「朝ドラ」があえて描かなかった重要シーンを考察する 「ばけばけ」錦織、衝撃の吐血シーンの意味
松江編から熊本編へ
朝ドラことNHK連続テレビ小説「ばけばけ」が熊本編に入った。松江編で詳細が描かれなかったことがある。錦織友一(吉沢亮)は校長の内定を取り消されたのか、辞退したのか。また、錦織は熊本に発つレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)をどうして見送らなかったのか。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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錦織は帝大を卒業していない。中学の英語教師の資格すらない。それなのに松江中学校長の話が浮上した。第79回(1月22日)のことだった。島根県知事の江藤安宗(佐野史郎)が錦織にこう切り出した。
「校長に興味はないか。君さえよければ推してもええと思っちょる」

錦織は喜ぶどころか暗い顔をした。過去を粉飾しているからだろう。「少々考えさせてください」。返答を留保した。ヘブンには「私は校長というものにあまり興味がありません」と伝えた。錦織は最初から校長になりたかったわけではない。
ヘブンを米国から松江に招聘したのは江藤。第21回(昨年10月27日放送)だった。その通訳・世話役に錦織を指名した。理由は単純。「あんた以外に英語がしゃべれる者がおらんから」。錦織への敬意は欠片も見られなかった。
錦織が来日から間もないヘブンの扱いに手を焼くと、江藤は毒を含んだ言い方でこう言った。「頼むよ、危ない橋を渡ってまで君を島根に呼び戻したんだから」。第23回(同10月29日)だった。
この時点で視聴者は錦織に秘密があることを知った。だが、その中身が分かったのは第82回(1月27日)になってから。江藤と錦織の間で、庄田多吉(濱正悟)が話題になったからだ。
庄田は錦織と中学教師の検定試験を一緒に受験した。庄田のみ合格し、帝大も卒業した。
「庄田君が来るとなると、厄介だわね」(江藤)
厄介だわねはないだろう。庄田は江藤が招いたのだ。錦織が校長になったあとの後任英語教師という触れ込みだった。
だが、庄田はこのときの江藤の誘いは断った。それを聞いた錦織は江藤に対して狼狽気味に尋ねる。「私と一緒になりたくないと、私の下では教師はできないと」
江藤が「一身上の都合だそうだ」と素っ気なく答えると、「そうですか」と力なくつぶやいた。錦織は辞退の理由が自分にあると考えたはずだ。庄田が卑劣な男ではないと分かっていようが、不安だっただろう。
江藤は錦織の人生を弄んだ。錦織の哀話を振り返りつつ、校長の内定は取り消されたのか、辞退だったのか、どうしてヘブンを見送らなかったのかを考える。
なぜ、見送らなかったのか
錦織は江藤から「そろそろ錦織校長の誕生に向けて動くとするか」と告げられる。第89回(2月5日)のことだった。錦織は第84回(1月29日)、ヘブンが松江に居やすくするためにも校長になろうと決め、江藤にそう伝えていた。
錦織は江藤の「動く」という言葉を受け、生徒たちにも「私が校長になる」と告げた。併せてヘブンの教育は高度だと説いた。さらに帝大を出た庄田と自分が付いているとも。受験に向けて大船に乗ったつもりでいろと話したのである。
庄田は第85回(1月25日)、一度は断った教師の口を引き受けた。ヒロインでヘブンの妻・松野トキ(高石あかり)の親友・野津サワ(円井わん)と、松江で所帯を持ちたいと考えたからだ。だが、サワは庄田の求婚を断る。
一方、錦織は生徒たちに対し、過去の粉飾というウソをずっと吐いてきた。もうウソは吐きたくなかったはずだ。ところが、校長の話が流れそうになる。それでは再びウソを吐いたことになってしまうから、焦った。第92回(2月10日)だった。
校長の座が風前の灯火になったのはヘブンが熊本へ転居することになったから。江藤から聞かされた。続けて江藤は「君は先生の隣で何を見ちょう」と辛辣な言葉を浴びせてきた。
ここで錦織は悟ったはずだ。江藤による自分の評価はヘブンの通訳・世話役としてであり、教師として判断されているわけではなかった。なにしろ江藤と錦織はヘブンの絡まない教育の話をしたことが1度もないのである。錦織の命運はヘブンにかかっていた。
錦織は校長内定を取り消されたのか、辞退したのか。制作側が当初、考えたプランの1つは、江藤が錦織を切るという筋書きだったようだ。それを裏付けるのが、NHK財団が発行する同局の番組PRサイト「ステラnet」である。
