元調教師・秋山雅一が教えるレースの裏側
「走る馬にはワケがある」
連載◆第7回

競馬のレースを見ていると、カラフルな覆面のようなものをつけていたり、鼻面や頬にボア生地の細長いパットを装着していたりする馬を見かけることがある。それらは矯正馬具(馬特有の気性難を解消するための馬具)と言われ、競走馬がレースできちんと力を発揮するために重要な役割を果たす。今回は、そうした矯正馬具のことについて、元調教師の秋山雅一氏に解説してもらった。

―― まず、レースや調教でよく使われている矯正馬具にはどんなものがありますか。

秋山:主なものは、ブリンカー、チークピーシズ、シャドーロール、パシュファイヤー、そしてメンコの5つです。それぞれ、馬の視野を狭めたり、聴覚を制限したりするために使います。なぜ、そうしたことが必要になるのか、矯正馬具の用途とその効果をひとつひとつ説明しながら、解説していきましょう。

 もっとも一般的で、古くから使われていたと思われる馬具は、ブリンカー(JRAのレースで使用する際は届出が必要)です。おそらく最初に使い始めたのはアメリカでしょう。過去のアメリカのレース映像を見ても、ほとんどの馬が着用していましたからね。日本でも早くから使われていて、私が調教助手になった1970年代の中頃には、すでに使用している馬がいました。

 遮眼革(しゃがんかく)とも呼ばれるブリンカーは、強制的に馬の視界の一部を奪って、視野を狭める馬具です。覆面マスクのようなものを着用している馬を見たことがあると思うのですが、その覆面の目穴の周りの部分に、合成ゴムやプラスチック製のカップを取りつけて、馬の視野を限定しています。

 では、なぜ馬の視野を狭めなければいけないのか。

 人間の目は正面を向いているので、かなり広い範囲を見渡せる人でもおよそ180度の視界を確保できるぐらいで、それ以上後ろのものは見えないと思うんですよ。翻(ひるがえ)って、馬の目の位置は顔の外側についています。ゆえに、人間よりも視野が広く、後方もよく見えるわけです。

 そうすると、神経過敏な馬は、いざレースを迎えたときに、横や後ろをキョロキョロと見たり、場合によっては頭の上のほうを見たりして、レースに集中できないことがあるんです。そういう馬には、余計なところに視点を持っていかせないようにして、できるだけ前方を見てレースに力を注げるようにしなければいけません。そのためには、視野を狭くする必要があり、その役割を果たすのが、ブリンカーなんです。

―― 視野を狭くするためのカップ(ブリンカーの深さ)は、大きさが決まっているのですか。

秋山:特に(大きさの)規定はありません。少しだけ視野を狭める小さいモノから、視野の範囲をかなり狭める大きなモノまで、いろいろな種類のカップがあります。色や形もさまざまですね。

 どのくらいのカップを使用するかは、いろいろな大きさのモノを試してみて、馬の反応を見ながら調節していきます。小さいからいいとか、大きいからいいというものではなく、小さくて浅いカップのほうが効果のある馬がいれば、目の周りをほとんど覆ってしまって、わずかな隙間から前が見える程度のフルカップというものでないと効き目がない馬もいます。

 また、ブリンカーと同様、視野を狭めるための矯正馬具として、チークピーシズを使用する場合があります。チークピーシズは、ブリンカーとは違った形状で、馬の頭絡(とうらく/手綱につながっている、馬の頭部に取りつけられた革ヒモ製の馬具)の頬革(ほおがわ)に着けるボア状のものです。これも、後方の視界を気にする馬には有効で、浅めのブリンカーと効果は一緒です。

―― ブリンカーやチークピーシズを着用すれば、どんな馬でもレースに集中できるのでしょうか。

秋山:そうとは言い切れません。かつて私が管理していた馬の中にも、ブリンカーを装着したことが逆効果になったというケースがありました。どうしてかというと、視野を狭められたことで、逆に恐怖心を覚えてしまったからです。もともと競走馬は草食動物ですから、臆病な面があります。それまで見えていたものが見えなくなれば、不安を感じるのは当然です。結果として、ブリンカーをつけた途端に、まったく動かなくなってしまった馬がいました。

 それに、調教で効果があったからといって、レースでもいい結果に結びつくとは限りません。というのも、調教とレースとでは、馬の精神状態がガラッと変わってしまう場合があるからです。(普段過ごしている)トレセンで調教として走るのと、競馬場に行ってレースを走るのとでは、まったく別モノですから。

 さらに、ブリンカーやチークピーシズによって「集中力を増す」ということが、諸刃の剣になることもあります。

 レースにおいては、ある程度息を入れて、緩急をつけて走るのが大事です。それは、長距離のレースだけでなく、マイル(1600m)や短距離、1000mの直線競馬でも同じです。ところが、ブリンカーやチークピーシズを着用したことで、馬が集中し過ぎて、むきになって走ってしまい、スピードがコントロールできなくなってしまった、というケースが稀(まれ)にあります。

 それで、普段のトレーニングや追い切りのときだけブリンカーやチークピーシズを着用して、レースではあえて使用しないこともありました。「なんで?」と思われるかもしれませんが、調教のときだけブリンカーを使うことで意図的にむきに走らせて、レースでは緩急のついた走りができるようにしたかったのです。

 何はともあれ、ブリンカーやチークピーシズに限らず、矯正馬具はレースの結果を見ながら使用してみたり、使うのをやめたりというのは頻繁にあります。そして、どういうものが合うのか、調教師たちは日々試行錯誤を繰り返しています。

―― 次回は、三冠馬ナリタブライアンのトレードマークにもなった、シャドーロールについて教えてください。

text by Sportiva