ヒト史上、最初に「ミルク、飲むこと覚えたやつ」。天才か…生物が「学習」して進化しても、それも「自然選択の域を出ない」、確かな理由
生物が、学習などで自ら進化の道筋を決めることは「生物淘汰」と呼ばれます。
アメリカの心理学者であるジェームズ・マーク・ボールドウィンは、ダーウィンの『種の起源』で唱えられた「自然淘汰」よりも、さらに踏み込んで、生物が自ら進化の道筋を決められるような進化のしくみとして「生物淘汰」を提唱しました。
ボールドウィンの理論は、ダーウィンの進化理論とラマルクの進化理論の折衷案だと考えた学者もいたそうですが、果たしてそうなのでしょうか。
進化が認められた世代、ボールドウィン
アメリカの心理学者であるジェームズ・マーク・ボールドウィン(1861〜1934)が生まれたのはダーウィンの『種の起源』が出版された2年後であり、ボールドウィンはすでに進化が認められた世界で成長していった。
しかし、進化の仕組みについては、まだ議論が続いていた。『種の起源』は出版から10年ほどで、生物が進化する事実を世界中に認めさせた半面、進化の仕組としての自然淘汰を認めさせることには、なかなか成功しなかったのである(認めさせるのに半世紀以上かかった)。
そんななかでボールドウィンは、自然淘汰を認めていた一人ではあったけれど、それだけでは満足しなかった。
私たちは自由意志を持ち、(少なくともある程度は)周囲の環境に影響されずに行動を決めることができる。そうであれば、進化の向かう先も自分たちで決めることができるはずだ。
ところが、自然淘汰の理論によれば、私たちのすべての行動は、生存と生殖に有利なように決められてしまう。しかし、そんなはずはないとボールドウィンは考えた。そして、生物が自ら進化の道筋を決められるような進化の仕組みがあるはずだと考え、そういう進化の仕組みを「生物淘汰」と呼んだのである。
生物淘汰は、ダーウィンとラマルクの折衷案!?
生物淘汰の仕組みについて説明する前に、ジャン=バティスト・ラマルク(1744〜1829)の進化理論について述べておこう。なぜなら、生物淘汰は「生物が自ら進化の道筋を決められるような進化の仕組み」という点で、ラマルクの進化理論と混同されることがあるからだ。
事実、ボールドウィンの生物淘汰説は、ダーウィンの進化理論とラマルクの進化理論の折衷案だと考えた学者もいたようだが、実際のところ、両者は明らかに異なるものである。
折衷案の、もう一方のモデル「ラマルクの用不要説」
ラマルクの進化理論によれば、生物は単純なものから複雑なものへと連続的に進化していく傾向があるという。そういう進化の原動力は生物体の中にある流体の作用であり、外部の環境とは関係がない。
とはいえ、生物は環境の中で生きているので、環境によって使用する器官が異なってくる。その結果、頻繁に使う器官は発達し、使わない器官は退化していく。これが有名な用不用説である(ちなみに「退化」は、構造が小さくなったり消失したりするように進化することであり、進化の反対語ではない)。
つまり、ラマルクの進化理論は、複雑性に向かう大きな傾向と、それを微調整する用不用という仕組みの二段階から成っており、両方とも(環境ではなく)生物が主体となって起きる進化である。
ボールドウィンの時代には、すでにラマルクは亡くなって久しかったけれど、ラマルクの進化思想を受け継ぎ、自然淘汰説を否定する人々は、第一線で活躍していた。
ドイツの動物学者であるテオドール・アイマー(1843〜1898)やアメリカの古生物学者であるエドワード・ドリンカー・コープ(1840〜1897)などが有名で、彼らの考えをネオ・ラマルキズムと呼ぶこともある。
ちなみに、アイマーもコープも化石を扱う研究者であり、古生物学の分野ではネオ・ラマルキズムが、かなり広まっていたようだ。
私も古生物学の出身だが、大学の図書館で1961年に出版された『進化学』という本を読んで、たいへん驚いた経験がある。それは、ある日本の高名な古生物学者が書いた本だったが、「古生物学者は必然的にラマルキストである」と述べられていたのである。もちろん、これは昔の話で、今はそんなことはない。
それでは、生物淘汰とはどういう仕組みなのだろうか。
生物淘汰は、学習によって進化の道筋が影響されるしくみ
それでは、生物淘汰とはどういう仕組みなのだろうか。それは、おおまかにいえば、学習によって進化の道筋が影響されるという仕組みである。
