『テミスの不確かな法廷』写真提供=NHK

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「わからないことをわかっていないと、わからないことはわかりません。わからないことをわかっていないと、わからないことはわからないんです! わからなくてはいけない。何があったのか、明らかにしないといけない」

参考:『テミスの不確かな法廷』を傑作にした“天才”ではない主人公 向き合い続けた“分からなさ”

 裁判官として事件の真実を明らかにするために、わからないことに実直に向き合ってきた安堂(松山ケンイチ)。『テミスの不確かな法廷』(NHK総合)最終話では、検察官の父・結城(小木茂光)が犯した罪、ひいては自身が身を置く司法界が犯した罪に向き合う。正義を司る女神テミスの像が象徴する司法の公正さをいま一度、取り戻すために。

 制作統括の神林伸太郎と橋立聖史、チーフ演出の吉川久岳ら『宙わたる教室』の制作チームが手がけた本作。一見すると独立している2つの作品は、実は地続きにあり、「宇宙」というワードで繋がっていた。

 前者は、ある理科教師の導きで定時制高校の科学部に集まった年齢もバックグラウンドもバラバラな生徒たちが教室の片隅から宇宙に思いを馳せ、やがて同じ目標に向かって一つになっていく物語だった。本作の主人公である安堂は、発達障害ゆえに社会に馴染めない自分を「宇宙人」と呼び、“普通”を装って生きている。だが、蓋を開けてみると、“普通”にこだわっているのは彼だけではなかった。

 熱意に溢れた訴訟指揮で伝説の反逆児と呼ばれた門倉(遠藤憲一)も、かつては刑事弁護で被告人を救いたいという理想に燃えていた小野崎(鳴海唯)も、ドライに見えて実は思いやりに溢れた落合(恒松祐里)も、執行官ゆえに嫌でも見えてしまう現実に胸を痛めている津村(市川実日子)も、安堂に負けないくらいの変わり者だ。本来は自分の価値観や考えを持っている彼らもまた、どこかで割り切って社会に適応しようとしている。

 そのことからわかるのは、“普通”とは実態のないものであり、松山の撮了コメントにもあったように「人それぞれに色々な宇宙がある」ということ(※1)。価値観も考えも異なる私たちがそれらを保持しながら、同じ社会で共存していくために必要なのが「法律」だ。宇宙には自然の秩序が存在しているが、私たちの社会は法律によって秩序が保たれている。

 ホテルの駐車場で遺体となって発見された結城。部下である前田道隆(角谷良)に突き飛ばされ、頭部を強打したことが直接の死因だった。前田は「仕事上のことで口論になった」と主張しているが、あまりにも漠然とし過ぎている。安堂は小野崎とともに、死の直前、山路(和久井映見)に何かを伝えようとしていた結城の空白の一日を辿ることに。その他のメンバーは引き続き、前橋一家殺人事件の再審請求審を進めるべく裁判所主導の証拠探しに出かける。裁判所という箱の中に閉じこもり、訴訟の処理件数を上げることだけに躍起になっていた彼らはもうどこにもいない。彼らを突き動かすのは、ひとえに「真実を明らかにしたい」という思いだ。

 その「真実」という言葉は近年、どんどん揺らぎ始めているように思う。高度情報化社会に生きる私たちのもとには日々、生成AIによるフェイク動画や出所不明のデマも含めた膨大な量の情報が届く。その一つひとつをじっくり精査していたら、時間がいくらあっても足りない。その結果、虚偽が真実として拡散され、罪なき人が正義という名の下に断罪されたり、逆に真実が虚偽として塗りつぶされ、救われるべき人が苦しみの中に置き去りにされたりする現実がある。こんなに怖い状況はない。せめて司法は正しくあってほしい。公正に真実を見極め、正しく罪を裁き、正しく被害者を救済してほしい。誰もが当たり前の日常を送れるように。

