうか。

この『ハッピーライフ』の恐ろしいところは、本人が「年収90万円生活から脱出したい」と思ったとき、元どおりの生活を取り戻せる保証がどこにもないことだ。

先述したとおり、もともとよほど実家が裕福であるか、資産を持っているか、あるいは大原さんのように「年収90万円生活を自分で望んで、あらかじめ準備をして、生活費を切り詰める気力がある状態から始める人」ではないかぎり、東京で年収90万円生活をするのは現実的には非常に厳しい。税金の支払い、賃貸物件の更新料、あるいは予測できない怪我や病気など、定期的にまとまった出費がかかることも考慮して蓄えをしなくてはならないが、年収90万円、1カ月7万5000円の生活では、貯蓄をする余裕はほとんどない。

写真=iStock.com/Stas_V
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■一度今の職を手放したら、元に戻れる保証はない

つまり常に経済的に困窮した状況で生きることになるが、そこから再び生活レベルを上げるのは容易なことではない。日本では退職してからの空白の期間、いわゆる「ブランク」に寛容であるとは言えず、選考の際には、ブランクに対して何らかの「正当な理由」を求められることが多い。これまで話を聞いた人々の中には、再就職を希望しているにもかかわらず仕事が見つからず、雇用が安定しない派遣労働や日雇いの仕事以外の選択肢がないケースが多く見られた。

運良くすぐに安定した収入を得られる仕事に就くことができればいいが、そうできない可能性も大いにある以上、『年収90万円で東京ハッピーライフ』を実践するうえで「やってみて厳しければまた就職すればいい」と考えるのは、あまりにも甘い考えであると言わざるを得ない。

さらに、今はいくら若くて健康であっても、何らかの病気や怪我に見舞われると、たちまち収入は途絶えてしまう。個人的には、今の仕事で疲弊しているなどの事情があるなら退職して静養するなり転職するなりした方がいいと思っているが、「インフルエンサーが言っていたから」今の職や生活を手放すのであれば、あり地獄に自ら身を投じにいくようなものだと思う。

■無責任に扇動するインフルエンサー

私は以前、オンラインサロンが一大ブームになっていた時期に、一部のインフルエンサーたちが「大学なんか行かずにオンラインサロンに入れ」「“社畜”をやめてブログで生きていけ」と扇動していたのを批判したことがある。

すべてのオンラインサロンが悪、というわけではもちろんない。しかし当時のブームは見ているかぎり異様な光景であり、インフルエンサーたちの発信に熱狂し、真に受けてしまった結果、実際に大学や仕事を辞めた人も存在した。そうした扇動を行った人々は「大学や仕事を辞める決心」を「いいぞいいぞ」と後押しこそすれど、今彼ら彼女らが身を置いている環境を捨てるリスクを説明することも、うまくいかなかったときにどうすべきかを一緒に考えることも、責任を負うこともない。

新興宗教やネットワークビジネスなどでは、信者が組織から逃れにくくするために、外界とのつながりを遮断させ、継続的に経済力を奪う(高額の商品を買わせる、お布施として搾取する)などの手口が広く横行しているが、一部のオンラインサロンでも似たような手法が取られていたのだ。

■極端な情報ばかり拡散される恐ろしさ

私が『年収90万円で東京ハッピーライフ』をそそのかす行為を危険視するのは、こうした「信者ビジネス」の常套手段を踏襲しているためである。大原扁理氏が個人的にこうした生活を選択することについては異論がないが、中田敦彦氏のように、インフルエンサーとして多くの人々を巻き込もうとする行為は大変危険なものであるし、あまりにも道徳に反する所業である。

実際に、動画内では先ほど私が指摘したようなリスクにはまったく触れず、むしろ「生活のために週5で働いている人」がまるで不正解であるかのようにシナリオを作り、貧困生活に誘導しようとしていた。

「『もっと楽をして生活したい』と思ったから、この動画にたどり着いたんでしょう?」や「嫌いなことをして死ぬな」と次から次へと多弁に、大げさな仕草で視聴者に語りかける中田氏のことを、私は心底「怖い」と思った。

その動画を見ている人々が「今の生活がつらいと感じて動画にたどり着いた」と「理解している」にもかかわらず、彼ら彼女らを自らの食いぶちとして、人を人とも思わず、利用してうまく口車に乗せて私腹を肥やそうという悪意そのものが、本当に恐ろしいのである。

もしも今の生活が苦しくて仕方がないのであれば、まずは休養し、面識のないインフルエンサーの言うことよりも、行政の窓口や福祉事務所など、公的な福祉に頼ってほしい。年収90万円は、国が定める生活保護受給資格の基準を大幅に下回っており、まともな生活はできない。

「今の生活がつらいと感じて動画にたどり着いた人」のことを本当に考えて発信をしているなら、こうした現実的な方法が提示されるはずである。

「年収90万円で東京ハッピーライフ」などという極端な情報ばかりが拡声器のように遠くまで届くのを黙って見過ごす社会ではなく、しっかりと否定される社会であってほしいと切に願っている。

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吉川 ばんび(よしかわ・ばんび)
ノンフィクション作家
1991年生まれ。作家、エッセイスト、コラムニストとして活動。貧困や機能不全家族などの社会問題を中心に取材・論考を執筆。文春オンライン、東洋経済オンライン、日刊SPA!他で連載中。著書に『年収100万円で生きる 格差都市・東京の肉声』(扶桑社新書)。
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(ノンフィクション作家 吉川 ばんび)