四半世紀にわたってスーパーカブの取材を続けてきた中部博氏は新刊『ス-パーカブは、なぜ売れる』で、世界的ロングセラーの秘密を解き明かしている

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四半世紀にわたってスーパーカブの取材を続けてきた中部博氏は新刊『スーパーカブは、なぜ売れる』で、世界的ロングセラーの秘密を解き明かしている

ホンダのスーパーカブ・シリーズが2018年に発売60周年を迎え、その前年には世界累計生産1億台を突破した。

出前や配達でお馴染みの日本の小型オートバイが、なぜ世界的な超ロングセラーとなったのか? その秘密を解き明かしたノンフィクションが『スーパーカブは、なぜ売れる』(集英社インターナショナル)だ。日本のみならず、中国、ベトナム、インドネシア、タイ、ブラジル、ペルー、アルゼンチンなど各国を徹底取材したという著者の中部博(なかべ・ひろし)氏に、スーパーカブが世界で愛される理由を聞いた――。

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――本書は、日本において「あまりに見慣れた風景」となっているスーパーカブについて、真正面から深く広く論じたビジネスノンフィクション。世界各地での現地取材に加え、社会学的な視点もまじえて分析するなど、実に多面的にスーパーカブを批評していますね。

中部 それは、スーパーカブが批評に耐えられる存在だからです。2018年に発売60周年を迎えて、世界各地での生産累計が1億台を突破、その歴史的時間と生産量は巨大です。日本でスーパーカブは庶民の手軽な移動の道具、すなわちパーソナル・モビリティとして重宝されてきた。その存在価値がそのまま世界各国・各地域へと拡大し、おそらく160ヵ国以上で売られている。地球的広がりも巨大です。これらの「数字」だけをマーケティング的に分析しても評論可能な乗り物だと思います。

しかし、「1億台」という数字をどう位置づければいいのか、把握して説明するのが難儀でした。もちろんエンジン付き乗り物の世界最高記録ですが、厳密な意味では比較対象がないからです。例えば4輪車の世界記録で言えば、フォルクスワーゲンの通称ビートルというクルマは60年間ほど生産されて2150万台だった。しかし、ビートルは5人乗りのセダンで、スーパーカブはせいぜい2人乗りの小型オートバイです。値段も違えば、エンジン排気量だって10倍以上の差があるから、比較にならないんです。かといって単一のエンジン付きモビリティで他に1億台のモノがあるかといったら、ないですからね。

しかし、「1億台」の意味を考えるとき、スーパーカブが60年続く「現役商品」であるということは大きい。僕がこのオートバイの取材を始めたのは25年ぐらい前ですが、そのときは2500万台を超えたあたりだった。そして、5000万台を超えたのが2005年。つまりこの12年ほどで、さらに5000万台生産して1億台になったのです。過去にたくさん売れて2017年にようやく1億台に到達したのではなく、今も売れまくっているということ。現役商品であり続ける商品寿命の長さは驚異的と言っていいと思います。


1958年発売の「スーパーカブC100」。それから60年にわたり基本コンセプトを変えないまま、スーパーカブは世界各地で発展してきた

――この本を読み進めていくと、「なるほど」という発見が連続します。見慣れたモノだけれど、見つめ直すと、これほど多くのことが考えられるのかと。

中部 スーパーカブが誕生したのは1958年(昭和33年)、日本が大きな戦争をやって壊滅的に負けて13年が過ぎた頃のことです。戦後復興期は終わっていたかもしれないけれど、人にも国にも戦争の深い傷が残っていた。その時代にスーパーカブが登場して、二輪のモータリゼーションが加速していく。

やがて高度成長期が始まり、日本は経済大国へと成長する。その後は浮かれたバブル経済の時代を経て、バブル崩壊後のロストジェネレーション、低成長期の時代があった。今日の貧富の差が拡大する人口減少化の時代に至る60年間、スーパーカブは日本の道を走り続けてきた。こうした時代の変遷をスーパーカブを軸に考えてみれば、「戦後時代の庶民モビリティ現代史」が構成できてしまうわけです。

そして海外へ目を向けると、1990年代の中頃にベトナムへ行ったとき、僕はスーパーカブの大群を見た。道路という道路はスーパーカブだらけで、これはスーパーカブのパラダイスだなと思った。現在日本では年間3万台のスーパーカブが売れているけれど、ベトナムでは今も年間90万台以上ですからね。

ちなみに、ベトナムでスーパーカブが最初に販売されたのは南北ベトナム時代でしたが、ベトナム戦争が拡大し、ホンダが撤退せざるを得なくなる1970年までの間に売った20万台ほどのスーパーカブが、その後の25年間にもわたる長い経済封鎖と国交断絶の間、現地で走り続けていたという"伝説"があります。その間、正規のルートでは部品も輸入されなかったにもかかわらず、ベトナムの人々の暮らしに定着していたのです。

