ドンペリが認めた木桶職人の逆転劇!約30年間赤字…老舗を救った“14代目婿養子”の奮闘:ガイアの夜明け

2月13日(金)に放送した「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、「あの主人公はいま…SP 世界で勝つ!日本の工芸」。
日本の長い歴史が育んだ伝統工芸は今、生活スタイルの多様化で需要が減り、後継者不足もあって、衰退の道を辿りつつある。
しかし、そんな潮流に抗い、伝承した技を未来へとつなぐために新たな価値を吹き込み、“稼げる工芸”への変化を成し遂げた企業もある。
今の時代の消費者や、海外の消費者に響く商品を生み出す職人たちの、成功への転換点は何だったのか? これまでガイアに登場した主人公たちのその後の奮闘を追った。
ドンペリが認めた“木桶の技術”…次世代に残す挑戦

滋賀・大津市。この地で伝統工芸品を守り続けているのが、「中川木工芸」の中川周士さん(57)。この道34年の木桶職人だ。

代表的な商品は、水に強い「高野槇」で作った丸湯桶(3万1900円)や、「椹」という木で作ったおひつ(三合用:4万6200円)。

中川さんは京都の木桶職人の家に生まれた3代目で、師匠でもある父・清司さんは人間国宝。
清司さんは木目を精緻に削り合わせて模様を作る“柾合わせ”という技法を開発し、評価された。
父の技術を受け継いだ中川さんは、海外の展示会に積極的に出品。小さな工房ながら、「中川木工芸」の年商は7000万円を超える。

1月上旬、中川さんの工房を訪ねると、そこには樹齢300年の吉野杉が。中川さんは、丸太の状態で材料を仕入れることにこだわっている。
木の年輪に対して直角に刃を入れるのがポイントで、切り取った木の強度が高くなるという。中川家ではこのやり方を、祖父の時代から65年間続けてきた。

木桶は、多くの木片をつなぎ合わせて作る。最後に固定する輪っかは「タガ」と呼ばれ、「タガが外れる」という言葉はここから生まれた。

木桶作りで特に大事なのが、組み合わせる木片の形。そこで必要になるのが約300種類もの鉋だ。「作るものの直径によって、鉋の丸みが変わってくる」(中川さん)。
よく見ると、大きさや丸みが違うのが分かる。中には、全長3センチの小さな鉋も。

技の見せ場は、木片をつなぐ断面の調整。中川さんは、先々代から使っている型にはめ、光に当てて漏れをチェック。完全に光が漏れなくなるまで削り直す。わずかな差を技術で埋めるのだ。
そして、隣合わせがなるべく美しく見えるように、年輪の細かさなどを見て、順番に木片を並べていく。その後は竹串でつないで鉋をかけ、タガをはめれば完成だ。
随所で中川さんの職人技が光るが、近年はほとんど湯桶が使われなくなり、今は月に5個ほどしか売れない。
「戦前は『寿司桶・湯桶・おひつを作っていたら食いっぱぐれることはない』と言われていた。祖父の頃には、桶工房が京都で200軒以上あった。僕が継ぐ頃には3軒。僕はもう一度、桶の可能性にチャレンジしたい」。
2013年、ガイアはそんな中川さんを取材していた。
【2013年10月放送】

明治18年創業の老舗「寿司幸 本店」(東京・銀座)では、シャンパンを木で作られたクーラーに入れて出している。「木なので結露が溜まらない。金物だと、下がだいぶ結露で濡れてしまう」(店主)。

木製のシャンパンクーラーを作ったのは当時44歳の中川さんで、全国各地で桶職人が減少する中、この仕事の将来に不安を感じていた。
中川さんのターニングポイントは2008年。ある企画会社のプロデューサーから、“かつてない斬新なワインクーラーを作ろう”と持ち掛けられたことがきっかけだった。
ところが、2年間試作を繰り返しても、斬新なワインクーラーの形が見えない。
中川さんが最後の試作を見せた時、プロデューサーは「まだシャープさが足りない」と指摘。すると中川さんは閃き、底の形と上部の縁取りの形を変え、縁の両端を尖らせた。
こうして生まれたのがシャンパンクーラー「高野槇 Konoha(このは)」(9万2400円 2010年当時)だ。

ドン・ペリニヨン醸造最高責任者(当時)のリシャール・ジェフロワさんは、中川さんのもの作りに惚れ込み、「高野槇」300個を世界販売した。
「このクーラーは木の育成にも加工にも多大な時間を要している。ワインをゆっくりと熟成させる私たちと相通ずるところがある」(リシャールさん)。
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あれから13年…。中川さんはさらに、桶の固定観念を覆す商品を開発していた――。
世界は、日本の“手ぬぐい”の価値を認めるか?

