「オフィシャル・バンドスコア 山下達郎 / 40th Anniversary Score Book Vol.1 (バンド・スコア)」ドレミ楽譜出版社
 山下達郎が12月5日のNHKホールでのライブを途中で打ち切ったニュースが反響を呼んでいます。

 公式サイトには「山下本人が納得のいくパフォーマンスをお届けできないと判断し、公演途中ではありましたが中止とさせていただきました」との声明が掲載されていました。11月26、27日に予定されていた大宮公演も、風邪のために来年1月に延期すると発表した直後の出来事に、心配の声があがっています。

◆近年の山下達郎の音楽は苦しい

 ずっとオリジナルキーを維持し、金太郎飴のように同じ完成度に仕上げることに誇りを持つ職人の中の職人である山下達郎。その人が水準を満たすことはできないと感じたのだから、苦渋の決断だったのでしょう。

 そういった事情を分かった大人のファンがほとんどなので、今回の対応もおおむね理解している印象です。ネット上では、“まずは体調の回復を”とか“ファン思いで完璧主義者らしいこだわりがうかがえる”など、好意的な意見がほとんどでした。

 一方で、今年の夏もコンサートを当日に中止していることは気がかりです。加えて、近年では音源での歌声でも、違和感を覚える瞬間があります。高校生のころにベスト盤『TREASURES』から入った後追い世代の筆者ですが、その頃とは明らかに質感が変わってきていることは否(いな)めません。

 CMソング「NEVER GROW OLD」、ドラマ主題歌として起用された「CHEER UP! THE SUMMER」や「LOVE’S ON FIRE」などの曲を聞くと、高音は出てもそこに余力がなくなってきているのですね。フレーズの中で出力に差が出てきているので、高音の部分が目立ち、でこぼこした歌になる。

 かつてはシームレスに行き来していた地声と裏声の使い分けも、いまではギアを入れ替えたときのノイズが入り込んできてしまう。そういった不可抗力の揺らぎが曲やサウンド全体に波及する余裕のなさにつながっているわけですね。

 わかりやすく言うと、近年の山下達郎の音楽は、苦しいのです。キーを保ったままにすると決意した矜持が、音楽から滑(なめ)らかさやしなやかさを奪っている。

 今回の公演中止は体調不良によるやむを得ない事情があったとしても、そもそもほんのわずかでもバランスを欠けば破綻してしまう危うさを孕(はら)んでいたのではないかと思います。

◆過度に生真面目なキーを下げてはならないという決意

 もちろん、その神がかったバランスを長年維持し続けてきた職業倫理は唯一無二です。

 その曲を収録した時代の演奏を常に最上質で再現するストイックさと、多幸感あふれるポップスが拮抗する緊張感は、山下達郎の魅力です。道を極める日本的な職人の姿そのものでしょう。

 作詞、作曲、アレンジ、サウンドプロダクション、すみからすみまでを自身の見識のもとに管理、施工する。キーを下げてはならないという決意は、衰えに抗うこと以上に、緻密に作り上げたコンセプトを根底からくつがえしてしまうことがあってはならないという掟なのですね。

 しかしながら、今回中止になったライブを観に行った人の中には、“少し声は出しづらそうだったけれども、全く出ていないわけでもなかった”とコメントしている人もいました。ということは、お金を払ったライブとしてお話にならないほどの代物ではなく、人によっては分からないぐらいの誤差であった可能性もあるわけです。

 そのような素人にはわからない不具合でも音楽が崩壊してしまうと考える繊細さは、超一流のプロフェッショナルとして尊敬に値する姿勢である一方で、裏を返せば、過度に生真面目ということも言えないでしょうか?

 自分の設定した基準、イメージを崩してはならないと深刻に考えることは、それは自分自身という人間そのものを重大な存在だと考える、尊大な態度につながり得るからです。