同誌は松江編最終日の第95回が放送された2月13日付で、佐野のインタビューを載せた。それは江藤が錦織を切り捨てたことを前提としている。
──江藤知事があれほど信頼し、校長にまで推していた錦織をあんなにあっさり切ったのは、意外でした。
佐野「そこは、江藤のダークな1面というかあるいは、まあ人当たりはよいけど腹の中は分からないという、松江人あるあるかもしれません(笑)。リアル松江人の僕が演じると、それが特に出ていたかな。あ、松江の人のせいにしちゃいけませんね、僕の悪役好きの部分が特に出てしまったかな」(「ステラnet」、佐野は松江出身)
もっとも、このインタビューに該当する場面はなかった。制作者がカットしたのか。いずれにせよ制作者は江藤による錦織切りという筋書きを採用しなかったことになる。白紙の状態で考えることを続けたい。
ヘブンの熊本行きを知った錦織は、本人から松江を出たい理由を「冬、寒い、地獄」と聞かされる。すると、教室以外にもストーブを据えると約束した。
第93回(2月11日)、錦織は転居する本当の理由はほかにもあると考える。本の題材が松江になくなったことにあると思い、「虫の本を書きましょう」と提案した。
本音と建て前を使い分け
もっとも、ヘブンが転居する真の理由はトキが町の人々からラシャメン(外国人の妾)と蔑まれないようにするため。寒さという理由は建て前だ。
ヘブンは錦織から第69回(1月8日)で教わった本音と建て前を使い分けた。世話になった松江の人々を傷つけず、トキに精神的負担を掛けないためだった。
錦織がヘブンの真意をやっと知ったのは第94回(2月12日)。次の本の題材としてヘブン邸にスズムシや書物を持参したところ、邸内からトキの祖父・松野勘右衛門(小日向文世)の怒声が聞こえてきた。
トキが熊本行きをどうしても納得しないことから、勘右衛門はヘブンに向かって「本当のことを話せ! おまえ、ウソが嫌いなんじゃろ!」と叫ぶ。ヘブンはトキに本音を打ち明けた。
それを立ち聞きしていた錦織は二重三重にショックを受けたはず。まず親友でありながらヘブンの本音を分からなかったこと。生徒にウソを吐きたくないため、ヘブンを松江に留まらせようと躍起になったせいもあるだろう。それでいてヘブンの胸の内を察することが出来なかった。錦織は自己嫌悪に陥ったのではないか。
2つ目は勘右衛門の「おまえ、ウソが嫌いなんじゃろ!」という叫び。堪えただろう。ヘブンのウソ嫌いは錦織ももちろん知っている。それなのに自分は過去の粉飾というウソを最後まで吐き通そうとしている。自責の念に駆られたはずだ。
錦織はヘブンにも生徒にもウソをもう吐きたくなくなったから、江藤に校長就任の辞退を申し出たと見る。だから生徒たちへの説明時も淡々としていた。憑き物が落ちたようだった。
生徒から校長に就かない理由を問われると、帝大を出ていないこと、英語の教育資格もないことを挙げた。「そんな男が校長になれるわけがない」。最後まで冷静だった。
江藤は錦織に教師をやらせることを「危ない橋を渡る」と考えていたくらいだから、渡りに船だっただろう。庄田という人材も得ている。
錦織の生徒への説明のあと、ヘブンはうろたえる。錦織に「私のせい?」と尋ねる。だが、錦織は即座に「いいえ」と否定した。それでもヘブンが詫びると、「いいんです。いつかこうなると思ってましたから」と静かに語った。ウソはいつかバレる、そう思い続けていたのだろう。
あきらめないヘブンは江藤に校長就任を頼みに行こうと促すが、錦織は固辞する。「そんなことじゃないんで」。本心だろう。錦織はウソを吐いてきた自分に嫌気が差したのだ。やはり校長は自分から辞退したと読む。
ヘブンが熊本へ発つ日が来た。船着き場でヘブンの目は誰かを探していた。錦織に違いない。しかし体調不良で来ないという。トキは家に行こうとするが、ヘブンは「大丈夫、もう別れしました」と止めた。確かにこれ以上、話す言葉はないはず。錦織の傷心を癒やし、心を整理するのは時間しかない。
そのとき、錦織は自宅でヘブンの書いた「日本滞在記」を読んでいた。ヘブンが「錦織さんのお陰で書けた」と言い、誰よりも早く渡された本である。松江中という拠り所を失った錦織にはこの本が全てなのだ。
直後に錦織は吐血した。結核だろう。第87回で石をぶつけられたトキが額から流した血と、錦織の血。この物語の赤色は酷く悲しい。
高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。
デイリー新潮編集部
