怪我に泣いた“浦和ユース最高傑作” 37歳の元Jリーガー中村祐也が関東2部で歩み始めた監督人生
アヴェントゥーラ川口・中村祐也監督インタビュー
サッカーJリーグの浦和レッズでプロ選手として歩み始めた中村祐也は、3つのJリーグクラブと2つの社会人チームに在籍し、2021年限りで現役を退いた。引退後は、最後のチームとなったアヴェントゥーラ川口(埼玉)で指導者に転身。今季から監督を任された37歳は、チーム強化に全精力を傾注している。(取材・文=河野 正)
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浦和レッズジュニアユース時代の2001年、日本クラブユース(U-15)選手権初優勝に貢献。翌年ユースへ上がり、高校2年でサテライトリーグのレギュラーとなって10試合に出場し、3年生でトップチームに登録された。中村は5つ年下の原口元気(シュツットガルト)が登場するまで、“浦和ユースの最高傑作”と呼ばれた逸材でもあった。
高校2年の秋、成長期のスポーツ選手に多発する腰椎分離症という疲労骨折を発症。分離箇所は通常1つだが、中村の場合は5か所もあり「めちゃくちゃ痛くて背筋を伸ばせなかった」と言う。翌年トップチームに合流したものの、練習場にすら行けない生活が延々と続いた。
「痛みは感じていたのですが、楽しくて仕方なかったサテライトを続けたい思いが強く、無理をしてしまったのがいけなかった」
それでもクラブはリハビリ中の中村とプロ契約を交わし、05年にトップチーム昇格。同年10月10日、鹿島アントラーズとのサテライトリーグでようやく復帰したが、痛みと恐怖心を抱えながらのプレーだった。「完治しても故障前の自分の水準からはほど遠く、サッカーの感覚も戻っていない状態でした」と、もどかしかった往時を回想する。
3年間で公式戦出場はゼロ。厄介な怪我が“最高傑作”の出世の邪魔をした。「こうしておけば良かった、という思いがすごくありますね。怪我に対してもっと様々な行動を起こしていたら、違う状態でサッカーができていたのかもしれない、って考えたりします」と残念がった。
08年にJ2湘南ベルマーレへ移籍。横浜FC戦でJリーグにデビューしたが、1年目は途中出場5試合に終わる。反町康治監督が就任した2年目は3トップの一角で起用され、コンサドーレ札幌戦でJリーグ初得点。初先発したセレッソ大阪戦からレギュラーの座をつかみ、44試合でチーム最多の14得点をマークしJ1復帰に寄与する。
「やっとサッカーをやれている、戦えているという気持ちでした。攻撃的な戦術が自分に合っていたし、怪我をしてからは自ら打開する動きよりワンタッチプレーやゴール前で仕事をするスタイルに変えた。それが得点にもつながったと思う」
引退も考えた時、練習参加した土のグラウンドで見た光景
モンテディオ山形との開幕戦でJ1デビューした2010年は、チーム2位の30試合に出場し同3位の3得点。古巣の浦和戦にもフル出場した。
ところが11、12年と足首の怪我を重ね、合流しては肉離れを繰り返し13年は右アキレス腱を断裂。14年も本調子でなく、この4年間でリーグ戦出場は23試合しかない。
15年はFC町田ゼルビアに職場を変え、4シーズン在籍。19年は関東リーグ1部の栃木シティフットボールクラブに移籍したが、開幕前の大怪我でベンチ入りもできず1年でチームを去った。
引退も考えたが、「最後はサッカーをとことん楽しんで終わりたい」との思いから、キャリアの中で最も低いカテゴリーの埼玉県社会人リーグ1部に所属することになる。アヴェントゥーラ川口にいた竹馬の友が、練習参加を提案してくれたのだ。
「雰囲気の良さが第一印象で、みんなサッカーが本当に好きなんだと思った。夜7時半からの練習に一生懸命取り組む姿を見たら、一緒にやりたくなったんです。土のグラウンドで練習するのは高校2年以来でしたが、環境面など関係なかった」
加入した20年は県リーグ2位で関東社会人大会の出場権を獲得すると、準優勝して関東リーグ2部昇格を果たした。コーチ兼任となった2年目は、埼玉県代表として天皇杯に初出場する躍進ぶり。昨季も現役を続けるつもりで始動日を迎えたのだが、怪我に対する不安やイメージ通りのプレーができなくなっていると痛感し、2月に引退を決断。「天皇杯出場や関東2部昇格などチームの可能性を感じ、サッカーを心底楽しめた2年間だった」と述べ、やりきった思いを口にした。
引退後もクラブに残り、主に小学6年生を教えていた昨年11月にトップチームの監督を打診された。
「思い入れのあるチームを上のカテゴリーに上げたいという覚悟で引き受けた」と話すと、「自分の適性が指導者と決めつけるのはまだ早いので、どんな形でサッカーに携われるのか模索していきたい。ただし今は来季の1部昇格を目指し、本気だし真剣です」と言葉に力を込めた。
指導する選手たちに「上の景色を見せてあげたい」
クラブの長岡修代表は監督に抜擢した理由について「あれだけ才能がありながら怪我に苦しんだ。苦労を知り男気と熱意があり、チームのことを熟知しているから」と説明し、「1年目としては及第点。来年は昇格してくれると思う」と期待する。
今季は8勝2分8敗の4位。過去最高成績だが、首位エリース東京FCとの勝ち点差は20もあった。初勝利は前期第6節。攻撃のやり方を変えたことに加え、考えが選手に上手く伝わらなかったことが原因と分析する。「攻守が噛み合い、内容と結果がついてきたところでリーグ戦が終わっちゃった」と苦笑するが、「後期は主導権を握る試合が多く来季につながりました」と手応えもつかんだ。
大宮アルディージャなどに在籍し、同い年で同期加入の福田俊介は「主体性を大事にする監督で、考えながら戦えるチームになってきた。人間性も最高ですよ」と評した。
受難のサッカー人生を送った中村は、苦労を知っているが故に監督という役回りについてこう話した。
「控えやベンチ外の選手にしっかり目配りし、アプローチできているのか不安だった。チーム愛があっても試合に出られなかったら、面白くないですからね。監督になってマネジメントの重要性を思い知った」
現役時代はスポットを浴びることもなかったが、監督として“川口市からJリーグへ”というクラブの目標に近づくことを夢見る。「真面目にサッカーと向き合う彼らと一緒にやりたい、というあの頃のあの感情が今もある。上の景色を見せてあげたい思いがすべて」と男気を示した。
(河野 正 / Tadashi Kawano)
