川口能活と楢粼正剛。日本サッカー界のレジェンドGKの2人だが、「どちらが優れたGKだったのか」については、今もファンの間で議論がつづいている。今回は98年フランスW杯で彼らと共に代表メンバー入りし、プレーを間近で見てきた小島伸幸氏に、2人の特徴を比較してもらった。

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2018年、川口能活(写真右)の引退セレモニーに駆けつけた楢粼正剛(同左)

 日本サッカーのGKを象徴する存在でもある2人のことは、みなさんもよくご存知でしょう。そんな2人をひと言で表すなら"動の川口"と"静の楢粼"といったところでしょうか。自ら積極的にアクションを起こす川口選手に対して、最後の砦としてどっしりと構える楢粼選手。みなさんも同じような印象を持っていると思います。

 2人とも高卒後、プロの世界で若くして正GKとなったのには驚きました。

 プロは、やはりボールスピードやシュートの質は高校サッカーとは全然違うし、フィジカルコンタクトも10代の選手にとってはかなり厳しい世界です。だから、高卒からプロは、順応するのに時間がかかるもの。それでも2人は瞬く間にフィットしていきました。

 そんな2人のどちらがより優れたGKなのかという議論は、日本のサッカーファンの間でたくさん語られてきたことでしょう。どちらも本当に優れたGKであるのは大前提として、私なりに比較してみたいと思います。

 まずは「セービング」についてですが、サッカーの場合は同じシチュエーションで同じボールが来るケースがまずないので、単純な比較が難しい。これはほかの項目においても同じです。ただ、両者とも非常にバネがあり、ボールに対して真っ直ぐに飛ぶなかで、川口選手のほうがより滞空時間の長いジャンプで、楢粼選手は無駄がなくシャープなセービング。言葉で表すとそんなイメージになります。

 試合の流れのなかで、自分のポジションやスタンス、構えによってDFと連携して相手を追い込み、川口選手は最後に自らアクションを起こしてボールを止め、楢粼選手はコースを限定しながら最後にはどこに来ても止められるポジションを取る。その最後の駆け引きの部分で"アクションの川口""リアクションの楢粼"と言えるでしょう。

「クロスボールの対応」については、川口選手の場合、GKのなかで上背があるほうではないんですが、ここでも積極的に出ていって広い範囲をカバーできます。若い頃は予測のみで出て裏をかかれてしまうこともありましたが、経験を積み上げてそうしたミスも少なくなった印象です。

 一方の楢粼選手は自分が出られるエリアをよく知っていて、そこに入ってきたボールに対してしっかりと勝負できます。ここでもスタイルの違いがよく見て取れると思います。

「1対1の対応」を比べると、川口選手は相手がシュートを打つ前に対処できればそれが最善であるという印象です。例えばスルーパスは、インターセプトしてしまえば相手のチャンスはゼロになります。ドリブルシュートも、相手に寄せれば寄せるだけシュートコースはなくなっていきます。そこは積極的に飛び出そうと考えていたのではないでしょうか。

 もちろん、楢粼選手もそういった考えのもと、飛び出すこともあります。ただ、川口選手と比べると、状況によって相手のボールに触られないようならステイしてコースを消しつつ、ボールを持ってくれるならそのままコースを消しながら追い込んでいく印象です。相手は手数をかければかけるほど楢粼選手の間合いに引き込まれて、最終的にシュートを打っても体に当ててしまったり、枠を捉えられなかったりする。最後まで体を倒さず、相手が手詰まりになるのを待てるのが楢粼選手です。

 どちらにしても両者ともインターセプトを狙いながら、寄せてシュートコースを消すプレーは大前提としてあるはずです。そのなかでより積極的に動くのが川口選手で、流れのなかで相手の選択肢を奪っていくのが楢粼選手でしょう。

「コーチング」もGKにとっては大事な要素になります。川口選手は感情、闘志を出して、それを味方にも相手にもぶつけていくスタイル。楢粼選手も感情をぶつけないわけではないですが、川口選手と比べると淡々と必要なことを声に出していくタイプですね。

 互いに味方のDFを動かしてコースを消していくのに長けていましたが、川口選手はある程度までコースを消させて、あとは自分に任せろという範囲が広かったです。対して楢粼選手は細かく味方に詰めさせて、最後のところで確実に仕事をするタイプ。

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 現代サッカーではGKの「フィード能力」は高いレベルを求められるものですが、2人はこれも優れていました。キックの種類は多彩で、パントキックだけでなく、置いたボールからのフィード能力も持っていました。スローイングも含めて、状況によって球の質を変えられるだけの技術を両者とも持っていました。下からのパントキックとハーフボレーの2種類で十分だった私の時代とは、だいぶ違いますね(笑)。

 GKにとって「存在感」は相手にどれだけプレッシャーを与え、味方にどれだけ安心感を与えられるかという点で大事なポイントになります。相手を威圧する意味では、川口選手のほうが存在感はあったと思います。表情や試合のなかでの味方ヘの叱咤激励など、感情が出る場面では川口選手は際立っていました。

