【篠田 英朗】アメリカはなぜイラン戦争で自ら袋小路に追い込まれるのか トランプだけでない「体制転換願望」という病

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なぜイランで袋小路に迷い込んだのか

4月1日(現地時間)、トランプ大統領が、対イラン戦争に関する国民向けの演説を行った。「アメリカは大勝利を収めている」と主張しつつ、「あと2、3週間で終わりにしたい」と理解を求めるものだった。

アメリカにとって実際の戦況は芳しくない。泥沼の長期戦は、イランが有利である。目立った成果をあげたところで勝利宣言をあらためて行って撤退したいが、民生施設を破壊し続けても、さらなるイランの報復を過熱させるだけだ。地上兵力の展開で打開を図る可能性を維持してはいるが、現実には地上戦はあまりにリスクが高い。アメリカ主導のホルムズ海峡の完全開放には、圧倒的な軍事的制圧が必要だが、現状では不可能だ。海峡をめぐる軍事行動を起こしても、中立の立場でイランに通行を許されている諸国の船舶に迷惑をかけるだけだろう。

なぜこのような袋小路にはまり込んでしまったかと言えば、最高指導者ハメネイ師を殺害すると民衆蜂起なりクーデターなりの「体制転換」が起こり、イランという敵性国家が消える、そして支持率挽回を果たして中間選挙で勝利する、といった安直な想像に陥ってしまったからだ。(拙論「イスラエルと米国のイラン攻撃は技術に溺れた賭け」the Letter、3月1日参照)

明らかにイラン政府は一貫した継続性を保っており、「体制転換」などは起こっていないのだが、仕方がなく「体制転換はすでに起こった」と強弁することによって、「すでに勝利した」という宣言を出したい、ということが見て取れる。

非現実的な「体制転換」の願望そのものが、イラン情勢分析を怠ったことから生じた大きな間違いであった。ただし、その背景には、アメリカが「体制転換」なるものを目標にする怪しい政策にとりかれているという実態がある。本来、「体制転換」は、外部介入で作り出されるものではない。まして空爆だけで「体制転換」が引き起こされた事例など、人類の歴史に皆無だ。ところがアメリカは、深刻な「体制転換」の病にとりつかれている。そのため道を誤っている。

冷戦終焉という原体験

「体制転換」の原初体験は、冷戦の「勝利」体験だろう。1989年の東欧革命を通じたワルシャワ条約機構諸国の崩壊、及び1991年のソ連の崩壊という「体制転換」を、アメリカ及びその同盟諸国は「自由民主主義の勝利」としての「冷戦での勝利」の証左と捉えた。

実は一連の出来事を、共産党支配体制が行き詰って内部から崩壊した、という言い方でまとめることは十分に可能である。冷戦という名の戦争は、戦争としては架空であり、存在していたのは東西両陣営諸国の政治的対立だった。共産主義体制の崩壊に、西側諸国は間接的には関与していると言えるだろうが、直接的には関わっていない。共産主義政権の崩壊という「体制転換」を通じて、アメリカなどが「冷戦に勝った」というのは、抽象的な思弁に基づく描写である。

しかしアメリカとその同盟諸国においては、自分たちが卓越していたがゆえに、東欧諸国で「体制転換」が起こった、そして自分たちが冷戦における勝利を収めた、ということが、確立された歴史的現実とみなされた。そこで、勝利の決定的瞬間は、敵の「体制転換」によってもたらされると信じ、またあの勝利の栄光を味わいたいと願うようになった。

「体制転換=regime change」という概念の確立

冷戦期に、アメリカは、陰謀工作を通じた政権転覆を、世界各地で繰り返していた。しかしそれらが「体制転換(regime change)」という用語でくくられることはなかった。そもそもCIAの画策などは、公式に認めて追求する政策などではなかった。

初めて「体制転換」という用語を公式に使ったのは、1998年「イラク解放法(Iraq Liberation Act of 1998)」であったといわれる。米国の公式政策としてイラクのサダム・フセイン政権の打倒と、民主的政府の樹立への支援が明文化された。イラクのフセイン政権は、1991年の湾岸戦争という物理的な戦争でアメリカが勝利したにもかかわらず、残存していた反米的な存在として、当時のアメリカ外交の一つの大きな問題になっていた。そこで「イラク解放法」が制定された。この頃からアメリカは、「自由民主主義の勝利」をへて、「冷戦終焉後」世界の盟主となったという自信から、他国の内政干渉・政権転覆を目指すことを公然と宣言するようになった。

