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500台以上の自動車コレクション

フランス国立自動車博物館『シテ・ド・ロトモビル(Cite de l’Automobile)』は、同種の博物館では世界最大級規模を誇る。

【画像】時代の先端を走っていた高性能モデル【アルファ・ロメオ8Cを詳しく見る】 全42枚

ドイツとの国境に近いアルザス地方ミュルーズに位置し、フランス国内外の自動車産業の変遷を物語る数百台の車両を収蔵している。奇妙な卵型のワンオフモデルから、数百万人が二輪から四輪へ移行するきっかけとなった量産車まで、数えきれないほどのクラシックカーが並ぶ。また、同館は世界最大のブガッティのコレクションも展示している。


『シテ・ド・ロトモビル』の貴重なコレクションを一部抜粋して紹介する。

私有から公有、そして国有へ

シテ・ド・ロトモビルはシュルンプ兄弟のおかげで存在する。兄弟はスイス生まれの実業家で、1950年代にコレクションの収集を始めた。当時、1920〜30年代製の自動車は古くて価値のないものと見なされ、多くが安価で取引されていた。兄弟は特にブガッティを中心に数百台を購入し、ピークには合計約560台に達した。

1960年代、シュルンプ兄弟は紡績工場の一部を私設の博物館兼修復工場に改装した。このことは極秘とされ、施設の存在を知る者は少なく、訪れる者はさらに稀だった。しかし1970年代、欧州の繊維産業が不振に陥ると、シュルンプ兄弟は工場閉鎖と従業員の解雇を始めた。


政府がコレクションを買い取り、1982年に現在の形で博物館を開設した。

このコレクションは、シュルンプ社を解雇され、ストライキで施設に侵入した労働者たちによって発見された。彼らは同施設を「労働者の博物館」と名付けて一般公開した。やがてフランス政府が、歴史的記念物に指定することでコレクションを一元管理することになった。

政府は後に、評価額の数分の1でコレクションを買い取り、1982年に現在の形で博物館を開設した。シュルンプ兄弟はスイスで亡命生活を送った後、それぞれ1989年と1992年に死去した。

パナール・エ・ルヴァッソールP2C(1891年)

ダイムラー製エンジンを搭載したP2Cは、パナール・エ・ルヴァッソール社が最初期に1891年にパリで製造した自動車だ。1896年、ジュール・ガヴォワ氏という修道院長が購入し、26年間で10万km近くを走行した。1911年、ガヴォワ氏が愛情を込めて「アントワネット」と名付けたP2Cは、フランス最古の現役自動車として認定された。


パナール・エ・ルヴァッソールP2C(1891年)

ラ・ジャメ・コンタント(1899年)

ベルギーの電気自動車会社「コンパニー・インターナショナル・デ・トランスポール・オートモビル・エレクトリク」は宣伝目的でロケット形状のラ・ジャメ・コンタントを製作した。同社は20世紀初頭に急成長した電気自動車市場への進出を図り、プロモーションとして速度記録の樹立を目指したのだ。

ラ・ジャメ・コンタント(英語で「決して満足しない」という意味)は見た目に反して空力性能に優れていなかった。車高が高く、ドライバーは車内ではなく車体の上にまたがるように座る構造だからだ。しかし、アルミニウム、マグネシウム、タングステンを混合したパルチニウムという合金製のボディにより軽量だった。


ラ・ジャメ・コンタント(1899年)

ベルギー人パイロット、カミーユ・ジェナジー氏が操縦したラ・ジャメ・コンタントは、1899年にパリ郊外で約106km/hの速度に達し、100km/hを超える史上初の自動車となった。車名の由来は歴史の闇に消えており、ジェナジー氏の妻が名付けたとする説もあれば、彼自身が考案したとする説もある。

スコット・ソシアブル(1923年)

英国人技術者アルフレッド・アンガス・スコット氏(1875-1923)は、大砲を牽引できる軍用車両としてソシアブルを開発した。しかし、軍当局からは「非対称の3輪車には関心がない」と告げられたため、彼はこれを民間車両に転用した。しかし、一般の自動車愛好家もこのクルマにはあまり関心を示さなかった。

当時、他にも3輪車は存在したが、ソシアブルでは前輪がオフセットされており、特に危険な部類に属した。スコットは約200台を製造したが、博物館によれば現存するのはわずか5台である。


スコット・ソシアブル(1923年)

ブガッティ・タイプ40(1928年)

1926年に発表されたタイプ40からは、ブガッティのあまり知られていない側面を見ることができる。超高速でも、驚くほど高価でも、露骨な豪華さもない。タイプ37の4気筒エンジンをデチューンした44ps版を搭載した、はるかに控えめなモデルだ。4年間で790台が生産された。


ブガッティ・タイプ40(1928年)

ブガッティ・タイプ43 (1929年)

タイプ43はブガッティの直列8気筒エンジン車シリーズの一角を占める。123psの8気筒エンジンにより最高速度約180km/hを達成。当時の多くのクルマが100km/hを超えるのに苦労していた時代において、これは驚異的な性能だった。タイプ43は高価であり、経済力のあるエリートドライバー向けに開発された。

ここに展示されている個体は、もともとベルギーのレオポルド国王の所有物であった。国王だけでなく、王妃アストリッドもまた、1930年代初頭にブガッティが製造した10台の電動タイプ56のうちの1台を運転していた。


ブガッティ・タイプ43 (1929年)

ブガッティ・タイプ47トルペード(1930年)

ブガッティは1929年に16気筒エンジンの開発を開始した。クランクシャフト上で2基の直列8気筒を結合するのではなく、並列配置し、U字型に並ぶギアを介してトランスミッションに接続した。ここに展示されている1930年式タイプ47においては200psを発生した。

しかし、世界大恐慌の影響でプロジェクトは中止。その後、2005年にヴェイロンを発表するまで、ブガッティが16気筒車を製造することはなかった。


ブガッティ・タイプ47トルペード(1930年)

トラクタ・タイプEI(1930年)

フランスの技術者ジャン=アルベール・グレゴワール氏(1899-1992)は1926年、前輪駆動車が後輪駆動車と同等、あるいはそれ以上の性能を発揮できるという自身の理論を実証するためトラクタ社を設立した。彼は等速ジョイントを開発・特許取得することで、大きな動力を車輪に伝達するという課題を克服した。トラクタ車のエンジンはコンチネンタルなどの外部サプライヤーから供給されていた。

トラクタはル・マン24時間レースに複数回出場したが、優勝は果たせなかった。グレゴワール氏は1934年、採算の取れない自動車事業を閉鎖した。トラクタが8年間で製造した車両台数については意見が分かれるが、大方の推定では300台前後とされている。


トラクタ・タイプEI(1930年)

アルファ・ロメオ8C 2300(1932年)

この1932年式アルファ・ロメオ8C 2300のコンバーチブルボディは、スイスのコーチビルダー、グラバーが製作した。180psの直列8気筒エンジンを搭載し、高価だが人気が高く、性能も優れていた。1931年から1934年にかけてル・マン24時間レースをはじめとする数々のレースで勝利を収めた8Cレーシングカーと共通の設計思想を持つ。


アルファ・ロメオ8C 2300(1932年)

アルファ・ロメオ8C 2900(1936年)

このアルファ・ロメオ8C 2900は、1930年代における自動車デザインの急速な進化を如実に示している。先に紹介した8C 2300からわずか4年後であるにもかかわらず、格段にモダンな外観となっている。この個体は1936年のミッレミリアで2位に14分もの大差をつけて首位を走っていたが、途中、電気系統のトラブルでヘッドライトが故障してしまう。イタリア人ドライバーのアントニオ・ブリヴィオ氏は暗闇の中を走り続け、32秒差で優勝を果たした。

(翻訳者注:この記事は「後編」へ続きます。)


アルファ・ロメオ8C 2900(1936年)