在宅役員、バリイクメン……P&Gの「柔軟すぎる働き方」
■経営陣のほぼ全員が週に1回、在宅勤務をしている
日本の正社員は「三無(さんむ)」といわれる。仕事内容が選べない。勤務地が選べない。勤務時間が選べない。そして、肩を並べて働くのは、似たような学歴で、似たような主義主張の日本人男性ばかり……。このパターンは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた時代には向いていた。当時は、特にイノベーションを起こさなくても、欧米が先に開発したものを真似していればよかったし、消費者も「三種の神器」など、決まったモノを欲しがった。だから、同質集団が大量生産で一気にモノづくりする強みが生きた。
ところが、今の市場はそんなに単純ではない。先進国の消費者ニーズは多様化する一方で、新興市場には眠れるニーズが埋もれている。それらを、他社に先駆けて掘り起こすには、国籍や性別を問わない多様な人材が感度を発揮する組織運営が必要だ。だからこそ、今、各社でダイバーシティ(多様性)が重要な経営戦略の一つになっている。そして、ダイバーシティを実現するには、社員一人一人の置かれた状況や生き方に寄り添った「柔軟な働き方」を推進することが欠かせない――。
プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(以下P&G)は、ここ数年、社員の「働き方革命」に注力し、「柔軟な働き方」の先進企業に飛躍した。同社の取り組みは、もはや子育て中や介護中の社員が短時間勤務や在宅勤務を選択できるといった次元を超えている。「現在、日本の経営陣のほぼ全員が、週に1回の在宅勤務をしている」(ヒューマン・リソーシズ アソシエイト・ディレクター臼田美樹さん)というし、2016年に神戸・三宮に建設予定の新社屋では、基本的に個人の机を撤廃した「フリーアドレス」を採用する。「個々人の働き方に合わせた、集中するための部屋、チームワークをするための部屋、部署間の壁をなくして社員がコラボレーションするためのスペースなどを用意する予定」(アジアワークプレース&インフラストラクチャー・ソリューションシステムマネージャー吉本佳世さん)だ。
同社がここまで多様性に富む働き方を支援するのは、「個々の社員が、自分に合った時間帯で場所を問わずに柔軟に働けるようになれば、個人の仕事の効率と創造性が高まり、『パフォーム・アット・ピーク(個々人の最大限の能力発揮)』が引き出せる」(臼田さん)との全社的な考えがあるからだ。そのため、同社では、社員が世界中どこにいようが問題なく働けるインフラづくりをワールドワイドで進めてきた。
08年には「VCS」というビデオ会議システムを、11年には、米シスコシステムズの「WebEx(ウェブエックス)」という場所を選ばず会議ができるシステムを導入。これにより「自分がどこにいても、世界中に散らばる上司や仲間と、フェーストゥーフェースでコミュニケーションが取れる、ロケーションフリーの働き方が実現した」(吉本さん)。
とはいえ、「三無」が前提の日本的な働き方を長年していると、そのノマド(遊牧民)のような働き方が、どのようなものかピンとこない。具体的に、ロケーションフリーの働き方とはどのようなものなのか?
在宅勤務を取り入れる同社の2人の働き方から、その手法を探ってみたい。
前出の吉本さんは、日本を含むアジア5カ国で、次世代に合った働き方やそれを支えるオフィス環境をつくるプロジェクトを推進している。
現在は、週1回の在宅勤務を取得するが、神戸のオフィスに出勤する日も、複数のプロジェクトを同時に管理するため、日によって仕事をする階や机が違うのだという。また、仕事の報告や相談をする直接の上司はシンガポールにいる。だから、もともと、どこで働こうが、仕事のやり方や質に変化はないそうだ。
「在宅ワークの日は、通勤時間と身支度にかける時間を節約できるから、長時間、集中して働くことができるので、資料や書類作りなど集中を要する仕事に充てています」
家で仕事をするとなると、自宅に大量の資料を持ち帰らなければいけないかと思うが、そんな必要はない。
「『クラウドストレージ』というインターネット上に書類をデータ化して保管するシステムがあるため、そもそも紙の資料は持っていないんです」
だから、パソコン1つあれば、オフィスにいるのと全く同じ環境が実現する。ただし、職場で働いていると、上司や同僚にすぐ質問できるなどの利便性がある。そうした側面は、どのようにカバーしているのか?