これは、使う人の立場に立って考え抜かれた高い耐久性と整備性がフルに発揮され、庶民の信頼を得た事例だと言えるでしょう。ベトナムの人々はすべての二輪車を「ホンダ」と呼んだ時代があり、スーパーカブは全国民的な愛好の対象になっていました。

その一方で、1960年代にアメリカでスーパーカブが売れた時代があったという"伝説"については実感できなかった。僕は数え切れないほどアメリカ各地域へ行ったけれどスーパーカブを見たことがなかったからです。これらのことから言えるのは、スーパーカブはどんな国でも売れるかといえば、そうでもないということです。例えば、インドとか中国ではさほど人気がない。国民性とか民族性で好き嫌いが分かれるのではないかという分析も可能なのです。

――スーパーカブの基本コンセプトが60年間変わらないということも特筆していますね。

中部 スーパーカブに乗る人の股の下と言えばいいのかな、その部分がグッとえぐれている。これをステップスルーのスタイルと呼ぶのだけれど、そのシルエットが60年間変わっていないんです。ステップスルーは乗る人の服装を選ばない。ズボンでもスカートでも、和服でも乗れる。つまりジェンダーレスであり、自転車に乗れる人なら誰でも気軽に乗れるわけです。そういう商品コンセプトが変わらない。

あとはエンジンの位置とか後輪駆動であるとか、メカニカル・レイアウトも変化していない。ただし、国や地域によって車名やデザインが変わる。基本のコンセプトやカタチは変わらないけれど、いわば環境に合わせて変身しながら増殖していくのがスーパーカブなのです。そういう変身と増殖を細かく分析していったらキリがないぐらいです。こういう商品を作って売って、ホンダは町工場から世界的な企業に成長したわけですよ。

――なるほど。スーパーカブは、ホンダの歴史的な発明だったと言えますか?

中部 オートバイそのものは100年以上前からあるので、発明とは言い切れないけれど、使う人、つまり世界中の庶民のために、よく考えて入念に作られたことは確かだと思う。愛嬌があってカッコよく、使い勝手がよくて、壊れにくい。壊れたら、きちんと直してくれる。

作ったのはホンダの創業者である本田宗一郎さんと藤澤武夫さんという2人のリーダーで、この2人が仲間を集めてホンダという会社でスーパーカブを作った。作っただけではなく、よく考えて売り続けたということもある。ビジネスの世界では、よく考えられたいいモノが必ず売れる、ということはないわけで、売り方も重要。その商品のポジティブな面もネガティブな面も知り尽くしていないと、ベストな売り方は考えられません。

――そんなスーパーカブの根源的な魅力について中部さんは、「乗って走ると楽しくて面白い」と何度も強調していますね。

中部 乗り物ですからね。しかも、生活の道具としてのオートバイです。雨が降れば濡れるし、冷たい風が吹けば寒い。服も汚れる。趣味の商品ではないから、所有している喜びだけでは愛好できないでしょう。好きな食べ物と同じで、毎日食べてもおいしいと思うから、また食べたくなる。履きやすい靴があれば歩くのが楽しくなる。スーパーカブはとても軽快でバランスのいい「乗り味」がするのです。そのバランスの良さは安全運転にもつながっている。ただ便利で壊れにくいだけでは、「60年間・1億台」にはならなかったと思います。

僕がスーパーカブに対して最初に抱いた印象は、生活的で働くオートバイにしてはキュートな乗り物だな、というものでしたが、折りにつけて取材するたびに、「なるほどな」と思わされることばかりでした。商品コンセプトや開発技術、生産技術、営業戦略やらセールス方法といったことが、「庶民の生活に役立って楽しくする」という大方針からブレていないので、「なるほどな」と頷けるわけです。働かなくては生きていけないのが庶民だとすると、そんな庶民のひとりとして納得するというか、そういうオートバイなんだと思います。

そして、スーパーカブは庶民の生活に移動のスピードと自由を与えた。働くにせよ、遊ぶにせよ、スピードと自由は便利で楽しいものです。例えば途上国だったら、水くみに1日かかっていたものが1時間に短縮できるかもしれないし、誰かが病気になったら病院へ運べるし、好きな人にいつでも会いに行けるわけですからね。

■『スーパーカブは、なぜ売れる』
集英社インターナショナル 1500円+税

●中部 博(なかべ・ひろし)
1953年生まれ。週刊誌記者、テレビ司会者などジャーナリスト時代を経てノンフィクションの書き手となる。主な著書に『HONDA F1 1000馬力のエクスタシー』(集英社)、『いのちの遺伝子・北海道大学遺伝子治療2000日』(集英社)、『ホンダ式』(東洋経済新報社)、『定本 本田宗一郎伝』(三樹書房)、『炎上―1974年富士・史上最大のレース事故』(文藝春秋)などがある。日本映画大学「人間総合研究」担当非常勤講師

撮影/松田道人