「講談社元編集次長・妻殺害事件」 “無罪”を信じて帰りを待つ「会社」の異例の対応

「事件現場」に住み続ける一家
東京・文京区の自宅で妻を殺害したとして、殺人罪に問われている講談社元編集次長・朴鐘顕被告(45)の控訴審判決が、1月29日に東京高等裁判所で下される。一審は懲役11年の有罪判決だったが、朴被告は「殺していない。妻は自殺だった」と控訴していた。無罪を訴え続ける彼を支えているのが、残された「家族」と「会社」である。発生から4年半。大きな節目を迎える事件を改めて取材した。
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細い道が入り組んだ住宅街の一角に「現場」はある。
夜7時過ぎ。築10年の2階建ての一軒家には明かりが灯り、かすかに団欒の声が漏れてきた。朴被告は2016年8月9日、この家で妻・佳菜子さん(当時38)を殺害した容疑で警視庁に逮捕された。

近所の住人が語る。
「今はおばあさんがお住まいになって、4人の子供たちを育てています。子供たちも元気に育っていますよ。あの時、生まれたばかりだった4番目の男の子も年中さんかな? おばあさんが自転車で保育園に送り迎えしています」
おばあさんとは朴被告の母だ。もともとこの家には、朴被告と佳菜子さん、そして二人の間に生まれた4人の子供が暮らしていた。だが、事件がきっかけで子供たちは父母ともに失ってしまう。朴家に詳しい知人が明かす。
「母方の実家は祖母が他界し、祖父が一人で引き取れるような状況ではなかった。朴の母は夫を10年以上前に亡くし、大阪に住んでいましたが、事件後ここに移り住みました。周囲は子供たちを連れて引っ越すことを勧めましたが、祖母は拒み続けた。芯の強い人で、“息子は絶対にやっていない”、“逃げ隠れする必要はない”と言うのです。子供たちも事件後、転校せずに同じ学校に通い続けたと聞いています」
事件は密閉された家の中で起きた
事件は子供たちが夏休みの最中に起きた。16年8月9日午前2時50分頃、119番通報で救急隊員が駆けつけると、玄関近くで佳菜子さんが心肺停止の状態で倒れていた。病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。
通報したのは朴被告だった。その日、朴被告は深夜1時過ぎに帰宅し、妻と激しい口論になった。当日、家の中にいたのは、夫妻と乳児を含む4人の子供たちだけ。当初、警察の取り調べに対し、朴被告は「妻は階段から落ちた」と供述したが、やがて「首を吊って自殺した」と変遷させた。
検死の結果、死因は窒息死だった。1階寝室のマットレスからは、失禁した妻の尿や血液が混じった唾液が検出された。警視庁はこれらの証拠を突き合わせ、朴被告が寝室で妻の首を絞めて殺害したと断定し、発生から5ヶ月を経て逮捕に踏み切ったのだった。
「七つの大罪」を立ち上げたカリスマ編集者
大手出版社の敏腕編集者が殺人容疑で逮捕――。事件は連日、ワイドショーで大きく報じられた。朴被告は入社以来18年間、「週刊少年マガジン」編集部に勤務したベテラン編集者で、健常者と聴覚障害者との恋愛を描いて映画化もされた「聲の形」や、累計3700万部を超えるファンタジー大作「七つの大罪」などを立ち上げたカリスマとして、内外から評価が高かった。
だが、逮捕直後こそ世間は騒いだものの、カリスマ編集者のその後の様子はあまり話題に上ることはなかったかもしれない。この間、朴被告は一貫して無実を訴え続けてきた。
「私は妻を殺していません」
19年2月、東京地裁で開かれた初公判で、朴被告は起訴事実を否認した。弁護側は「妻は階段の手すりに結びつけたジャケットで首を吊って自殺した」と無罪を主張。一方、検察側は「妻から育児を手伝わない不満や自分の母親をけなされたことから突発的な殺意を抱いて、寝室で首を圧迫して殺害した」として殺人罪で懲役15年を求刑した。
同年3月、東京地裁は検察側の主張を全面的に認め、朴被告に懲役11年の実刑判決を言い渡した。判決の直後、朴被告は「していない! 間違っています」と法廷で叫んだ。
今も朴被告を社員として雇用し続けている講談社
20年7月から始まった東京高裁の控訴審でも、一貫して無罪を訴えてきた朴被告。足掛け3年に及んだ法廷闘争を、朴被告の母親とともに、毎回欠かさず傍聴席の前方で見守り続けた人物が、講談社の乾智之広報室長であった。
「記者たちの間でも、講談社の幹部が毎回傍聴に来ていることは話題になっていました。乾広報室長は、そのまま法廷の外で囲み取材を受けることもあった」(前出・司法記者)