 安堂たちの執念の職権調査で、秋葉一馬(足立智充)の無罪を示す十分な証拠が揃う。結論としては、防犯コンサルタントの木内晴彦、本名・多和田満(矢柴俊博)が前橋一家殺人事件の真犯人である可能性が高い。結城も組織の一員として一度は沈黙を選んだが、多和田が今なお罪を重ね、さらには彼と出会ったことで無関係の女性が命を落としたことを知り、ひとりの人間として真実を明らかにしようとしていた。ただ、裁判所が再審開始を認めても、検察官が不服申し立て(抗告)をすれば、再審開始はどんどん遠のいていくばかりだ。一方で落合が言うようにまさに今、検察側の証拠開示の法制化や検察抗告の禁止などを含めた再審制度の見直しが図られている。そんな司法界の過渡期にあって、安堂が法廷で行った約6分間に及ぶスピーチは現実社会をも変えかねないほどの切実さを持っていた。

 安堂はその場で、自分が発達障害であることをカミングアウトする。13歳の時に発達障害の診断を受け、ようやく上手く社会に適応できない理由がわかって安心すると同時に、どうやって生きていけばいいのかという不安に襲われた安堂。そんな中、父の書斎から『六法全書』を見つけ、一筋の光が差した。そこに書かれた社会の約束事に従って、人々の争いごとを解決することなら、自分にもできるかもしれない。社会の役に立てるかもしれない。そしていつか父にも自分を認めてもらえたら、という気持ちが安堂にはあったのだろう。

 司法の道を志した理由は一人ひとり異なるが、「正しいことがしたい。正しくありたい」という思いは同じ。司法が無実の人を殺すという悲劇も、一人ひとりが正しくあろうとした結果、起きてしまった。人が人を裁く以上、完璧はあり得ない。問題は多くの人が真実から目を背けた結果、間違いが正されず、さらなる悲劇が生まれてしまったことだ。その原因は組織からの圧力や自己保身。将来の幹部候補と期待された前田が組織を守りたいがために結城の命を奪ったように、妻や生まれてくる子どものことが頭をよぎり、古川(山崎樹範)が萎縮してしまったように、正しくあるのは簡単じゃない。けれど、司法の人間が正しさを失ってしまったら、法律は揺らぎ、自分たちが暮らす社会の安定を根底から揺るがすことになってしまう。

「信頼を取り戻すために、信頼を失墜させる覚悟を持たないといけないと思います。起きてしまったことは変えられない。そこから始めるしかない。そこから始めるしかないんです!」

 司法の人間として、法律を愛する者として、正しくあろうとする安堂の姿が、人々の心を動かしていく。検察は即時抗告をせず、開かずの扉は開かれた。かつては安堂を否定していた結城だが、どこかでその力を認めていたからこそ、自分の思いを託したのだろう。門倉や小野崎も安堂の障害を「個性」と受け止め、「安堂流でいいんだよ」と声をかける。もちろん、障害を「個性」というには、あまりにもまだ社会の側に多くの課題が残されているのは事実だ。このドラマの放送開始前、松山がインタビューで安堂について「他の人とは傷ついている部分が圧倒的に違う」と語っていた(※2)。

 当事者は私たちが知り得ない生きづらさやそれに伴う苦しみを抱えており、簡単に「わかる」とは言えない。それでも、松山は丹念な役づくりで安堂のことをわかろうとしてきた。その結果が安堂がラストに流した、あの真実味を帯びた涙に繋がっているのだろう。そんなふうに互いを理解し、支え合えていけたらいい。そして願わくば、ハンディキャップがあっても、当事者がそれを自分の個性だと自信を持って言える日が来たらいいなと思う。

 もうすぐ春が来る。安堂が花壇に移動させた綿毛も、そろそろたんぽぽに成長する頃だろう。自分の可能性を信じ、前を向いて歩いていこうと思わせてくれる『宙わたる教室』や『テミスの不確かな法廷』の制作チームによる次回作がすでに今から楽しみだ。

参照※1 https://realsound.jp/movie/2026/03/post-2328843.html※2 https://realsound.jp/movie/2026/01/post-2274839.html(文=苫とり子)