「世界共通のチャットシステムがあるので、画面をクリックすれば、すぐチャットか電話ができる仕組みです」
筆者は、実際にその画面を見せてもらった。するとそこには、社員の名前と顔写真が卒業アルバムのように映し出され、彼ら、彼女らが今どこで何をしているかが記されていた。「in meeting(会議中)」「out of office(外出中)」なんて具合だ。そして、その部分にカーソルを持っていくと、「I am on vacation(休暇中)」だとか、「Do not disturb(邪魔しないで)」などのメッセージが飛び出す。
さらに、パワーポイントで作成した資料を上司や同僚に見せながら話したいときは、その資料を画面に表示して、全員で共有することもできる。従って、オフィスで顔を合わせないことのハンディは生じない。
ちなみに、在宅勤務中は、仕事の開始を報告する義務もない。何時に仕事を始めようが、何時に終わらせようが、「コアタイム7時間40分」の決まりを守れば、あとは自由だ。それどころか、12年からは「フレックス@ワーク」という、業務時間を月単位で捉えて個々が月次でスケジュール管理する制度が世界同時に導入されたため、日によっては定時時間通りに働かなくてもよい。
「たとえば、海外のチームと一緒に仕事をする場合、時差の関係で電話会議が深夜に及ぶこともあります。そんなときは、次の日は3時くらいに仕事を早く切り上げるのも、本人の権限に任されています」
■長男誕生で変わった40代エース社員の働き方
経営管理本部アソシエートディレクターの鷲田淳一さんは、12年10月の長男誕生をきっかけに、週1回の在宅勤務を始めた。鷲田さんももともと「ロケーションフリー」の働き方には馴染みが深い。09年まで内部監査担当として世界中の拠点の監査をしていたときは、「1年の半分から3分の1は海外出張で、部下の6〜7人はフィリピンのマニラ、もう半分はヨーロッパにいる組織を管理する」という経験を持つ。
そして現在は、国内の営業本部と数字目標を共有し、得意先ごとの利益を最大化するために、売り上げ目標を設定し、その進捗を管理したり、販売促進費の調整を行う部署のリーダー的役割を担う。重責あるポジションで、ご本人も「仕事人間」を標榜するが、週1日とはいえ在宅勤務を選択することに抵抗はなかったのだろうか?
「待望の子どもだったので、子育てを妻任せにするのではなく、自分自身、深く関わりたい気持ちがありました。また、もともと、ダイバーシティを啓蒙するための社内セミナーを行うなどの活動をしてきたため、実際に私が在宅勤務制度を活用すれば、ほかの社員も利用しやすくなるのではないかという思いもありました」
日本企業でも、いわゆるイクメンが増え、男性社員の育休取得率は上がりつつあるが、実際に取得するのは家庭重視派で出世を諦めた人が主体だったり、あるいは取った瞬間に、「非出世宣言」と受け取られがちだ。だが、鷲田さんのようなエース社員が在宅勤務を取得すれば、仕事と育児を両立させたい男性社員に「両立は可能だ」というメッセージを発信することができる。実際、鷲田さんは週1度の在宅勤務中も、先の電話会議システムなどを駆使して仕事の不都合は感じないし、かえって仕事の効率が上がったと自負する。
「以前は、大きな仕事があるときは、その直前に深夜までかかってでもやればいいという意識がありました。でも子育てと両立する今は、1週間先、2週間先のスケジュールを俯瞰して見るようになり、前倒しで仕事するようになりました。また、在宅勤務をすることで『結果を出す』ことに対して、より敏感になりましたね」
バリバリ働いて結果を出す“バリイクメン”である。奥さんも、今では鷲田さんの在宅勤務日を心待ちにしているそうだ。
「僕がその日は家にいることで、いざ子どもが病気したときでも、小児科に連れていってもらえると妻の安心につながっているようです」
家庭が円満だから、私事に心配事がなく、仕事に集中できる。会社はこんな柔軟な働き方を許してくれると実感することで、忠誠心もモチベーションも上がる――鷲田さんは、今、そんな幸福のサイクルにいるようだ。
■社長も夕方5時半には帰ってしまう
このように、同社が推進する「働き方改革」は、社員のワークライフバランスを向上させ、社員が能力を最大限に発揮することを実現しつつある。
多くの日本企業でも、女性社員に向けて育児と仕事の両立を支援する制度を拡充してきたが、女性社員の復帰率は上がったものの、その大半が短時間勤務で戦力にならないなどの課題を抱える。一方同社では、「柔軟な働き方」を認めた結果、時短を取得する社員は減り、今では数%しかいないという。
さらにマクロ的視点で考えても、その効用は大きい。
「本社から遠いなど地理的に不利な場所にいても、コミュニケーションギャップを克服しやすくなり、何でもかんでもシンシナティ本社が決めるということがなくなりました」(臼田さん)
もっとも、P&Gの社員がここまで自由度の高い働き方ができるのは、経営側と従業員側が相互に信頼し合っているという土壌があるからにほかならない。鷲田さんも、「制度という箱だけをつくるのは簡単。でも、それを使う側が、何のためにこの制度があって、その礎となるものは何なのかを理解していないと、悪用する人は必ず出てくる」と指摘する。
そこへいくと同社では、10年以上にわたり、「柔軟な働き方」を定着させるための風土改革を続けてきた歴史がある。
「私が入社した1993年は、まだお茶くみをしている女性社員がいたほど女性活用は進んでいなかったし、ダイバーシティの重要性を説いても男性社員から『それの何がいいんですか』と何度質問を受けたかわかりません。それでも、繰り返し、経営戦略上必要なんだと説明して、20年かかってようやく、全社的に意識が浸透した。そのくらい風土を変えるのは大変です」
それでも風土改革が実現できたのは、「トップのコミット」があったからこそだという。
「実際、桐山一憲前社長も奥山真司現社長も、『自分が音頭を取る以上、社長の俺が例外では通用しない』と、自身が夕方5時半には帰る」のだとか。
このように、トップが柔軟な働き方を推進する意義をブレずに言い続けたこと、徹底して実践してみせたこと、そして何といっても、社員を働いた時間で評価するのではなく、自らが立てた目標の達成度合いで評価する「結果ありき」の評価体系が確立していたからこそ、同社の働き方革命は成功したといえる。
改革は手段と目的がすぐ逆転する危険性がある。制度は本来、何のために必要なのか? その目的を社員全体が共有することが、ダイバーシティ改革の第一歩だということを同社の事例が証明している。
(ジャーナリスト 佐藤留美=文)