実は朴被告は現在も、休職扱いではあるが講談社の社員なのである。日本社会では社員が重罪を犯した場合、会社は逮捕や起訴段階で解雇処分を下すのが通例だ。だが講談社は、朴被告が「殺人」で逮捕・起訴され、さらに一審で有罪の実刑判決を受けた後も解雇せず雇い続けているのだ。
なぜこのような異例の対応が取られたのか。講談社関係者が明かす。
「もちろん、悩みに悩み抜いた上での判断です。逮捕、起訴、一審判決、節目において議論が重ねられました。当然、その都度、解雇すべきという意見も出ましたし、今もあります。ただ、社員である朴被告が一貫して無実を主張しているという重い事実がありました。『社員を信じたい』。最終的には野間省伸社長が下した方針でしたが、非上場企業だったからこそ出来た判断だったでしょう」
朴を守り抜く――。社長の“特命”を受けた広報室長は公判の傍聴だけでなく、朴被告と面会するため東京拘置所に通い続けてきたというのだ。
会社に莫大な利益をもたらした功労者
「否認しているだけではこうはならなかったでしょう。凶器が見つかっている、証言者がいるなど、決定的な証拠があれば、いくら本人が無実を叫ぼうとも解雇せざるを得なかったと思います。また今回の事件では、遺族の処罰感情が露出していないという点も大きい。妻側の遺族は法廷には一切出てこなかった。妻の妹は朴を擁護しているとも聞いています」(同)
二審で続けて有罪判決が出た場合でも、会社の方針が揺らぐことはないのだろうか。
「それはわかりません。朴は上告するでしょう。ただ、その後に待ち受けるのは最高裁だけです。さすがに確定してしまえば、懲戒解雇せざるを得ないという声もある。刑が確定する前に、朴に自主退職させるというシナリオもあると聞いています」(同)
すなわちそれは、会社が朴被告に退職金を支払うということを意味する。ある中堅社員はこう指摘する。
「朴さんが会社に莫大な利益をもたらした実績も間違いなく加味されていると思います。累計1億部を超えた『進撃の巨人』も、朴さんが『別冊少年マガジン』の編集長時代に始まった企画。彼が立ち上げた『七つの大罪』はその後スマホゲームとなり、今も毎月1億円の利益をもたらしていると聞いています。退職金を払ってもあまりある貢献です」
拘置所で漫画の原作を描き続ける朴被告
そんな会社の温情を受けつつ、朴被告は法廷闘争の傍ら、東京拘置所の中で原稿用紙に向かっているという。
「漫画の原作を執筆しているのです。彼を支援している漫画部署に勤める社員たちが、それを漫画化できないかと考えている。解雇される事態となっても収入を維持させたいという思いでしょう。実際、朴さんの腕ならば大ヒットする可能性も高い」(漫画部署の社員)
朴被告は現在45歳だ。もしこのまま一審判決の懲役11年が確定したとしても、未決勾留を差し引けば50歳過ぎには出所できる計算となる。だが、この間も塀の中から4人の子供を育て上げなければならない。社員ではあるものの休職中のため収入は途絶えたままだ。莫大な裁判費用ものしかかる。窮地の仲間を支えようと一部同僚たちが動いているというのだ。
もっとも、社員たちの受け止め方は様々だ。ある若手社員は毅然と会社の対応を批判する。
「講談社には『週刊現代』や『FRIDAY』といった報道系の雑誌もあります。これまでもさまざまな殺人事件を取り扱い、時に殺人犯を“鬼畜”といった過激な表現で批判してきました。自社の社員にだけ甘いというのは世間に示しがつかないでしょう。一審判決は重たかったはずです」
講談社広報室に取材を申し込むと、乾広報室長は次のようにコメントをした。
「朴は現在も講談社の社員です。休職中です。朴は逮捕段階から一貫して無実を訴え続けており、会社として捜査と裁判の推移を見守って参りました。控訴審判決も含め、今後も推移を見守り、慎重に判断していくつもりです」
妻の父が取材に答えた
取材の最後に群馬県伊勢崎市に向かった。妻・佳菜子さんのふるさとである。朴被告が結婚の挨拶に行った時、義父が猛反対したというエピソードは法廷でも明かされた。事件後、朴被告が事情を説明したいと連絡を取っても、会おうとしなかったという義父。今どのような思いを抱えているのか。
インターフォンを押すと老いた男性が出てきた。
――朴被告についてどう思っていますか。
義父は何度も頷きながら質問に耳を傾け、意図を理解すると、一言こう返した。
「いやいや、俺は、佳菜子は病気で亡くなったと思っている」
――お孫さんとは会っているのですか。
義父は笑みを浮かべながら首を横に振り、「悪いが失礼するよ」と扉を閉ざした。
まもなく下される二審判決を関係者は祈る気持ちで待っている。真実の行方は。そして、それは誰のために明かされるのか。答えは永久に出てこないのかもしれない。
週刊新潮WEB取材班
2021年1月29日 掲載