突如、辞意を表明(青瓦台HPより)

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 韓国の曹国(チョ・グク)法務部長官が10月14日、辞意を表明した。就任35日目、家族の不正に検察の捜査の手が入る中での辞任だった。背景を韓国観察者の鈴置高史氏が読み解く。

国会ではなく街頭で争う左右

――突然の辞任でした。

鈴置: 文在寅(ムン・ジェイン)政権を追い詰めたのは、国民の多くを味方に付けた保守の大集会・デモでした。決め手となったのは、開天節(建国記念日)の10月3日、数十万人が集まって「曹国逮捕」「文在寅退陣」を要求した集会・デモです。

 何があっても政権を批判する保守的な人々に加え、政治色の薄い「普通の人」も参加したのです(「『反文在寅』数十万人デモに“普通の人”が参加 『米国に見捨てられる』恐怖が後押し」)。これが効きました。辞任の理由として、文在寅大統領は「国民の間に大きな葛藤を引き起こしたことを申し訳なく思う」と語っています。

突如、辞意を表明(青瓦台HPより)

――文在寅政権にはデモなど無視する手もあった。

鈴置: 確かにそうです。実際、10月3日の大デモの後にも、曹国法務部長官を切る動きは表面化しませんでした。それが今になって辞任させたのは、クーデターの恐怖が高まったこともあったと思います。

――クーデターですか?

鈴置: 保守派の大型集会・デモに対抗し、左派も集会・デモを繰り出しました。国会ではなく、街頭を舞台に力比べが始まったのです。それを見た韓国メディアは「代議制民主主義が崩壊する」と悲鳴をあげました。

 韓国では国論が分裂して議会では収拾がつかなくなり、左右が街頭での勝負に賭けた時、クーデターが起きているからです。

 警告を真っ先に発したのは韓国経済新聞でした。社説「極度の国論分裂…国民を街頭に追いたてた政治、誰の責任か」(10月3日、韓国語版)のポイントを翻訳します。

・開天節のソウルは都心の光化門からソウル駅まで12車線の大路が集会参加者で埋め尽くされた。「場外集会としては史上最大」と言われるほどに街頭に集まった人々の主張は「曹国辞退」に集約された。
・5日前(9月28日)に「曹国守護」「政治検察撲滅」を叫ぶ市民が、瑞草洞の検察庁前の道路を占拠したのとあまりにはっきりとした対比となった。この時も多くて10万余人と推定される人波が、検察庁から教育大学駅までの9車線に足の踏み場もないほど満ちた。
・法務部長官の進退に対し意見を表明するため、市民らが広場に群れ集まる「街頭政治」という極端な国論分裂を如実に示した。
・国民が自分の代理人を選んで国会を構成し、彼らが調整と妥協を通じ国事を決定する、成熟した代議制民主主義が機能しなくなっているとの証拠でもあろう。
・与野双方が相手を「積幣」「左派独裁」と決めつけ、一寸の譲歩もなく対決する「政治の失踪」が国民を街頭に追いたてているのだ。

「キーセン・デモ」の後にクーデター

――韓国人は2016年の朴槿恵(パク・クネ)退陣要求デモを「民主主義の精華」と誇っていたのに……。

鈴置: 英国名誉革命、フランス革命、米国独立革命と並ぶ「世界4大革命の1つ」と自画自賛しています(『米韓同盟消滅』第3章第1節「疾風怒濤の韓国」参照)。

 多くの韓国人が「安倍政権をデモで引きずり降ろせない日本人は韓国を羨ましがっている」とも信じています。文在寅大統領も海外に出るたびに「韓国革命」を誇ってみせます。褒めてもらったことはあまり、ないようですが。

 一方、今回の集会・デモは、左右がそれぞれ普通の人を取り込んで参加人数を競う国論分裂型の街頭闘争でした。左派が「腐敗した権力と戦う」と音頭をとって、多くの国民を味方に付けた2016年の集会・デモとは完全に異なるのです。

 韓国は「クーデターが成功した国」です。1度目は1961年5月16日に朴正煕(パク・チョンヒ)少将らが敢行した軍事クーデターです。前年の1960年4月19日の四月革命により李承晩(イ・スンマン)大統領が下野しました。

 その後、左右から多様な要求が噴出。後継政権の内輪もめもあって、国が混乱に陥りました。そんな中、一部の軍人が国の危機を救うとの名分を掲げて立ち上がったのです。当時、ソウルに住んでいた韓国人から、以下のように聞かされたことがあります。

・四月革命の後はキーセンまでがデモするほど社会が混乱した。左派の学生が統一を名分に北朝鮮との提携に動きもした。クーデター自体には賛成しない知識人が多かったが「これで混乱が収まる」とほっとする向きもあった。

空気は「過去2回」と似ていた

――2回目は?

