人類最強の男とも呼ばれるエメリヤーエンコ・ヒョードルを紐解く
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総合格闘技イベント「PRIDE」で一躍有名となり、人類最強の男とも称されるのがエメリヤーエンコ・ヒョードルである。母国ロシアの柔道界で活躍した後、日本の総合格闘技のリングに上がり、今では世界的に有名な総合格闘家として知られている。一体エメリヤーエンコ・ヒョードルとは、どのような選手であるのか?
日本マットでの活躍
エメリヤーエンコ・ヒョードルは、11歳の時にサンボと柔道を始めた。兵役を終えた後に柔道とサンボの大会で活躍し、特に柔道ではヨーロッパでもトップクラスの実力を持っていた。
しかしロシア政府からの援助がなくなり、ヒョードルはプロのリングに上がることにした。彼を最初に見出したのは、リングスをプロデュースしていた前田日明とも言える。リングスのオーディションに参加し、高評価を得て大会に参戦するようになった。
初代リングス世界ヘビー級王者あるいは無差別級トーナメントで王座を獲得し、リングスのエースとも言える選手となった。リングスが活動停止となると、2002年の夏からPRIDEに参戦するようになった。
PRIDEでも実力を余すところなく発揮し、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラや藤田和之あるいはマーク・コールマンやミルコ・クロコップ等の強豪を次々と破った。PRIDEヘビー級チャンピオンないしはPRIDE GRANDPRIX等を制し、人類最強の男とも言われるようになった。
2007年にPRIDEが消滅すると、M-1 GlobalやStrikeforce等の総合格闘技大会に参戦した。2012年夏に引退を表明したが、2015年夏に現役に復帰した。Bellator等の大会に参加し、現在でも現役を続けている。
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全てに長けたスタイル
エメリーヤエンコ・ヒョードルは柔道とサンボを身に付けたため、寝技を得意としている。PRIDEマットでもチョーク・スリーパーのような絞め技でギブアップ勝ちを収めている。
しかし打撃技にも定評があり、特にパンチに関しては、独特のロシアン・フックも使うことができる。打撃によって相手を痛めつけ、フィニッシュに寝技を利用することがパターンであろう。
たとえば2006年10月に行われたマーク・コールマン戦では、1Rは打撃中心でコールマンにダメージを負わせ、2Rに腕ひしぎ十字固めでギブアップ勝ちを得ている。
要するにヒョードルのファイト・スタイルは、柔道やサンボをベースにしながらも、優れた打撃技を駆使することができ、「立って良し」「寝て良し」「離れて良し」という三拍子揃ったファイト・スタイルと言えよう。
代表的な日本人選手との対決
エメリヤーエンコ・ヒョードルは日本で活躍し、世界に知られるようになった総合格闘家である。そのため日本人選手との対決にスポットを当て、独自の観点から3戦を取り挙げる。
まず一戦目は藤田和之戦である。2003年6月にノンタイトル戦として、PRIDE26の中で行われた。ゴングが鳴ると、ヒョードルが打撃を使って前に出て、藤田をロープに追い詰めたりもした。
しかし藤田もボクシング技術を身に付け、打撃の対処も向上していた。ロープを背にしながらカウンター気味の右フックを放つと、ヒョードルがグラついた。場内に歓声が沸き起こり、もしやという期待が膨らんだが、ヒョードルの方が一枚上だった。
前に出て来た藤田に今度はヒョードルがカウンター気味のパンチやキックを放ち、横になった藤田に背後からチョーク・スリーパーを掛け、ギブアップ勝ちを奪った。見事なフィニッシュであり、当時のヒョードルはすでに最強の名を得て、全盛期でもあったろう。
藤田がパンチ一発でグラつかせたため、評価を上げたことは間違いない。めったに危ないシーンがなかった頃であり、非常にインパクトを与えた試合でもあり、ヒョードルもまた人であることの証になったのかもしれない。
