障子の割れ目から中を覗き込むと、そこには変わり果てた姿の子供たちが⋯⋯。1946年、長野県の田舎村で起きた凶悪事件。

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 現場に残されていたのは、薪割り用の「ヨキ」と呼ばれる斧。警察はこれをもとに捜査を進めるが、なかなか犯人にたどり着かない。ついには食糧不足もあいまって、捜査は縮小する事態に⋯⋯。鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


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夫を亡くしたばかりの女性宅を訪ねると⋯

 1946年5月10日18時ごろ、長野県下伊那郡市田村大島山(現・同郡高森町大島山)在住の主婦が、前年に夫を亡くした後沢貞(当時38歳)の家を訪ねた。

 この日、隣組でお産があり、その誕生祝を届けるためだった。が、夕食時にもかかわらず、何度名前を呼んでも返事がない。

 主婦は貞や子供たちが前日、山菜採りに行ったことを知っていたため、毒草にでも当たって寝込んでいるのかと思い、障子の割れ目から中を覗き込んでみた。と、やはり貞らしき女性や子供たちが座敷に敷かれた布団の上に横たわっている。

 主婦は改めて大声で名を呼んだものの、一向に起きてくる様子はない。いよいよ不審に感じた主婦は親類や隣組の人々を集めて貞宅に入る。果たして、屋内は血の海で、貞と長男(同12歳)、次男(同9歳)、長女(同6歳)、三男(同3歳)の母子5人、さらに貞の妹でこの家に同居していた小室一江(同25歳)と彼女の娘(同3歳)の計7人の変わり果てた姿が見つかった。

 通報を受けた長野県警飯田署の捜査員が駆けつけ、現場検証を行った結果、被害者7人はいずれも、就寝中に薪割り用の斧(現場に残されていた)で頭部もしくは額を1、2回殴られて殺害されたものと推定された。

 また、司法解剖で胃腸内の食物の消化状態が確認され、死亡推定時刻は9日21時ごろから10日午前1時ごろと判明。さらに現場から玄米4俵が盗まれていること、犯人が外から室内の様子を窺うために唾液で開けたとみられる障子の穴が見つかった。

凶器をもとに捜査を進めると⋯

 警察は、凶器である薪割り用の「ヨキ」と呼ばれる斧の線から本格的な捜査を開始する。斧には「市」の刻印があり、1930年(昭和5年)に下伊那郡山吹村(現・高森町大字山吹)で10丁制作されたもののうち、市田村下市田の住民が購入して地元の製糸組合に納入、釜焚きの薪割りに用いられていた7丁のうちの1丁だったことが判明。

 警察は斧の納入を受けていた製糸組合の従業員・出入り業者など293人を徹底的に調べた。

 しかし、事件当時は終戦直後の混乱期で、かつそれから15、16年前に遡っての捜査であることに加え、斧の保管責任者が1943年に満州に行ったまま消息不明になっていたことなどから調査は困難を極め、最終的に7丁の斧のうち3丁は雑役夫や火夫の助手たちに盗まれていたことがわかったものの、残り4丁の所持者や行方は最後まで明らかにならなかった。

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 警察は「現場に土地勘のある地元住民」であると犯人像を絞り込んだ。住民たちは村のどこに「大量殺人犯」がいるかわからない状態から疑心暗鬼に。7人を殺害した「犯人の正体」とは――。

「犯人は単独犯」「土地勘のある人物」長野県の未亡人宅で7人殺害⋯住民同士を疑心暗鬼に追いやった「凶悪犯」はどこへ消えた(昭和21年の事件)〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))