2016年のプロ野球は、日本ハムが広島を4勝2敗で下し、10年ぶり3度目の日本一に輝いた。その中心には常に"二刀流"大谷翔平の存在があった。大谷にとって2013年の入団以来、初めてとなる日本シリーズの大舞台。開幕から日本一までの8日間を追った。

■10月22日(第1戦)

 敵地・広島で開幕を迎えた日本シリーズ。第1戦に「8番・投手」で先発した大谷は試合前から降り続いた細かい雨で濡れたマウンドに苦戦し、期待通りのピッチングができない。最速は、1回の先頭打者・田中広輔への初球でマークした158キロ。スパイクの歯に濡れた土が絡んで思うような踏み込みができず、回を追うごとに球速は低下した。

 2回一死一、三塁では打者・石原慶幸を空振り三振に打ち取りながら、サインを見落としてダブルスチール阻止のためカットするはずの捕手・大野奨太の送球をスルー。自らのミスで本盗を決められ先制点を失った。

 その後も本来の投球を取り戻せず、4回には松山とエルドレッドに被弾し6回で11三振を奪いながら5安打3失点で降板。バットでは2安打と活躍したが、初めての日本シリーズのマウンドはほろ苦い初黒星となった。

「マウンドはだいぶ硬かったですが、9割は僕の問題。調子の良し悪しや環境に関わらず臨機応変に対応しないと。今日のような不甲斐ないピッチングは、もうしない」

 そうリベンジを誓った右腕だったが、7回表の第3打席で高いバウンドの一塁内野安打を放った際に右足首を軽度の捻挫。もともと捻挫癖があった大谷だが、シリーズを通じてこの古傷が暗い影を落とすことになる。

■ 10月23日(第2戦)

 なんとしても連敗を避けたい第2戦だったが、先発・増井浩俊が1対1の6回に自らのミスも絡んで3点を失い、計4失点でKOされてしまう。打線も広島先発・野村祐輔の前に敵失で1点を返すのが精一杯。この日の大谷は9回一死一、二塁から代打で登場したが、広島の守護神・中崎翔太の前に空振り三振と期待の一打は出なかった。

「代打の準備は2、3巡目からしていました。あそこは長打を考えず前に飛ばすことだけ。野村さんの投球はよかったですが、ウチもやるべきことをやらないと。ひとりひとり自分の役割をしっかり果たせればチャンスはあるはず」

 真っ赤に染まる敵地に呑まれたのか、硬さの目立つチームは自ら勝機を手放し、まさかの連敗を喫した。

■10月24日(移動日)

 空路広島から札幌へ移動。日本ハムナインは基本的に移動日には全体練習をしない。大谷は、翌日25日の第3戦では指名打者での出場を予定。引退を表明している黒田博樹との対戦はこれが最初で最後とも予想されていた。

「黒田さんと対戦できるのは楽しみですが、誰々との対戦というよりもまず勝つこと。そのための準備をしていくことのほうが大事だと思います」

 午後に札幌市内の合宿所へと到着すると、隣接する室内練習場には姿を現さず静養にあてた。

■10月25日(第3戦)

 本拠地・札幌での第3戦。「3番・DH」で先発した大谷は、ついに尊敬する黒田博樹と対峙。初顔合わせは1回一死一塁の場面。三塁線を破る二塁打でチャンスメークし、続く中田翔の内野ゴロによる先制点につなげた。4回にも右中間に二塁打。6回の第3打席は一死無走者からレフトフライに倒れたが、この直後、黒田は足をつり無念の降板。大谷はプロ20年目のレジェンドと最後に対戦した打者となった。

 かねてから黒田の著書『クオリティピッチング』(KKベストセラーズ)を愛読している大谷は、憧れの投手との対戦について感慨深げにこう語った。

「降板する直前まで痛そうな素ぶりを見せていなかったですね。ただただ、すごかった。ほとんどすべての球種を見せてもらいました。いずれ自分もツーシームやカットボールといった打者の手元で動かすボールが必要になるときが来る。そのときに、参考にできる軌道があるのとないのとはでは大違いですから」

 試合は2-2のまま、このシリーズ初の延長に突入。迎えた10回裏、二死一塁で打席に大谷が入った。カウント1-1から西川遥輝がスタートし、大谷は盗塁を助ける空振り。カウント1-2と追い込んだことで、広島ベンチは勝負を指示した。

 大瀬良大地が投じた内角147キロのストレートは見送ればボールだったが、大谷は迷いなくスイングすると、打球は鋭く一、二塁間を抜け、二塁走者の西川がサヨナラのホームイン。自らのバットで死闘を制した大谷は、試合後、冷静にサヨナラの場面を振り返った。

「ある程度は絞っていました。内に真っすぐかカットボールで突っ込んでくるか、低めのフォークで来るだろうと。追い込まれていたので、ストライクゾーンを広めにとって構えていました」