当時は、「民主的平和論」(民主主義国同士は戦争をしない、ので民主主義国が増えると世界は平和になる)、「リベラル国際秩序論」(アメリカが作った国際秩序の維持が国際社会の安定の礎である)、「自由主義平和構築論」(自由民主主義に基づいた紛争後平和構築を行うと安定した平和が得られる)といった理論武装が、学術界でも華やかになっていた時期だった。いずれの場合も、アメリカが主導する世界の「民主化」を通じて、世界は平和になって安定すると論じていた点で、実態としてアメリカの敵国の「体制転換」を美化する含意を持った議論であった。

対テロ戦争の高揚と挫折

「体制転換」概念が、さらにいっそう政策概念として確立されたのは、ジョージ・W・ブッシュ政権の時代であった。「対テロ戦争」を遂行するにあたって、軍事的手段による勝利だけではなく、自由民主主義という理念的な手段を通じた勝利も目指すことになった。そこで非・自由民主主義政権の「体制転換」が、アメリカの公式な政策目標となった。それが実践されたのが、タリバン政権を崩壊させてから「国家建設」に乗り出した2001年アフガニスタン侵略、そしてフセイン政権を崩壊させてから「国家建設」を行った2003年イラク侵略であった。

アフガニスタンではイスラム原理主義のタリバンが実効支配体制を保持しており、イラクではサダム・フセインのバース党独裁体制があったが、軍事力でこれらを駆逐して「体制転換」を果たしたうえで、自由民主主義を注入すると、両国は親米的な平和国家になる、という見取り図が提示された。そうすると、「民主主義のドミノ現象」で、両国に挟まれたイランで民主化革命が起こり、イランが親米的な平和国家に体制転換する、という壮大な願望とも結びついていた。

冷戦終焉の「自由民主主義の勝利」の物語を、2001年に新たに開始した「対テロ戦争」に応用する考え方であった。しかし冷戦時代であれば、直接的な戦争を避けながら、敵の体制転換を待つはずであった。しかしアメリカの覇権を前提に一極主義を掲げる当時のブッシュ政権は、待つことを嫌い、軍事行動によって歴史の進展を早めるべきだ、とする態度をとった。「自由民主主義の勝利」という結果が決まっているのであれば、戦争でその結果が到来するのを早めたとして、いったい何が悪いのか、という考え方が背景にあった。

このブッシュ政権の考え方は、国家建設活動の困難を通じて挫折を味わった。2021年のアフガニスタンからのアメリカの完全撤退に伴うタリバン政権の復活は、いわば「自由民主主義の敗北」だった。イラクでは、すでに親イランのシーア派が主導する政権が、部族対立と宗派対立を前提にした仕組みの中で、生まれていた。

中東における「体制転換」の挫折

「対テロ戦争」が、アフガニスタンでもイラクでも、挫折を余儀なくされた後、2010年以降の「アラブの春」の波が、アメリカに大きな期待をもたらした時があった。遂に中東に「体制転換」の連鎖を通じた「(親米的な)自由民主主義の勝利」がもたらされるのではないか、と思われたからである。しかし、いずれの国でも成果は出なかった。

オバマ政権のアメリカは、「アラブの春」を好ましい方向に誘導しようと、リビアのカダフィ政権を打倒するための空爆、そしてイスラム国(IS)対策を進めながら実態としてアサド政権を追い詰めるために行ったシリアでの空爆などの軍事行動を行った。しかしいずれの場合も不発で、イスラム原理主義の台頭を招く結果に終わった。

たとえば中国・ロシア、権威主義国家の挑戦

アメリカを勝利者陣営の盟主とする「自由民主主義の勝利」の物語は、21世紀になると、「権威主義国家」と揶揄される新興大国によっても脅かされるようになった。

1989年の天安門事件を思い出しながら、アメリカ人たちは、中国における民主化要求運動がいずれ成就する「体制転換」を夢見た。冷戦終焉後に自信を深めた多くのアメリカ人たちは、次に中国に「体制転換」が起きれば、「自由民主主義の勝利」の普遍化が完成すると考えた。しかし「体制転換」が発生する気配を見せないまま、中国はアメリカを脅かす超大国に成長してしまった。