 もちろん、楢粼選手が相手へ迫る部分がないわけではありませんが、どちらかと言えば佇まいで威圧感を与え、隙なくプレーをしているなかで相手がおのずとプレッシャーを感じるタイプですね。

 いろいろな項目を挙げて比べてきましたが、結局どちらのほうが優れているのかと言われると、GKの基本能力ではやはり甲乙付け難いものがあります。ただ、そのなかでも予測面に関しては川口選手のほうが一歩秀でていると思います。相手の攻撃を予測して、スピードを活かしながらDFラインの裏を広範囲に守れるのが川口選手です。

 一方で相手が有利な状況から、自分が優位な間合いに引き込む力で秀でているのは楢粼選手だと思います。ノーチャンスな状況でも、最後まで粘ってどうにかする力を持っています。これらは微々たる差というか、自分のストロングポイントを理解した上でのプレースタイルの差と言えるでしょう。

 そうした特徴があったなかで、ワールドカップのフランス大会では川口選手、日韓大会では楢粼選手、ドイツ大会では川口選手と、大会ごとに正GKが入れ替わりました。これはどちらが優れているというより、監督によって求めるものの違いだったのでしょう。

 フランスW杯では、GKは2人と私の3人で代表メンバーに選出されました。メディアでは2人はライバルとして、よく "犬猿の仲"みたいな報道のされ方もしていましたが、私もそんな新聞記事を読んで「お前ら仲悪いらしいじゃん」なんてからかっていましたね。2人はそんな記事に対して笑っていましたよ(笑)。

 一緒にやるなかで面白かったのが、プレースタイルからすると川口選手は大胆な性格で、細かい性格が楢粼選手かなと思うんですけど、実際は真逆なんですね。川口選手は神経質なまでに慎重で、楢粼選手のほうがおおらかな性格の持ち主でした。

 フランスW杯は日本にとって初めてのW杯で、大きなプレッシャーのなか、川口選手は正GKを務めました。私より10歳ほど年下ですが、とても頼もしかったですね。本人はどうだったかわかりませんが、私にはあの大舞台を楽しんでいるように映りました。

 川口選手が日本代表の正GKとなってから、常にこの2人が日本のゴールマウスを守って、切磋琢磨してきました。W杯の出場を勝ち取り、世界でどう勝つかというところで、GKの重要性はすごくフォーカスされてきました。そこで彼らが長い間代表に君臨したことで、より高いレベルのものが次の世代に求められるようになりました。

 彼らを超えなければ試合に出られない状況から、川島永嗣(ストラスブール)が台頭し、次に君臨することになりました。こうして、偉大な存在を超えなければいけないというGKの系譜の土台を、川口・楢粼がつくり上げたのだと思います。その意味でも2人の日本サッカーへの貢献は大きなものでした。

 これからは、2人がそのキャリアのなかで見てきた「世界で通用するGK」を育てて、形となって現れてくるのを期待したいですね。それがどんなものなのか私にはなかなか想像がつきません。現状では世界トップクラスのGKにアジア圏の選手の名前が出てこないので、その壁を破る選手が彼らによって育ってくることを願います。

川口能活
かわぐち・よしかつ/1975年8月15日生まれ。静岡県出身。清水商業高(現・清水桜が丘高)−横浜マリノス(横浜F・マリノス)−ポーツマス(イングランド)−ノアシェラン−ジュビロ磐田−FC岐阜−SC相模原とプレーし、18年に現役を引退。J1通算421試合出場(Jリーグ通算507試合出場)。日本代表では96年アトランタ五輪を戦った五輪代表のGKとして活躍。その後A代表のGKも務め、国際Aマッチ116試合出場。W杯は98年フランス、02年日韓、06年ドイツ、10年南アフリカ大会のメンバー。現在はU−24日本代表GKコーチを務める。

楢粼正剛
ならざき・せいごう/1976年4月15日生まれ。奈良県出身。奈良育英高−横浜フリューゲルス−名古屋グランパスとプレーし、18年シーズンを最後に現役を引退。J1通算で現在2位の631試合出場。日本代表はW杯で98年フランス、02年日韓、06年ドイツ、10年南アフリカ大会のメンバー。00年シドニー五輪時は五輪代表の正GKを務めた。国際Aマッチ77試合出場。現在は名古屋のアカデミーGKコーチとして活動しながら、JFAのトレセンコーチも務めている。

小島伸幸
こじま・のぶゆき/1966年1月17日生まれ。群馬県出身。新島学園高−同志社大を経て88年にJSLのフジタ(後のベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)入り。チームがJリーグに昇格した1年目から正GKとして活躍。日本代表は国際Aマッチ4試合出場。98年フランスW杯のメンバー。99年からアビスパ福岡、02年からはザスパ草津でプレーし、05年シーズンを最後に現役を引退。現在はザスパクサツ群馬のGKコーチを務める。