 つまりは、大瀬良の決め球すべてを待ちながら、ボール球でも対応できるようにしていたのだ。これはもう"離れ業"というしかない。大谷の渾身の一打で日本ハムが一矢報いたことで、シリーズの潮目が変わっていくことになる。

■10月26日(第4戦)

 第4戦も「3番・DH」で先発した大谷だが、広島先発・岡田明丈の前に2つの空振り三振を奪われるなど沈黙。8回の第4打席で遊ゴロに倒れた際には一塁ベースでまたも右足をひねり、試合後は同箇所に分厚いアイシングをほどこしていた。それでもチームはレアードの勝ち越し2ランなどで見事逆転勝利。2勝2敗のタイに戻した。

「足首はもともと緩いところがあるので大丈夫です。いつも冷やしているんです。岡田さんの真っすぐは、速さというよりも真っスラのような独特の軌道で、それが難しかったです。明日はジョンソンですか。一度やられている相手。(ジョンソンは)ゆったりした間合いからキュッとする真っすぐが特徴で、初見ではタイミングを合わせづらい。チーム全体で攻略できればいいですね」

 そう話す表情は明るかった。

■10月27日(第5戦)

 この日も「3番・DH」で先発。6回にジョンソンから左中間に二塁打を放ったが得点には結びつかず、この日は4打数1安打。しかしこの日もドラマは1対1と同点の9回に待っていた。一死から田中賢介が四球を選び、犠打のあと中島卓也が内野安打で出塁。一、三塁となって岡大海が中崎翔太から死球を受けて激高。両軍メンバーがベンチから飛び出す騒然とした雰囲気で打席に入った西川遥輝が大仕事をやってのけた。

 カウント1-0から真ん中高めのストレートをフルスイングすると、打球は右翼席へ一直線。日本シリーズでは24年ぶり、史上2人目のサヨナラ満塁弾となった。これで日本ハムはシリーズ制覇へ、一気に王手をかけた。

「あの場面は(二死なので)僕には回ってこないので応援するだけでした。札幌での3試合は全部逆転勝ちで、そのうち2試合がサヨナラですよね。立ち上がりから先発投手に球数を投げさせる。とにかく先の塁に走者を進めてプレッシャーをかけることがチームとしてできている。先発投手に抑えられても、早く降ろしているから中継ぎから点を取れている。逆転勝ちが多いのは、決して偶然じゃないと思います」

 日本ハムはこの時点で第6戦の先発を増井浩俊と決め、先発予告を日本野球機構(NPB)に届けている。大谷の右足首の回復時間を少しでも多く取るため、大谷は第7戦に回ることになっていた。

■10月28日(移動日)

 チームは午後に空路で再び敵地・広島に舞い戻った。

「マツダスタジアムのマウンドのイメージはもうできています。何度やってもダメというのは、ピッチャーとしてどうかと思うので......。ビジターで勝つことが日本一になるためには絶対に必要ですから」

 珍しく強い口調で万全を強調した大谷。翌29日の先発登板へ決意を語ったが、広島にギリギリまで惑わせるための周到な煙幕だった。この日は空港から宿舎へと移動し、マツダスタジアムで体を動かすこともなく、休養にあてた。

■10月29日(第6戦)

 勝てば日本一が決まる第6戦。この日、唯一の"出番"は、4対4と同点の8回二死満塁でやってきた。打席に4番・中田翔が構えるなか、ネクストバッターズサークルで大谷はジャクソンの投球にタイミングを合わせてバットを振る。その姿に気圧(けお)されたのか、ジャクソンは中田に押し出し四球を与えてしまう。

 その瞬間、栗山英樹監督は大谷を下げ、前の回から登板していたバースをそのまま打席に送った。バースがまさかのタイムリーで追加点を挙げると、続くレアードがとどめの満塁弾で勝負を決めた。自身初の日本一を達成した大谷は、こうシリーズを振り返った。

「うれしいです。点差が開いていたので特に緊張もなかったです。最後まで勝ち抜いてシーズンを終わるのはなかなか経験できない。本当によかったと思います。8回の代打待機は、『相手にプレッシャーをかける意味でネクストに入ってくれ』と言われたので......。先発して1戦目を勝てなかったことは、もう少しできたはずだと思います。(黒田と対戦したことは)今後に生きてくればすごくいいと思いますね」

 シリーズ6試合で5試合に出場した大谷は、投手として1試合に先発し、6イニングで11奪三振の好投も3失点で負け投手に。打者としては16打数6安打、打率.375、1打点と奮闘した。大谷自身が「もう少しできたかな」と振り返るように大暴れとはいかなかったものの、誰よりも大きな存在感を示した。このシリーズで得た経験を今後どのようにして生かすのか。さらにスケールアップした姿を見せてくれるに違いない。

スポルティーバ●文 text by Sportiva