デジタル写真技術の粋を結集し、肉眼では見られない「マイクロプレゼンス」を捉える――「養老孟司と小檜山賢二の虫展」番外編
解剖学者で大の虫好きとしても知られる養老孟司氏と、対象物の全てにピントを合わせる深度合成技法で昆虫写真の新たな可能性を切り拓いた小檜山賢二氏。虫友だちとして40年以上にわたり互いに刺激を受けてきた二人による「虫展」が東京都写真美術館で開催されている。その、これまでにない趣向の展示内容と、小檜山氏が手掛ける昆虫写真の世界に迫る。
【写真を見る】体長わずか2.5ミリの「トゲトゲクロサルゾウムシ」の超拡大写真に思わずゾワゾワ
小さな虫のあらゆる細部にピントを合わせる
「養老孟司と小檜山賢二の虫展」(3月21日〜5月24日、東京都写真美術館)の目玉は何といっても、「深度合成」によって小さな虫たちの姿を可視化した巨大なデジタル写真の数々だ。深度合成とは一つの対象をピント位置を変えて何度も撮影し、各写真のピントが合った部分だけをコンピュータで切り出して合成する技法のこと。通常、わずか数ミリから数センチの虫を接写撮影してもピントは体の一部分にしか合わないが、深度合成を駆使すればあらゆる細部にピントを合わせた昆虫写真を作ることができる。

情報通信工学者として日本のデジタル無線通信やモバイル通信の発展に大きく貢献したPHSの生みの親、小檜山賢二氏はこの深度合成技法のパイオニアとしても知られている。画像編集ソフト「Adobe Photoshop」が発売された1990年から手動で昆虫写真の深度合成に取り組んできた。その動機について当人はこう話す。
「普段、多くの人は虫の姿形を何となくわかったつもりになっていると思います。例えば、今回の展示作品で一番小さな昆虫であるトゲトゲクロサルゾウムシは体長わずか2.5ミリ。その体表は目視だとただの真っ黒にしか見えませんが、深度合成写真を作って拡大してみると、非常に細かい構造を持っていることがわかります。こうした驚きを多くの人に味わってもらいたくて作品を制作し続けてきたんです」
1995年、早くもこの小檜山氏の昆虫写真に注目したのが養老孟司氏だ。同年の『芸術新潮』1月号「20世紀を決定した目」特集の中で小檜山氏の作品を取り上げ、日常的な環境に存在する小さきもの、肉眼では詳細を把握できない微細なものを意味する「マイクロプレゼンス」を捉えた新たな昆虫写真として高く評価した。小檜山氏はこれに自信を得て、本格的にこの深度合成の研究を始めることに。当時は画像編集技術の草創期であり、手作業での深度合成はひたすら根気勝負だったという。
「まず、昆虫とカメラの距離を少しずつ変えながら、あるいはレンズでフォーカスの位置を変えながら何度も撮影を行って、ピント位置の異なる30〜50枚の写真を用意します。そしてこれらの写真の中からピントの合った部分のみを切り出し、別のところにピントの合った写真と貼り合わせる。これを延々と繰り返すことで、全体にピントの合った“一体の昆虫”の写真ができあがるんです。全て手作業なので大変ですが、できあがった時は嬉しくてたまりません」
超高精細な昆虫3Dモデルの開発にも挑戦
「虫展」の会場では、この地道な作業によって実物の何百倍にも拡大された昆虫たちの姿をじっくり観察することができる。中には人間よりも大きなサイズのものもあって迫力満点だ。
ただ、現在はレンズの焦点を自在に変化させる「フォーカスブラケット」機能が備わったカメラも多く、全体にピントが合った画像を自動で作成できるようになっている。そこで小檜山氏が今、「もっとおもしろいことを」とチャレンジ中なのが「3Dガウシアンスプラッティング(3D Gaussian Splatting)」という新技法である。これは一体の昆虫を様々な角度から捉えた約3000枚の深度合成写真から「点群」のデータを抽出し、それらを組み合わせて高精細な3Dモデルを作り出す技法。小檜山氏は「虫展」に合わせ、数十年前から蓄積してきた自らの昆虫写真のデータを生かし、技術者と連携して短時間で十数種類の3Dガウシアンスプラッティング作品を完成させた。会場の一角で超高精細な昆虫の3Dモデルが回転する動画を見ることができるのでぜひチェックしてみてほしい。この3Dモデル、何がすごいかというと、
「見る角度や光の当たり具合で昆虫の体表の色合いや光具合は変化するが、3Dガウシアンスプラッティングによって、その複雑な変化を忠実に表現することができるようになりました。もう1つ驚異的なのは、これまでどんな技術でも難しかった昆虫の体毛や微妙な質感までも3Dガウシアンスプラッティングなら自在に表現できること。まさに革命的です」
この技術はまだ開発途上だが、小檜山氏は
「いずれは3Dモデルを実際の虫のように動かしてみたい」
と少年のように目を輝かせる。今後もこれまでにない昆虫写真・動画の世界を見せてくれそうだ。最後に、驚きと感動に満ちた「虫展」の鑑賞のポイントを小檜山氏自身に聞いてみた。
「虫展ではいわゆる“解説”を設けず、作品には基本情報として和名、学名、そして実物大写真のみを設置しました。とにかく余計な情報と先入観を捨ててじーっと昆虫たちの姿形を見てほしいからです。普段、昆虫に限らず何か一つのものをそんなふうに眺めたことがある人はほとんどいないでしょう。そうやって眺めると必ず何らかの発見があるはずです。そして養老さん曰く『発見した自分はもうそのままの自分とは変わっている』。この展覧会を通して、多くの人に自分の中の何かが変わる体験をしてほしいですね」
小檜山氏の写真と写真の間や会場の各所に配された養老氏の言葉にも要注目である。
「まずは養老さんの言葉を一つひとつ読みながら写真を見て回ってみて、全て見終わったら再度入口に戻り、今度は特に気になった作品をじっくり見ることに集中しながら会場を回る、といった具合に2回鑑賞するのがオススメです」
「養老孟司と小檜山賢二の虫展」は東京都写真美術館で5月24日まで開催後、夏には豊田市立博物館、秋には岡山県立美術館ほかその後も全国各地を巡回予定。記事の後編では、養老氏の側から見た「虫展」の魅力にスポットを当てる。
デイリー新潮編集部