日本を代表する観光地、京都。ここにも、ある伝統工芸品を守り続けている会社がある。
京都市内を中心に6店舗を展開する「永楽屋」は、祖先が織田信長の御用商人として活躍し、江戸時代初期の1615年に綿布商として創業した。
京都の一等地にある店をのぞくと、客の半数以上が外国人観光客で、彼らのお目当ては日本伝統の「手ぬぐい」。この店は京都でも珍しい手ぬぐい専門店で、約500種類もの品ぞろえが自慢だ。
どれも広げて見たくなる個性的なデザインで、安いもので1枚3000円ほど。中には1万円を優に超えるものも。
オーストラリアから来た観光客は3300円の手ぬぐいを4枚購入し、「美しいタペストリー(絵画風の織物)。リビングやオフィスに飾る」と話す。

永楽屋の14代目当主・細辻伊兵衛さん(61 ※辻は一点しんにょう)は、手ぬぐいに斬新なデザインを次々と取り入れてきたアイデアマンで、ここ5年間、永楽屋は増収増益を続けている。
ガイアは2015年、低迷する永楽屋を復活させようと奮闘する伊兵衛さんに密着していた。
【2015年12月放送】
20代の頃、アパレルブランドの店長をしていた伊兵衛さんは、細辻家の娘・久美子さんと結婚して婿養子に。あの織田信長から細辻の姓を与えられ、当主が代々「細辻伊兵衛」を襲名してきた永楽屋。伊兵衛さんは14代目を継いではみたものの、そこにはとんでもない逆境が待っていた。
伊兵衛さんは1999年に社長に就任したが、永楽屋はそれまで約30年間赤字が続いていた。手ぬぐい需要の低迷から、2代前の伊兵衛さんがタオル事業に進出したものの失敗。破たん寸前にまで追い込まれていた。

そこで伊兵衛さんが見出した突破口は、「伝統の世界観をアップデート」すること。
永楽屋の倉庫で眠っていた手ぬぐいは、明治から昭和初期に作られた自由で遊び心があるデザインが多く、伊兵衛さんは現代にも通用すると考えたのだ。

まずは、生地の品質をアップデートする。伊兵衛さんが独自に開発した“世界で唯一の生地”で用いるのは、毛羽を取り除いた「コーマ糸」。手ぬぐいの9割に使われる「カード糸」と比べて、価格は2倍ほどする。
コーマ糸は細く切れやすいため、技術力の高い愛知県の織物工場で時間をかけ、丁寧に織っていく。
従来のものと比べると、開発した生地は目が格段に細かいのが分かる。
この生地の開発により、繊細かつ発色の良い絵柄が再現できるようになった。

出来上がった生地は、長年、永楽屋の手ぬぐいを作っている「馬場染工場」(京都市)へ。職人が染料を流し込み、型に合わせて版画のように一色ずつ重ねながら染めていく。
さらに伊兵衛さん、2000年に初めて直営店をオープンし、手ぬぐいのデザイン性をアピール。毎年20以上の新商品を発売した。
伝統的な世界観をアップデートすることで、伊兵衛さんは社長就任から3年で黒字化に成功。「老舗といっても、400年前はベンチャー企業。代々革新を続けていかないと、いずれはダメになっていく」(伊兵衛さん)。
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あれから11年…。伊兵衛さんの“アップデート”は今も続いていた。
しかし、2023年3月、伊兵衛さんに大病が見つかり、商社で働いていた長男・和司さんが後を継ぐことに。「(伊兵衛さんと)タイプは全然違う。僕なりの方法でやっていく」と語る和司さんは、商社時代の人脈や経験を生かし、新たな挑戦を始めていた――。
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