大倉士門 批判も過去の恋愛も、すべてを受け止め、すべてをさらして前に進む!
赤裸々な男である。最近ではバラエティ番組で、若者言葉を駆使し思ったままを口にし、視聴者どころか共演者さえも驚かせている人気モデルの大倉士門。決して作りこんでいるわけではない、このあけっぴろげな性格が魅力である半面、厳しいバッシングにさらされることもある。果たしてそのルーツは? たっぷりと話を聞いた。
撮影/平岩亨 取材・文/黒豆直樹 制作・編集/ iD inc.
――モデル、タレントに最近は俳優業も本格的に始めて、目が回るような忙しさなのでは?
忙しいですね(苦笑)。でも、やっていることはどれもやりがいのあることばかりなので、イヤという気持ちはまったくないんです。モチベーションがすごく高いです。
――ブログやTwitterでも、昔から弱い部分もすべてさらけ出すわりに、不思議とネガティブさは感じさせないですね。
ネガティブなこと書いて共感されても気分よくないですからね。そういうことは身内やマネージャーにポロっと吐きます(笑)。「何でオレ、こんな休みないねん?」とか(笑)。
――では、そうした性格がどうやってできあがっていったのか? そのルーツを伺っていきます。小さい頃はどんな子どもでしたか?
こう見えて人前で何かするのはめちゃめちゃイヤでした(笑)。授業でも答えが分かっても絶対に自分からは手を挙げない。それが中学、高校と進む内に徐々に目立ちたがり屋の部分が出てきたんです。
――内気な士門少年…。ちょっと想像がつきませんが、徐々に変わったきっかけは?
もともと、体の成長も遅いし、精神年齢も低くて、みんなからかわいがられるタイプだったんです。友達も多いし「かわいい」とちやほやされてました(笑)。ただ「かわいい」とか「カッコいい」より「面白い」と言われる方が嬉しくて、ウケを狙うようになって…(笑)。
―――部活は陸上部ですよね? 京都府内のインターハイにも出場したとか?
はい、走り幅跳びをやってました。ずっと背は低かったんですが、バネはあるからと言われて始めて、身長が伸びるに従ってどんどん記録が伸びました。
――ちなみに身長は小中高でどれくらい伸びたんですか?
小学校の頃はいつも列の先頭でしたね。中1で136センチ、高1で156センチ。高校の3年間で20センチ近く伸びて今に至ります。
――そうなると、女の子からのアプローチされることも多かったんですか?
先輩からの人気は誰よりもありましたね。あ、少しは謙遜しろよ、こいつ!って感じですか?(笑)
――いやいや、いつも通り思うままにどうぞ(笑)。
あと、ものすごく負けず嫌いでした。結構、プライドが高い方だと思います。子どもの頃って足の速いヤツと勉強できるヤツが人気者だったけど、僕は足も勉強もずっと2番だったんです。ホントにめっちゃ悔しくて。
――少し話が先に飛びますが、大学時代のミスターコンテストも準グランプリ。そのときも、ブログで悔しい思いを赤裸々に綴っていていましたね。
前の年のグランプリがお世話になった大好きな先輩だったんです。終わったらその人が立っていて「士門、おつかれ」って言ってくれて、大学に入って初めて泣きました。ハグしながらめちゃくちゃ悔しくなって…。
――なかなか金メダルに届かない“シルバーコレクター”タイプ? その経験がアイデンティティになってるのかもしれませんね。
それはあると思いますね。負けるたびに、こんな悔しい思いはこれきりにしようって思って次に進んでる。あと、そういうときに常に応援してくれる人がそばにいるのも大きい。母親、友達、先輩…自分の予想は裏切っても、その人たちの期待は裏切りたくないって思いは昔もいまもありますね。
――京都で生まれ育って、大学で東京に出てこようと思った理由は?
京都と言ってもうちは電車も1時間に3本とかのド田舎だったんです。いつまでもそこにいちゃダメだとは思ってました。誰しも「TVに出てみたい」とか思う時期ってあるでしょ?(笑)その頃、そんな思いが強くなったんです。目立つことしてみたいなって。
――やはりそこでも目立ちたがり屋気質が(笑)。それで東京の大学に?
東京に行けば世界は広がるだろうって。それで高3のときはかなり勉強しました。起きている時間の中で、2時間は食事やお風呂。それ以外はずっと勉強でした。
――睡眠時間8時間としても1日で14時間も勉強していたんですか!?
それでも結局、第一志望の大学はダメだったんです。でも、そこまで集中してギリギリの1年を過ごしてきたので、浪人はできないなと思って、受かったいまの大学に進むことにしました。
――そして東京へ。上京して道で声を掛けられてモデルになったんですよね?
そうです。渋谷のセンター街を夜の11時に歩いてたら「ヘアカタログのモデルを」と声掛けられて。うさんくさいなぁ…と思ったけど(笑)、ネットで調べたら「名刺をもらってれば大丈夫」とあったので…。
――それが記念すべき最初の仕事ですね。
ギャラは3000円なのに、片道5000円の夜行バスで往復1万円かけて撮影に行きました(笑)。それから読者モデルを2年半ほどやって「Popteen」にスカウトされたんです。
――モデルの仕事はご自身に合ってましたか?
この世界、モデル同士の横のつながりがすごく強いんですけど、僕は人間が大好きなので、そういう意味では合ってるなと思いました。
――「LINEの友達が1000人以上」など友達の多さが話題になってましたが、それは自然に増えていくんですか?