たとえば、私たちヒトの大人がミルクを飲めるように進化した例で考えてみよう。私たちヒトの乳児は、母乳というミルクを飲んで成長する。ミルクにはラクト−スという糖が含まれているが、乳児の体の中ではラクトースを分解するラクターゼという酵素が作られているわけだ。
しかし、私たちは、大人になれば母乳を飲まなくなるので、ラクターゼを作るのは無駄である。そのため、大人になるとラクターゼをほとんど作らなくなる。
その結果、ミルクが飲み難くなる。飲めないことはないが、飲むとお腹の調子が悪くなったりするのである。
ところが、数千年前に状況が変わった。
牧畜の始まりで学習した「ラクターゼを作り続ける」という「有利な形質」
牧畜が始まって、山羊や羊や牛のミルクを飲むことが、私たちが生きていくうえで有利になったのである。そのため、大人になってもミルクを飲む人が増えていったと考えられている。
たしかに、ミルクを飲むと少しお腹の調子が悪くなるかもしれない。しかし、水が不足している地域では、水分を摂らなければ死んでしまう。そういうところでは、ミルクを飲む習慣が広まったかもしれない。
これは想像で、実際の状況はわからないけれど、ともあれ総合的に考えれば、ミルクを飲む方が有利だったので、ミルクを飲む大人が増えていったことは事実だろう。
さて、私たちは大人になると、ラクターゼの産生量が乳児のときより減少する。しかし、減少の仕方は人それぞれである。なかにはあまり減少しない人もいただろう。そういう人はミルクを飲んでもお腹の調子が悪くならないので、好きなだけミルクを飲めて、健康になったかもしれない。
そういう人の方が子孫をたくさん残せたとすれば、大人になってもラクターゼを作り続ける人が増えていくはずだ。そうして現在では、私たちヒトの多くの大人が、ミルクを飲めるように進化したのだと考えられる。
生物淘汰の仕組みと「ボールドウィン効果」
上記の例では、ヒトが牧畜を学習したことにより(あるいは家畜のミルクを飲むことを学習したことにより)、ヒトが大人になってもラクターゼを作り続けるように進化したわけだ。
つまり、有利な形質(ミルクを飲む行動)を学習によって獲得した個体が集団中に広まる第1段階と、有利な形質(大人になってもラクターゼを作り続ける)を生得的に備えている個体が集団中に広まる第2段階を合わせて、生物淘汰と呼ぶのである。
生物淘汰の2段階
【第1段階】 学習によって、有利な形質=「ミルクを飲む行動」を獲得した個体が集団中に広まる
【第2段階】 生得的に、有利な形質=「大人になってもラクターゼを作り続ける」を備えている個体が集団中に広まる
言葉を変えれば、学習により獲得された形質が生得的な形質へと進化していく過程とも言える。
生物淘汰は、自然淘汰に反するわけではない。というか、自然淘汰の一つの形態と言える。そういう意味で、自然淘汰を否定したネオ・ラマルキストたちの進化理論とはまったく異なるものである。
この生物淘汰は、現在では「ボールドウィン効果」と呼ばれることが多く、当時より理論的にも整備されている。そして、学習能力が高くなるように進化が進む場合が典型的な例とされる。
まだ議論はされているものの、生物淘汰(ボールドウィン効果)が存在すること自体に疑う余地はない。生物の進化の道筋は、環境によって決められる受け身なものばかりではない。生物自身が進化の道筋を選択することもできるのである。
自然淘汰と生物淘汰の存在
ただし、生物淘汰のようなものがあることには、ダーウィンも気がついていたようだ。
ダーウィンは自然淘汰という言葉が誤解を生むのではないかと考えていた。「自然」によって「淘汰」が起きることだけに限定して捉えられることを心配していたのだ。しかし、他によい名前も思いつかなかったので、仕方なく「自然淘汰」を使っていたと言っている。
たしかに、一般に「自然淘汰」は、1匹の個体の生存率に環境が作用することよって進化が進む場合に適用されることが多い。
そのため、品種改良のように人間が選抜をする場合は「人為淘汰」と呼ばれたりするし、生存ではなく繁殖に有利な形質が選抜される場合は「性淘汰」と呼ばれたりするし、近親者も含めて作用する場合は「血縁淘汰」と呼ばれたりするし、生物の行動が引き金となる場合は「生物淘汰」と呼ばれたりするわけだ。
しかし、これらはすべて「自然淘汰」なのである。
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