リオ五輪を目指すU−21日本代表の新監督は「言葉の力」を備えた“愛されキャラ”
「自分が選ばれたのはサプライズだと思います」と自ら話す手倉森監督は、1967年11月14日生まれ。日本サッカー協会での指導歴はない。五戸高校在籍時に年代別日本代表の経験はあるものの、選手としては1995年に引退。早めに指導者としての道に進み、山形や大分でコーチを歴任。2004年に仙台のコーチとなり、2008年に監督に昇格。今季で6季目となる。
10日に仙台市内でおこなわれた記者会見の場で、手倉森監督は日本サッカー協会が「ものすごく自分のことを調べていたと感じた」と述べた。彼は最初から派手な経歴に彩られてきたような、所謂「エリート」というわけではない。「チームのビルディングアップも評価されてきたのでは」と自ら話すように、地方クラブで地道にコツコツとキャリアを重ねてきた指導者だ。S級ライセンス取得のために海外研修先に選んだバルセロナのスタイルを理想としながら、現実にはJ2で経験を積む中で、派手さよりも堅実さ、守備の粘り強さを武器とするスタイルから発展を続けてきた。
組織力を重視し、そのためにはコミュニケーションが必要だと考える。今では記者会見などでの駄洒落でも広くそのキャラクターが知られるようになった。最近でもJ通算100勝を前にして、鼻風邪をひいたことをからめて「ハクション、ハクションと言っているから100勝かと」と言ってのけた。残念ながら第28節磐田戦で引き分けて100勝はならなかったのだが、そのせいか監督の鼻風邪はまだ治っていない。
監督はこういった冗談も含む「言葉の力」を重視。多読家であり、プレゼンテーション能力も高い。新戦力を獲得する際には、自ら面談で口説いたことも少なくない。また、東日本大震災で大きな被害を受けた2011年に、「被災地の希望の光になろう」と呼びかけてチームをいっそう結束させたこと、ホームタウンや日本にメッセージを伝えたことも見逃せない。
若い選手たちを集めてのチーム作りとなるU−21代表監督就任に際しては、「監督の立場、男同士の立場、人生の先輩の立場からアドバイスしたい」と、この世代相手ならではのコミュニケーションを考えているようだ。
手倉森監督にとっては飛躍のチャンスだが、クラブにとっては、彼の培ってきたチームを監督交代後どう発展させていくのかが悩みどころとなる。この会見の場で、同席した株式会社ベガルタ仙台の白幡洋一社長は手倉森監督が複数年契約を結んでいたことを明らかにした。チーム作りの途中で退任することとなった同監督の後任は、現在のところ「白紙の状態」(白幡社長)。チームの土台を引き継げる人材探しは、慎重に行わなければならない。
今後は手倉森監督が「これまで4回行ったことがあり、縁を感じている」というリオデジャネイロへの道でいかなるチームを作っていくのかに注目が集まりそうだが、ひとまず彼には目の前のミッションがある。「来年の1月1日までベガルタ仙台での仕事をするつもり。決まった以上、下手な仕事はできない」。残り6試合となったリーグ戦で上位に食いこむこと、その1月1日に決勝戦のある天皇杯で初のタイトルを勝ち取ること、鼻風邪を治すことなど、手倉森監督には、仙台の監督としてやるべきことが残っている。
文●板垣晴朗