自分で「友達を増やそう」と意識はしたことないんです。「誰々と仲良くした方がいい」みたいなルートもあるんでしょうけど、そういうのは気にせず、出会った人とのつながりを大事にしてます。いまでも最初の撮影で出会った人たちとも仲良いですし、出会いには恵まれてますね。この人懐っこさがあってよかったです(笑)。
撮影/平岩亨 取材・文/黒豆直樹 制作・編集/ iD inc.
子どもの頃は内気な少年だった!?
忙しいですね(苦笑)。でも、やっていることはどれもやりがいのあることばかりなので、イヤという気持ちはまったくないんです。モチベーションがすごく高いです。
――ブログやTwitterでも、昔から弱い部分もすべてさらけ出すわりに、不思議とネガティブさは感じさせないですね。
ネガティブなこと書いて共感されても気分よくないですからね。そういうことは身内やマネージャーにポロっと吐きます(笑)。「何でオレ、こんな休みないねん?」とか(笑)。
――では、そうした性格がどうやってできあがっていったのか? そのルーツを伺っていきます。小さい頃はどんな子どもでしたか?
こう見えて人前で何かするのはめちゃめちゃイヤでした(笑)。授業でも答えが分かっても絶対に自分からは手を挙げない。それが中学、高校と進む内に徐々に目立ちたがり屋の部分が出てきたんです。
――内気な士門少年…。ちょっと想像がつきませんが、徐々に変わったきっかけは?
もともと、体の成長も遅いし、精神年齢も低くて、みんなからかわいがられるタイプだったんです。友達も多いし「かわいい」とちやほやされてました(笑)。ただ「かわいい」とか「カッコいい」より「面白い」と言われる方が嬉しくて、ウケを狙うようになって…(笑)。
―――部活は陸上部ですよね? 京都府内のインターハイにも出場したとか?
はい、走り幅跳びをやってました。ずっと背は低かったんですが、バネはあるからと言われて始めて、身長が伸びるに従ってどんどん記録が伸びました。
――ちなみに身長は小中高でどれくらい伸びたんですか?
小学校の頃はいつも列の先頭でしたね。中1で136センチ、高1で156センチ。高校の3年間で20センチ近く伸びて今に至ります。
「万年2位」がいまの自分を作った
――そうなると、女の子からのアプローチされることも多かったんですか?
先輩からの人気は誰よりもありましたね。あ、少しは謙遜しろよ、こいつ!って感じですか?(笑)
――いやいや、いつも通り思うままにどうぞ(笑)。
あと、ものすごく負けず嫌いでした。結構、プライドが高い方だと思います。子どもの頃って足の速いヤツと勉強できるヤツが人気者だったけど、僕は足も勉強もずっと2番だったんです。ホントにめっちゃ悔しくて。
――少し話が先に飛びますが、大学時代のミスターコンテストも準グランプリ。そのときも、ブログで悔しい思いを赤裸々に綴っていていましたね。
前の年のグランプリがお世話になった大好きな先輩だったんです。終わったらその人が立っていて「士門、おつかれ」って言ってくれて、大学に入って初めて泣きました。ハグしながらめちゃくちゃ悔しくなって…。
――なかなか金メダルに届かない“シルバーコレクター”タイプ? その経験がアイデンティティになってるのかもしれませんね。
それはあると思いますね。負けるたびに、こんな悔しい思いはこれきりにしようって思って次に進んでる。あと、そういうときに常に応援してくれる人がそばにいるのも大きい。母親、友達、先輩…自分の予想は裏切っても、その人たちの期待は裏切りたくないって思いは昔もいまもありますね。
士門流、友達の作り方とは…?
――京都で生まれ育って、大学で東京に出てこようと思った理由は?
京都と言ってもうちは電車も1時間に3本とかのド田舎だったんです。いつまでもそこにいちゃダメだとは思ってました。誰しも「TVに出てみたい」とか思う時期ってあるでしょ?(笑)その頃、そんな思いが強くなったんです。目立つことしてみたいなって。
――やはりそこでも目立ちたがり屋気質が(笑)。それで東京の大学に?
東京に行けば世界は広がるだろうって。それで高3のときはかなり勉強しました。起きている時間の中で、2時間は食事やお風呂。それ以外はずっと勉強でした。
――睡眠時間8時間としても1日で14時間も勉強していたんですか!?
それでも結局、第一志望の大学はダメだったんです。でも、そこまで集中してギリギリの1年を過ごしてきたので、浪人はできないなと思って、受かったいまの大学に進むことにしました。
――そして東京へ。上京して道で声を掛けられてモデルになったんですよね?
そうです。渋谷のセンター街を夜の11時に歩いてたら「ヘアカタログのモデルを」と声掛けられて。うさんくさいなぁ…と思ったけど(笑)、ネットで調べたら「名刺をもらってれば大丈夫」とあったので…。
――それが記念すべき最初の仕事ですね。
ギャラは3000円なのに、片道5000円の夜行バスで往復1万円かけて撮影に行きました(笑)。それから読者モデルを2年半ほどやって「Popteen」にスカウトされたんです。
――モデルの仕事はご自身に合ってましたか?
この世界、モデル同士の横のつながりがすごく強いんですけど、僕は人間が大好きなので、そういう意味では合ってるなと思いました。
――「LINEの友達が1000人以上」など友達の多さが話題になってましたが、それは自然に増えていくんですか?
自分で「友達を増やそう」と意識はしたことないんです。「誰々と仲良くした方がいい」みたいなルートもあるんでしょうけど、そういうのは気にせず、出会った人とのつながりを大事にしてます。いまでも最初の撮影で出会った人たちとも仲良いですし、出会いには恵まれてますね。この人懐っこさがあってよかったです(笑)。