介護帰省で東京と往復「缶ビール1本飲む余裕もない」作家が特急を1時間半送らせて作った「駅舎のショートトリップ」
家族にも世の中にも取り残され、50代ひとり
カレンダーの並びがよく、大型連休となった今年のゴールデンウィーク。
今月2日にリリースされたJTBの調査では、海外旅行を計画している日本人は約57万2,000人。国内旅行者を含めると、約2,450万人がゴールデンウィーク期間中に旅行を計画しているという。
そんな賑やかなニュースにやきもきさせられる筆者は、50代家族持ち。が、子どもたちは親と出掛けたがる年齢をとうに超え、バイトに遊びに忙しく、夫もいそいそとゴルフ道具の手入れをしている。
家族にも世の中にも取り残され、ノープランの焦りを覚えた筆者の気持ちを落ち着かせてくれたのは、大平一枝さんの著書『ある日、逗子へアジフライを食べに』(幻冬舎新書)だった。
遠くへ行くことや、予定を詰め込むことだけが旅ではない。ひとつだけ小さな目的を決めて、あとは行き当たりばったりの「大人のこたび」。
前編「ゴールデンウィーク直前なのにノープラン。『それでもどこかに行きたい』焦る50代女性が学んだ『大人のこたび』」では、「できるだけ主要駅から電車1本で行けて、夜、クタクタに疲れるちょっと手前で家に戻れる場所」を日帰りから始める、「こたびの始めどころ」をご紹介している。
本書には、日帰りどころか、仕事のついでや散歩の遠回り、病院の健康診断後に見つけた「こたび」についても綴られている。
大平さんの軽やかな「旅」の体験を読むうちに、「どこかへ行かなければ」という焦りは、自然と消えていった。
どこへも行けないと思っていた日々
一方で、大型連休や海外旅行の話題に、そもそも浮き足立つことすらできない人もいる。仕事や家庭の事情で身動きが取れなかったり、誰かのために時間を費やさざるを得なかったり。華やかな旅のニュースが、かえって遠い世界の出来事のように感じられることもあるだろう。
実は大平さんにも、そんな時期があった。(執筆時の)約1年前、父親が突然倒れ、長野と東京を往復する生活が始まった。移動はあっても、旅ではない。気を張り詰めたままの帰省と、東京に戻れば、普段以上のペースで仕事も家事もやらなければならない。心がほどける余白どころか、仕事後の晩酌が楽しみの大平さんが、「缶ビールの1本も飲んでいなかった」。
そんな時、「実家と東京の間に、なにものでもない違う時間が欲しかった」大平さんが見つけた場所とは。
どこへも行けないと思っていた日々のなかにも、実は差し込める余白がある。どこかに行く余裕がなくても、誰かと予定が合わなくても、自分を取り戻すための「こたび」。
『ある日、逗子へアジフライを食べに』より、抜粋掲載でお伝えする。
介護のすきまに広がる世界
遠い話だと思っていた介護の扉が、ある日突然ぱっかんと眼の前で開いた。
約1年前、あまりにも急すぎて何の心の準備もないまま、長野の実家への往復が始まった。父が倒れたのだ。
といっても現在は回復し、要介護度──この言葉も人生で初めて自分ごととして使い、いまだに慣れない──は最も軽く、怒涛の3か月間が嘘のように、元気に趣味の家庭菜園をぼちぼち再開している。
正確には80日間に、JR中央線を特急あずさで5回往復した。それまでは年に1、2度帰省する程度だった。
仕事のやりくりに四苦八苦し、これが永遠に続くのだろうかと、早くも途方に暮れかけた。私の何十倍も苦労している友達がいるのに、どこか他人事(ひとごと)だったのだなあと今頃自分を省みる。
一度目の帰省は親戚の葬儀だった。まさかその4日後に、父が倒れて再び同じ駅に降り立つとは思いもしなかった。
初回は、駅に着いてから葬儀まで1時間以上あったので、ひとり駅周辺を歩いてみた。振り返ると、いつも帰省するときは、家族の迎えの車にすぐ乗り込み、実家まで脇目も振らず直行する。転勤の多かった父がこの街に家を建てたのは、私が進学で家を出たあとだったこともあり、この駅界隈のことをなにも知らない。
ホーム内に葡萄棚があったり、こんなすきまに立ち食い蕎麦屋がと目を丸くしたり。何十回と通っているのに、まったく気づかなかったことに驚く。
たしか駅の中二階(ちゆうにかい)に、登山客が集まるロッジ風の純喫茶があったはず、それだけは知っているぞと、店を探す。夜は無人になるその駅唯一の喫茶店だった。
ロータリーに続く下りの大階段の脇、数段下がった目立たぬ先に、その小さな扉はあった。
ひとり席に座り、まずは生ビールを一杯
しかし、なんだか雰囲気が違う。思いきって押すと、カウンターに並んだワイングラスが目に飛び込む。
内装をフルリノベーション、椅子やテーブルも一新され、ワインと料理の店になっていた。
ロータリーと線路を見渡せる大きな窓側に、一枚板のカウンターがある。バックカウンターの上には、地元ワイナリーのグラスワインやハートランド生ビール、ワインの飲み比べ3種などと書かれた黒板が。
カキのアヒージョ、ホタテのトマト煮、おつまみセットなんてのもある。
窓に面した外を見下ろせるひとり席に座り、まずは生ビールを一杯。次にミニグラスワインと前菜3種のセットを頼んだ。燻製の合鴨ロース、いぶりがっこクリームチーズ、ミックスナッツに赤か白のワインを選べて1000円である。
安さも含めて、店自体が引っ込んだところにあるためか、隠れ家を見つけ当てた気分だった。
その後、葬儀場に行った。次はいつ来れるかわからないのに、「また来ます」と口から出ていた。
そして翌週、思いがけず再びの帰省。
父の入院で心細くなっている母の手伝いや介護用品の手配、各方面への連絡などに追われた。父の退院に備え、家の一部をリフォームすることになり、メールや電話のやりとりもひっきりなしだった。
5日間があっというまに過ぎ、気づいたら缶ビールの一本も飲んでいなかった。
幸い原稿の締め切りはなかったものの──だから急遽駆けつけることができた──、仕事のメールは3本返すのがやっとだった。きっと飲もうと思えばできたろうが、翌日までに決めなければいけないことに追われ、その気持ちになれなかった。
5日ぶりの金色の液体は、体と心にしみた
くたくたになりながら最終日の夕方、スマホで電車の予約をしかけ、ふと思いたち、1時間半後の特急にした。駅のあの店で、ひと休みしようと思ったのだ。
「いらっしゃいませ」
この間と同じ女性が、変わらぬ笑顔で迎え入れてくれる。私が帰省客であることも、ましてや家の事情もなにも知らない。どこの誰かもわからない。唯一、先日来た人、という事実だけ覚えているのがアイコンタクトでわかる。
生ビールを頼み、キンと冷えたビールグラスが運ばれてきた。丁寧に入れられたことがわかる細かい泡。汗をかいたグラス。ふーっと深い息が漏れた。5日ぶりの金色の液体は、ことのほか体と心にしみた。
ほかに客はいない。
カウンター越しにポツポツと会話を交わす。女性が言った。
「さっきまで、あずさに遅延がでていたようですよ」
「え、今は?」
「平常通りだそうです。良かったですね。東京ですか」
そこから自分が父の入院で帰省したことなどを話した。
立ち入りすぎず、さりとて放置しすぎず。絶妙の塩梅が心地いい。
東京に帰れば、仕事があり家事があり、母になり妻になる。実家では、不安がる母のために奮起したつもりだったものの、けっこう空回りをして、しばしば母とぶつかる娘の顔になる。
実家と東京の間に、なにものでもない違う時間が欲しかった。
今の状況を誰も知らない街の片隅で、けれど完全に知らん顔されるわけではない故郷らしい距離感で、ひとりになりたかった。これは介護帰省のこたびならではの感覚だと思う。
自分の羽を休める第三の居場所
あまりの居心地の良さと、5日間を乗り切った安堵感で、結局そのあと前菜とグラスワイン3種飲み比べをさらに頼んでしまった。あらためて知る地元ワインのおいしさに感激しつつ、「ひと休み」の域を超えているぞと苦笑する。
先の心配は考えだしたらきりがないけれど、ひとまずここで、よれよれの心を洗濯することはできた。
少し軽くなった体で、数段の階段を上り、改札に向かう。
帰宅後しばらくして、もう2年も介護のため香川への帰省を毎月続けている友達に聞いた。
「息抜きしないと、自分が倒れちゃうね。◯◯ちゃんは、どうしてるの」
「介護は長丁場だから、自分の楽しみがないとやっていけないよ! 私は地元でけっこうライブに行ってる。義妹と、遠くのカフェも。顔なじみのレコード屋の店主もいて、帰るとそこに寄るのが楽しみなんだ」
大変そうだなと傍から見ていたが、音楽好きの彼女は彼女なりのやり方で、帰省先で自分の羽を休める第三の居場所を作ってなんとか気持ちを上げていた。私なぞよりつらいことが何倍もあるに違いないが、自分養生あってこその介護であると心得ていた。いや、彼女は通いながらどうにか試行錯誤を重ねるなかで、そこに気づいたのかもしれない。
この話を編集者にしたら、「私の知り合いにも介護で帰省すると、帰りに少し足を延ばして観光名所を訪れたり、温泉や美術館など気になっていた近くの場所を訪れるのを楽しみにしている人がいます」とのことだった。
実家の近くの観光スポットというのは、なかなかそこを目当てに行かないものだ。ふだんは帰省が最大の癒やしであり、大目的になるためだ。
介護便乗ひとり旅は、裏返せば、そういうささやかな楽しみでもなければ容易に乗り切れないという証でもある。ゴールがなく、ともすれば孤独感も抱く。
それでも、自分養生の快は、ないよりあったほうがずっといい。自分らしいささやかな場所を探すのも楽しい。駅階段脇の小さな扉の楽園のように。
このこたびは、駅舎1時間のショートトリップから始まったばかりである。もし次なる事態が訪れたら、安曇野の田園にぽつんと佇む自家焙煎珈琲店を、予定に足そうと考えている。
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