一口のモンブランが、人生を変えた。ショコラティエ・江口和明の「一撃必殺」
東京を中心に7店舗を展開するパティスリーカフェ「デリーモ」のシェフパティシエ・ショコラティエ、江口和明さん。YouTubeチャンネルの登録者数38万人を誇るお菓子の伝え手だが、その原点は料理人の家に育ちながら質素な食卓で育った少年時代と、谷中の洋菓子店で食べた一口のモンブランにある。クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」で語ってくれました。
兄と二人で作った、すいとんの食卓

江口さんが育ったのは、東京・台東区の上野エリア。父は和食の料理人、母は栄養士という食のプロの家庭だったが、二人とも帰りが遅く、子どもの頃の食卓は質素だった。
兄と二人で小麦粉を手に入れ、水で練ってすいとんを作った。砂糖醤油か、きな粉か、浮いてきたらOKか。そういう食卓が、兄弟の共通の宝になっている。
「84年生まれですいとんってありえないでしょって言われるんですけど、僕からしたらみなさんの方がありえなくて、すいとんだったという事実しかなくて」
父が深夜に帰宅して「何か作ってやるよ」と言ってくれる夜もあった。ただし、包丁を研ぐところから始まる。できあがるのは、玉ねぎをめちゃくちゃ薄く切って、晒して醤油をかけただけのものだ。
「お兄ちゃんとまねして薄く切ろうと思うんですけど、できなくて。そこで父親すごいなみたいな」
贅沢な食材は出てこない。それでも、父の包丁の技が光る瞬間だった。今でも家族が集まるとその話になる。
台東区育ちの少年は、学校では短ランに裏刺繍というやんちゃな日々を送りながら、食べることで感動するという体験を、まだ知らなかった。
「こんなのが世の中にあるんだ」一口のモンブランとの出会い
転機は、母が谷中のある洋菓子店からモンブランを買ってきた日に訪れた。ホテル西洋銀座の伝説のシェフ・稲村省三さんが、谷中墓地のそばに店を開いたと話題になっていた頃のことだ。
稲村さんのモンブランは、上野の山のように栗のペーストを表面に広げた、どっしりとしたたたずまいをしている。
「食べたときにめちゃくちゃ感動したんです。こんなにやんちゃしているのが恥ずかしく思えたほど。食べ物で感動するというのが人生で初めてだったと思います」
デリーモを創業した当初、江口さんはメニューにモンブランを置かなかった。「恐れ多すぎて。モンブランという名前をつけたものなんて、やっちゃいけないと思っていて」。自分のブランドが軌道に乗り、確かな手応えを持ってから、ようやくメニューに加えた。今はデリーモの看板メニューのひとつになっている。
稲村さんの店から始まった、体験の設計
あの一口の感動が、パティシエの道に進む原点になった。
その後、洋菓子の老舗「フランセ」で誰よりも遅くまで残ってスポンジを焼き続け、レストランを運営する「グローバルダイニング」で経営を学んだ。無名の29歳で開いた赤坂の店で、カフェの商品をすべて無料にしたのも、まず食べてもらうことがすべての始まりだという確信からだった。
それらすべてが今、デリーモのお菓子の設計に流れ込んでいる。パフェのスプーンは小さい。大きな口を開けなくても食べられるサイズで、リップが汚れない。一品ずつ説明を添えたカードを用意するのも、店員を呼ばずに、その人の時間の中で静かに食べてほしいという思いからだ。
「届いたらその人の世界観の中で好きに食べてほしくて。始まりのタブレットを最初に食べてほしいと書いているのは、まずチョコを食べて1呼吸して食べ始めてよ、ちょっと落ち着きなよっていう意味なんです」
感動させられた体験を誰かに渡したい。そのためには、口に入れる瞬間だけでなく、手に取る瞬間から設計する必要がある。
「感動させられた」あの一口を、誰かに渡すために

江口さんは自分のお菓子づくりを「一撃必殺」と表現する。中にジュレを仕込んだり、層を作ったりして、1個食べたら満足する。3〜4口で食べ終わる。
これは、一般的なお菓子屋さんの考え方とは逆だという。
「本当はお菓子屋さんって、2、3個食べてもらわなきゃいけないように作るんですよ。でも僕は2個3個食べさせるなんて失礼すぎて、本能として一撃必殺なんだと思います」
この感覚が稲村さんのモンブランから来ていることは、江口さん自身も認める。
「影響されているんだなって思いました」
食べることで感動するという体験を、初めて知った一口がある。すいとんと薄切り玉ねぎの食卓を知っている人間が、あの瞬間に初めて感動した。スプーンのサイズを決め、ケーキの層の数を考える。そのすべては、あの体験を誰かに渡すためにある。
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【ゲスト】
第70回・第71回(3月27日・4月3日配信) 江口和明さん

シェフパティシエ・ショコラティエ。
1984年東京都台東区生まれ。製菓専門学校卒業後、渋谷フランセ、高級チョコレート専門店などを経て、日本初上陸のベルギー老舗ショコラトリー「デルレイ」のシェフに就任。26歳でグローバルダイニングに入社し、経営を学ぶ。2013年、29歳でパティスリーカフェ「デリーモ」を創業。現在、東京を中心に7店舗を展開。2020年よりYouTubeチャンネルをスタートし、登録者数38万人を誇る。
HP:delimo.jp
Instagram:@delimo_patisserie
【パーソナリティ】
クックパッド株式会社 小竹 貴子

料理愛好家・料理の楽しみ共創室 部長/創業期から参画し、初代編集長としてメディアづくりに携わる。現在は、料理家や生産者といった食のつくり手の声を届ける活動を行っている。「日経ウーマンオブザイヤー2010」受賞。プロの技術や食材の背景にある物語を、暮らしに馴染む言葉で伝えることをライフワークに、生活者の目線で食の楽しさを探求している。
X: @takakodeli
Instagram: @takakodeli
この記事はクックパッドのポッドキャスト番組『ぼくらはみんな食べている』の配信内容を再編集した記事です。
