学生の窓口編集部

写真拡大

学校にあるあるな銅像「二宮金次郎」。いま風にいえば「勤労学生」の鑑(かがみ)、キミも頑張れ!と教えられたひとも多いでしょう。

農業をしながら勉学に励んだ二宮金次郎がタイヘンな努力家だったことは確かですが、薪を背負いながら本を読む像はかなり「盛られた」姿で、明治5年に発行された「小学読本」向けに、海外の「牛を引きながら勉強する少年」のリメイクと言われています。二宮の故郷・足柄郡なら「天秤棒」でかつぐはずという説もあり、記録に残された「体格」から判断してもミスマッチ、勤勉/倹約の手本とされる銅像は300%ぐらいに盛られたヒーローだったのです。

■ジョン・ブラウンが二宮金次郎に変身?

二宮金次郎の名前を知らないひとは少ないでしょう。苦労して勉強したひとなのもご存じの通りですが、その功績は?と問われると意外に答えられないようですので、カンタンに紹介しておきましょう。

二宮金次郎は1787年、現在の神奈川県小田原市の農家の長男として生まれて以来、苦労の連続で、

 ・川が氾濫(はんらん)し、田畑を失う

 ・14歳で父母が死去、おじの家に引き取られる

その後は農業を営みながら独学で勉強、農業で収益を上げ、最終的には財政難だった小田原藩の立て直しも任されるほどに出世しました。「学問」のイメージが浸透しているのに反し、いま風にいえば優秀な「経営コンサルタント」だったのです。

薪(まき)を背負いながら勉強している銅像は「実話」なのでしょうか? 残念ながらこれが定番となったのは明治時代のことで、教科書用にアレンジされた架空の話なのです。

明治4年に発足した文部省(現在の文部科学省)が教科書を作成するにあたり、「苦学」「立身出世」の話を紹介することになりました。アメリカの教科書に掲載された「ジョン・ブラウン少年物語」を手本に、ガンバって勉強しなさい! と訴えるためです。この物語では牛を引きながら勉強する少年が描かれ「勤勉」を表現しているのですが、文化が違う日本では違和感ありすぎ…そこで二宮金次郎をベースに、薪を背負いながら勉強する着物の少年と「日本バージョン」にリメイクされたのです。

■本の口絵で大ブレイク

二宮金次郎の銅像は完全なフィクションなのでしょうか? 寸暇を惜しんで勉強したのは事実でしょうが、この姿は「あり得ない」とする説も多く、残念ながら「架空」と表現すべきです。

指摘の多いポイントは薪を「背負う」姿で、小田原なら天秤棒、つまり水平にかついだ棒に荷物を「ぶら下げる」のが一般的と言われています。また、集めていたのは小枝ほどの柴(しば)だったという説もあり、「薪」「背負う」ともに盛られた話のようです。

また、体格的に「二宮じゃなくね?」とする記録もあります。なんと180cmもの大柄な人物だったからです。

銅像は「14歳」のときとされているのに対し、二宮金次郎は身長180cm、体重90kg以上と、現代でも「大柄」な人物だったとする記録があり、これが本当なら銅像の二宮は「小柄すぎ」で、170cmはあっても良いのでは? と言われているのです。立派な体格では荷物も軽そうに見え、「楽々」では美談になりませんね、これも「演出」と考えれば合点のいく話です。

銅像の姿が定着したのは明治24年のことで、火付け役は幸田露伴(こうだ ろはん)先生の著書「二宮尊徳翁」、薪を背負った少年が山道を歩く姿が口絵に描かれているのです。本がA4サイズと仮定すると身長は150cmぐらいが妥当でしょうか…モチーフも荷物も体格も違うとなればダレの話?感でいっぱいですね。かなり「盛られた」ヒーローですが、困難に負けず勉強する姿は見習いたいものです。

■まとめ

 ・二宮金次郎の銅像は、教科書用に描かれた「架空」説が強い

 ・海外の物語をリメイクした「日本バージョン」

 ・体格や荷物の運び方など、違和感ポイント多数あり

(関口 寿/ガリレオワークス)