今年1月上旬、あるニュースがプロレスファンを騒然とさせた。「中邑真輔がWWEに移籍する」――人気、実力ともにトップの中邑がいなくなったら、プロレス界はどうなってしまうのか......。しかし私たちは、予感していたようにも思う。直前の1.4東京ドーム大会。マグマの如き生命力に、畏怖の念を禁じ得なかった。ここではない、どこかへ行ってしまうような気がした。1月末、新日本プロレスを退団し、4月から米国WWEに活動の場を移す。現在の心中を聞いた。

―― 1.4東京ドームのAJスタイルズ戦。まるで海外でプロレスを観ているかのような錯覚に陥りました。あの空気は、どこから醸し出されたものでしょうか。

「いま思い返すと、世界中から注目されているという意識はありました。AJにしろ、僕にしろ、世界での評価が高いという意識は、お互いにあったと思います。いまはネット環境が整って、世界の端からでも、日本の試合をタイムラグ少なく観ることができますから。これから益々そうなっていくんだろうと思います。すでにそれをビジネスにしているのがWWEです」

―― プロレスラーになった理由のひとつとして、"海外に行けるから"を挙げてらっしゃいます。海外に行きたいと思うようになったのは、いつ頃ですか。

「子どもの頃ですね。『なるほど!ザ・ワールド』が好きだったんです。当時、海外を扱ったいろんな番組があったでしょう。あの頃から、世界に触れてみたいという憧れがありました。海外に行きたい、有名になりたい、お金がほしい、強くなりたい。それを全部、叶えてくれるのがプロレスでした。一番は、僕はプロレスが好きだということですけども」

―― 初めて海外に行かれたのは、2002年デビュー戦後すぐに渡った、新日本プロレスLA道場でしょうか。

「大学時代にも海外遠征はしましたが、現地で生活したのはLA道場が初めてです。引退したダニエル・ブライアンとリョート・マチダと3人で、3カ月間。サンタモニカのアパートです。2006年にも肉体改造のために行くんですが、試合ができない状況で焦りを感じていました。無期限だと言われていたので、やれることはすべてやりましたよ。ボクシング、ボディビル、柔術や格闘技、そしてLA道場でプロレス」

―― LA道場は、ストロングスタイルの外国人選手を育てる目的で創設されたと聞きます。ストロングスタイルは、海外でどのように捉えられているのでしょうか。

「アメリカ人のレスラーから、『シュートスタイルのことか?』と聞かれることがあるんですが、僕が言っているのは、ボクシングやレスリングのプロが見ても、"本物"だと思う技術。かつそこに、アントニオ猪木が提唱する"怒り"や生の感情を落とし込むスタイルが加わったものだと」

―― "KING OF STRONG STYLE"と呼ばれる中邑選手。WWEでもストロングスタイルを貫きますか。

「ストロングスタイルというものを、そこまで意識はしていないです。本物の技術に裏打ちされ、本物の感情をリングに落とし込むことが、ストロングスタイルだと解釈している。自分のプロレスはそういうものだと思っているので、意識するにしろしないにしろ、自分がやるというのはそういうことですね」

―― WWEのプロレスと、新日本プロレス。中邑選手から見てどう違いますか。

「ベーシックなところでは、レスリングというものは変わらないと思います。四角いリングの上で、戦うことによって何かを伝えるというのは変わらない。変わるとしたら、条件による表面的なものだと思います。リズムだったり、表現だったり。でも一流のレスラーはどちらにも合わせられるはずです。あとは観る側の印象ですよね」

―― 中邑選手が抱いているWWEの印象とは。

「あまりガッツリ研究しないようにしています。ファースト・インプレッションすら楽しみたいので」

―― WWE入団の決断。一番の決め手はなんでしょうか。

「より新しい刺激を求めた結果です。いままでも、あらゆる刺激を求めて、新しい価値観を作り上げてきましたから」

―― IWGPインターコンチネンタルのベルトの価値を高めた、という。

「それもひとつです。インターコンチがなかったらNEVERはなかった。インターコンチのベルトを、IWGPと同等、もしくはそれ以上の価値まで上げたことで、新たなベルトが受け入れられる状況を作りました。さらに新しい世界が見たいというのが、今回の決断に至った理由のひとつです」

―― 海外に移籍すること自体が、魅力的だったのでしょうか。

「それはあまり考えていないですね。WWEは世界最大の団体です。規模もそうだし、網羅している国の数もそう。そこで戦うほうが、世界への波及力は増すんじゃないかと思いました。新日本プロレスに所属したままでも、世界中で戦うことは可能だったと思いますが、限定的であるし、より大きくするためには時間がかかり過ぎる。自分の年齢的にも。であるならば、求められている、いましかないというのはありました」

―― WWEでは英語力が不可欠ですが、すでに中邑選手はかなり流暢に話されています。自信や不安はありますか。

「コミュニケーションに関してはそこまで問題はないですが、リング上でとなると、また話は別だろうなと思います。それもひとつ、自分に課された課題だと思って、楽しんで学んでいこうかなとは思っています」

―― いまは英語を勉強されていますか。

「ちゃんとはしていませんが、近所のアメリカ人のおばあちゃんの家で、アクセント矯正をしてもらっています。『口を大きく開けてしゃべりなさい』と言われますね。日本語でしゃべるときも口を開けないほうですから、難しいですよ。その場の雰囲気に合わせて、自分の言葉で味のあることを言えるようにはなりたいです。英語で寿限無(じゅげむ)を言えるくらいに」

―― 海外で活躍されてきた獣神サンダーライガー選手が憧れだったとおっしゃっていました。ライガー選手のどんなところに憧れを抱いたのでしょうか。

「キャッチーさですね。あんなマスクマンは世界中探してもいないですから。パクリはいっぱいいましたが、あの人がパイオニアなわけです。いろんなことのパイオニアですよ。背が低くてもレスラーになることだったり......。新日本プロレスでイタリア遠征にいったとき、子どもを一瞬で釘づけにするんですよ。レスリングは非言語的でもありますが、それ以上に人の心を一瞬でつかんで、いまだに世界中からオファーが止まない。自分と置き換えたときに、どうしていけばそういう世界を呼び込めるかなと、考えながらレスリングをしてきました。これからもそうだと思います」

 1月29日、中邑の壮行試合前日。所沢市民体育館へ向かう道中、バックパックを背負った金髪の女性に道を尋ねられた。"I've come from the US to watch a wrestling match.(アメリカからプロレスの試合を観に来ました)"。ビッグマッチではない。しかし海外から日本のプロレス会場に人が訪れる。ほかでもない、Shinsuke Nakamuraの功績だ。

 もう、私たちだけのものではないのだと思った。きっと海の向こうから、新しい世界を見せてくれるに違いない。中邑真輔がいない日本のプロレス界は、これからどうなっていくのだろう。いまは寂しくもあり、楽しみでもある。

【Profile】
中邑真輔(なかむら しんすけ)
1980年2月24日、京都府生まれ。高校時代からアマレスを始め、大学時代はレスリング部主将を務める。01年9月、新日本プロレスの入門テストに合格し、02 年8月、安田忠夫戦でデビューする。03年12 月にIWGPヘビー級王者の天山広吉に勝利。デビューわずか1年4カ月でタイトルを奪取し、史上最年少王者となる。その後も多くの王座を獲得。今年1月、WWEへの移籍を発表した

尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko