クレオパトラの最期! 栄華を誇ったプトレマイオス朝が滅んだ理由とは【眠れなくなるほど面白い 図解 古代エジプトの話】

写真拡大 (全5枚)

【第3中間期・末期王朝時代・プトレマイオス朝時代】古代エジプト文明はどのように終わった?

ローマに敗退、吸収された

第21王朝からリビア人による支配が始まります。第22王朝、リビア系の族長の息子シェションク1世の治世は安定したかにみえましたが、リビア系の首長の王国が各地で独立自治を始めます。混乱に乗じてヌビアのクシュ王国がエジプトに侵攻し、第25王朝を樹立しますが、第26王朝はアッシリアの支配下に置かれます。アッシリアから管理を任されたサイスを根拠地とする土着の王朝でしたが、やがてペルシア帝国の属州となってしまいます。

ペルシアの支配は、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征によって終わります。エジプト王となった彼はアレクサンドリアを建設し、マケドニア王朝を樹立します。後を継いだのはアレクサンドロス大王の将軍、プトレマイオス1世。王朝の分裂や行政の腐敗、反乱が繰り返されていましたが、ヘレニズム4王国のなかでは最も繁栄し、プトレマイオス朝は約300年続きます。

プトレマイオス朝は、クレオパトラ7世の治世で終焉を迎えます。ローマに取り入り、逃亡した父プトレマイオス12世以来、王位をめぐる争いが続きました。プトレマイオス13世との共同統治者クレオパトラ7世は一度追放されますが、返り咲いてローマのカエサルやアントニウスと手を結びます。しかし、アントニウスが戦いに敗れ自殺すると、クレオパトラ7世も後を追って命を絶ち、プトレマイオス朝は滅亡しました。

古代エジプト最後にして最長のプトレマイオス王朝

プトレマイオス1世はアレクサンドリアを首都とし、多くのギリシア人を移住させた。ギリシア語も公用語とし、エジプト系とギリシア系それぞれの法律も整えた。

王権を安定させるさまざまな施策があった

プトレマイオス朝の王たちは、各地に神殿を建て、エジプトの神とギリシアの神を統合したセラピス神の信仰を生み出した。プトレマイオス5世は、エジプト国民に対して免税措置を講じ、その法令がロゼッタストーンに刻まれている。

【セラピス神】
エジプトの神オシリス・アピス + ギリシアの神ハデス = セラピス神

【ロゼッタストーン】

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 古代エジプトの話』著:河合 望(エジプト学者・考古学者/筑波大学人文社会系教授)