二戦目は永田裕志戦である。2003年大晦日に開催されたイノキボンバイエの一戦でもあった。格闘技ブームの頃であり、総合格闘技の舞台にプロレスラーが次々参戦していた時期でもある。
永田は新日本プロレス所属のプロレスラーであり、IWGPチャンピオンにもなった。一線級のプロレスラーでもあり、なおかつアマチュア・レスリングの下地もあった。ヒクソン・グレイシーに挑んだ高田延彦に対する思いと同じようなものが、プロレス・ファンの心にはあったかもしれない。
しかし試合はあっさりと決着がついた。ゴングが鳴ると、両者が間合いを探りながら、打撃交換をした。永田が頭を下げながら軽い感じで、ヒョードルの胸のあたりに飛び込んだが、はねつけられた。
するとヒョードルが前に出て、左フックが永田の顔面を捉えると、そのままロープ越しにダウンをし、抵抗できなくなったためレフェリーが試合を止めた。1R1分2秒で終わり、観客からはため息が漏れ、ヒョードルの怖さを感じるような雰囲気もあった。
マッチメイクでドタバタがあり、前日に試合が決まったと言われ、永田のコンディションが整っていなかったことも敗因かもしれない。しかしそれでもヒョードルの強さが目立った試合でもあり、再びプロレスファンを幻滅させるような試合になったことは否定できないであろう。
最後は小川直也戦である。2004年8月に行われたPRIDEグランプリの準決勝の一戦であった。人気投票で決められたもので、当時のファンにおいては、小川が日本人総合格闘家のエースと考えられていたかもしれない。
小川はバルセロナオリンピックの無差別級柔道で銀メダルを獲得し、その後サラリーマンを経て、プロレスラーとなった。猪木の弟子として新日本プロレスのリングに上がり、橋本真也と抗争を繰り広げた。
時代は格闘技ブームであり、小川も柔道がバックボーンでもあり、PRIDEのリングに上がるようになった。佐竹雅昭等を倒し、PRIDEファンにも実力を認められていた感がある。小川ならもしかしたら、という思いが人気投票にも反映されたのかもしれない。
しかし結果から言えば、ヒョードルのギブアップ勝ちであった。ゴングが鳴ると、打撃で攻勢に出て、小川がマットに仰向けになると腕ひしぎ十字固めを決めた。1R54秒の出来事であり、これもまたヒョードルの強さだけが目立った。
ちなみに、ヒョードルも柔道出身者であるため、小川を尊敬していた。けれども当時の小川はすでにプロレスラーであり、ハッスルのようなエンターテイメント・プロレスにも参加していた。彼のハッスルポーズは下品だとして、かなり批判していた。
最強伝説は消えない
エメリヤーエンコ・ヒョードルには、いくつかの通称がある。人類最強の男はすでに述べているが、そのほかにロシアン・ラストエンペラー、60億分の1の男、氷の皇帝などである。
いずれもヒョードルの強さを表現したもので、日本での活躍が世界にまでその名を広げたことが、よく表れているかもしれない。
とりわけ、氷の皇帝は彼がほとんど表情を変えずに、戦う姿から来ている。攻撃している時は元より、防御に回っている時でも冷静に対応し、すぐに形勢を逆転し勝利に結びつけることがある。
本人曰く「持って生まれたもの」のようだが、それもまた才能の一種でもあるのだろう。かつて高田延彦が「立って良し」「寝て良し」「離れて良し」と言われていたが、ヒョードルも同様である。
いや、もしかすると高田以上に三拍子揃った総合格闘家であり、だからこそPRIDEのリングでも活躍できたのであろう。
しかし最強の名をほしいままにしたヒョードルも、激闘あるいは年齢の影響からか、戦いに陰りが出てきていることも確かだ。直近の試合は2019年1月にBellatorで行われたが、試合開始直後にKO負けとなった。
このまま現役を続けるのかどうか、進退を明らかにしていないが、彼もすでに40歳を過ぎている。過酷な総合格闘技の舞台から退くことも、当然視野に入ってくるであろう。一度現役を引退していた身でもあり、多くの人が納得するかもしれない。
そうは言っても、彼の総合格闘技への功績は計り知れないものがある。今後も彼のファイトが語り継がれていくことは間違いないであろう。
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