四位厩舎の調教助手として新たなスタートを切った西谷

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 西谷誠が4月30日付で引退した。記者が障害で最も応援したジョッキー。きれいなフォームをずっと見たかった。JG1・4勝を含む重賞22勝、障害通算200勝。史上初の3年連続JRA賞最多勝利障害騎手受賞など、功績をたたえたい。

 騎手だった父の影響でこの道を選んだわけではなかった。「美術系に進むと思っていた。小学校の時に粘土の作品で県1位を獲ったし、絵を描くのも好きだったから。トレセンの子は小学5年から乗馬をするけど、自分は中学1年から。友達がいるからっていう理由で競馬に興味はなかった。競馬学校も友達が受けるから受けた。いいかげんなスタート」と笑う。

 95年3月にデビューしたが、体重維持が難しく11年3月に平地免許を返上した。「誠を障害リーディングにする」。当時の師匠である瀬戸口勉元調教師(享年81)の思いを背に、3度頂きに立った。「一番うれしかったのは、師匠の定年2カ月前にマルカラスカルで06年中山大障害を勝てたこと。先生の奥さんが泣いてるのが見えて、鬼のようにもらい泣きした」と照れる。

 瀬戸口師と西谷は師弟の象徴だった。「馬が好きで面倒見が良く、人情味もあった。すごい人。(調教師を)引退する2年前(05年)にリーディングを獲るんだから。定年せんでいいやろ、って声が上がったのは先生が最初。こんな僕を最後まで育ててくれた」と感謝する。

 入学時160センチの身長が卒業時は172センチまで成長。「背骨が縦に折れて3センチ縮んだ」と言うが、最も高い時は178センチあり、減量と戦い続けた。「体重が重くて同期で一番最初に辞めるだろうと思っていたけど最後まで残った。同期や同級生のためにまだまだ乗るつもりだったけど、40歳を過ぎて体重が落ちにくくなった」と説明する。

 過酷な日々だった。レース後は吐いて2、3日回復せず、そこから絶食、水抜き、サウナと続く。勝ちを意識できる馬がいないとモチベーションを保てない。「減量して勝てないとしんどさだけが残る。週中から節制すると気が狂うし、長くできない。ケガをしたら栄養を取らないと骨も引っ付かないし、水を飲んでも太る。減量はやった人しかわからない」と険しい表情で語る。

 ケガも多かった。「頭以外は全部。骨折リストを出したら歴代1位じゃない?間があくと恐怖心が出るから折れたままでも乗りたかった」。長いあぶみで乗れば安全性は増すが、こだわりがあった。「短いあぶみで乗れないなら乗らない。障害も、平場のあぶみの短さで乗った方が格好いいし、馬に負担もかからない。憧れた人が四位(洋文、元騎手で現調教師)さんだし、格好よく乗りたかった」。リスクを承知で美学を貫いた。

 32年の騎手人生。喜びはあっても満足することはなかった。「どの馬に対しても俺じゃなかった方が…って考える。負けたらアプローチが間違えていた。もっと楽に勝たせてやれなかったかな、と。師匠から『馬でご飯を食べさせてもらっているんやから、愛を持って馬に接するように』と教わったから向上心をなくさないように」とうなずく。

 「うまく話せないし、泣くから」。そんな理由から引退式を断ったが、ファンに伝えられなかった胸の内を明かしてくれた。「未練はない。生まれ変わってもジョッキーをやりたい。プレッシャーもすごいけど、いい仕事。減量とケガさえなければ、ずっと続けたいよ。身長があと10センチ縮んだままでね(笑)。オーナー、調教師、先輩…。人にも馬にも助けられた。助手でもやることは変わらないし、お世話になるオーナーの馬でG1を勝ちたい。それが夢」。引退後は四位厩舎の調教助手として日々、馬と接している。もう減量に苦しまなくていい。今年の10月で50歳。これからは楽しく馬を育ててもらいたい。(デイリースポーツ・井上達也)