1999年から開始される欧州でのNATOの東方拡大は、東欧に力の空白を作らないという安全保障上の計算が基盤であったとはいえ、「自由民主主義の勝利」の余韻の中でのイデオロギー的な確信も関わっていたことは否めない。「自由民主主義の勝利」が歴史の必然だとすれば、その軍事的守護神であるNATOの拡大も歴史の必然であるはずだった。しかしその裏では、国力を復活させてきたロシアが、欧米諸国に根深い不信感を募らせていた。

ロシアは、2014年にクリミア併合とドンバス戦争への介入、そして2022年にウクライナ全面侵攻に踏み切った。これに対してアメリカのバイデン政権の旗振りで導入された対ロシア制裁とウクライナ支援は、ロシアへの圧力を強めることによって、プーチン政権の「体制転換」を狙うのが最終目標だった。ウクライナにおける2014年マイダン革命に、民主化支援を掲げていたバイデン氏が副大統領だったオバマ政権は深く関わっていた。ウクライナを守ることは、過去のアメリカの民主化支援を守ることでもあった。

しかし2026年現在、アメリカを中心とする諸国の対ロシア制裁はほとんど不発だ。むしろ大きな負荷が欧米諸国の側にかかり、アメリカでは戦争の終結を訴えるトランプ氏が二回目の当選を果たした。

トランプ大統領の軽率な実験と挫折

トランプ大統領は、「国家建設」を目指す軍事介入に批判的である。第一期においてもそうだったが、さらに「民主主義vs権威主義」を掲げたバイデン政権を批判して選挙戦を勝ち抜いた後の第二期において、特にその傾向を強めたはずだった。

ただし、トランプ政権は、限定的な軍事力の行使を通じた「アメリカ・ファースト」の政策を追求しようとした。低支持率のまま中間選挙の年を迎えてしまった焦りから、ベネズエラでマドゥロ大統領を排除した後、イランでも限定的な軍事行動を通じた「体制転換」を実現しようとした。そして失敗した。トランプ大統領は、「国家建設」は避けようとした。しかし単発的な軍事行動を通じた「体制転換」という安直な願望の罠に陥ってしまうことは、避けることができなかった。

アメリカを蝕む体制転換という名の勝利願望の陥穽

アメリカは、「自由民主主義の勝利」としての「体制転換」を通じた「冷戦の勝利」が、別の場面でも起こることを期待するあまり、侵略戦争と国家建設を通じた「体制転換」の幻想、アラブの春への支援と軍事介入を通じた「体制転換」の幻想、限定的な軍事介入とクーデターへの身勝手な期待に基づく「体制転換」の幻想にもとづいて、次々と合理性のない軍事介入を繰り返してきた。結果は、ほぼ全て、失敗である。

アメリカ・ファースト」を掲げて対外軍事行動に警戒的だったはずのトランプ大統領も、安直に達成できる「体制転換」の幻想にかられて、不必要な戦争を起こした。そして、自身の支持率のみならず、アメリカの威信、さらには賞味期限切れの「自由民主主義の勝利」の物語の妥当性のさらなる失墜を演出した。

「自由民主主義の勝利」としての「冷戦の勝利」という成功体験の幻想が、アメリカの政策を蝕んでいる、と言わざるを得ない。いかに超大国アメリカであっても、簡単には達成できないことが多々ある。焦れば焦るほど、泥沼に陥ってしまうような対外軍事行動がありうる。アメリカの対イラン戦争は、そのことをあらためて示した。

冷戦終焉時の高揚を経験していない新しい世代が出てくれば、アメリカも「体制転換」の怪しい勝利願望に惑わされにくくなるかもしれない。しかし世代交代が起こる前に、まずは現在の戦争を通じて、アメリカの凋落は、さらに進むだろう。「自由民主主義の勝利」の物語の形骸化も、さらに進んでいくことになるだろう。

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