鈴置: このクーデターで政権を握った朴正煕大統領が、1979年10月26日に暗殺されたのがきっかけとなりました。16年間も続いた、いわゆる「軍事独裁政権」が突然に崩壊したことで、韓国は民主化に湧き「ソウルの春」と呼ばれました。

 ただ、権力の帰趨も不透明になりました。そこで暗殺事件のどさくさの中、力を溜めていた全斗煥(チョン・ドファン)国軍保安司令官らが1979年12月12日、不安定な政局を収めると称して粛軍クーデターを敢行、成功しました。

 韓国経済新聞の社説のどこにも「こんなことやっていたらまた、クーデターが起こるぞ」とは書いてはありません。でも、少し勘のいい韓国人ならそう読むでしょう。

 朴槿恵政権が弾劾により倒された。2017年5月から権力を握った左派の文在寅政権は「積幣清算」――過去の弊害を一挙に正す――を謳い、保守勢力の根絶やしに動きました。

 朴槿恵、李明博(イ・ミョンバク)の前・元大統領に加え、保守政権時代の最高裁長官まで逮捕しました。

 朴槿恵政権の言いなりに動いたとして検事や軍人を捜査。この中から4人の自殺者が出ています。「やられる側」に回った保守は当然、死に物狂いで左派政権を倒そうとします。

 曹国法務部長官の任命問題も本質は左右の権力闘争です。文在寅政権は左派弾圧を担ってきた検察から権力を奪う計画です。さらには新たに設立する公務員監察組織を通じ、検察をはじめとする保守勢力に報復すると見られています。

 この「検察改革」を任されたのが文在寅大統領と近い、法学者の曹国法務部長官でした。検察が自らを指揮する権限を持つ法務部長官の家族の不正事件を捜査し、引きずり降ろそうとする異様な状態に陥ったのも、自分たちが「やられる側」になったからです。

 左右はどちらかしか生き残れない最終戦争に突入した。その戦いの手法が双方の支持者を動員する大衆集会とデモだったのです。過去2回のクーデターの時と似てきていたのです。

メディアが左右対立に油

――そこで韓国経済新聞は社説で「街頭政治を排し、代議制民主主義を守れ」と訴えたのですね。

鈴置: そうです。しかし、この社説は逆の結果を生んだ――街頭政治を煽ったのです。「代議制を守れ」と主張すると同時に「それを壊した責任は左派にある」と厳しく非難したからです。先ほどの引用に続く後半の一部を翻訳します。

・大統領と与党が露骨に「曹国は退陣させず」と宣言した直後に、大規模デモが起きたことにも注目せねばならない。
・無条件に曹国を守る姿勢なら「問題は大統領」との声がさらに高まるだろう。国民を街頭に追いたてる政治は与野すべての失敗だが、国政を主導する与党により大きな責任があると見なければならぬ。

 韓国経済新聞は「代議制民主主義の崩壊」を指摘しましたが、結論は政権批判でした。保守の牙城、朝鮮日報も10月4日の社説「常識を裏切った大統領1人が呼び起こした巨大な怒り」(韓国語版)で「民心を街頭での力の対決に追いやった」と、同様の手口で政府・与党を非難しました。

 すると政府に近い聯合ニュースが「代議制民主主義の崩壊」を論じつつ、検察の責任を持ち出しました。「政治が消えた『広場』VS『広場』の対決…極度の国論分裂を憂慮」(韓国語版)です。

 10月4日14時49分になって配信したことから見て、朝鮮日報などへの反撃を狙ったと思われます。

 この記事は冒頭では「進歩(左派)と保守が競争して数の対決に出れば、分裂の政治を加速する」「与野の指導部が集会やデモを支持層の結束に利用すれば、政治不信を深化し代議制民主主義の危機を生む」などと、中立の立場で「政治を憂えて」いました。

 しかし「何か政治的な意図があるのではないかと疑われるほどに検察が(曹国法務部長官一家に対し)過度に捜査し、その結果、政治が保守と進歩に分かれて、新たな対決の街頭政治に転落した」との匿名の与党政治家の発言も引用しました。要は「代議制民主主義の危機を呼んだのは保守陣営の検察である」と指弾したのです。

大統領は広場の声を聞け

――「左右どちらが代議制民主主義を壊したのか」との論争に陥った……。

鈴置: その通りです。そして、これが街頭政治に油を注いだ。「責任論」の高まりを背景に、左派の与党は「我々の9月28日の集会には覚醒した国民が自発的に参加した。一方、10月3日の野党の集会は文在寅政権を揺さぶる目的で動員をかけ、人を集めた不純な集会」と決めつけました。

 その非難に対抗し、保守はハングルの日で休日である10月9日にも大集会を開きました。「動員ではこれだけの参加者は得られない」と見せつけたのです。

 一方、左派は自らの正当性を訴えるため、10月5日にも集会を開きました。そして左右両派は10月12日に同じ場所、瑞草洞で集会を開きました。両派の衝突を防ぐため、警察は5000人の機動隊員を動員しました。「街頭政治」は激しくなる一方だったのです。

 中央日報も10月7日に社説「国の分裂いつまで…大統領がソロモンの知恵発揮を=韓国」(日本語版)で「政界はむしろ陣営間の争いを煽り、自ら代議民主主義危機を招いている」と、「広場の声」による勝負に警告を発していました。

 ところが、その3日後の同紙は社説「最低支持率を記録した文大統領、広場の叫び声に耳を傾けよ」(10月10日、日本語版)で、見出しにもある通り、「大統領は広場の声を聞け」と主張したのです。

・大統領は自身の陣営と核心支持層だけ見てはならない。あのように多くの人が叫ぶ広場の叫び声なら、厳重に受け止めるべきだ。

 「街頭政治は代議制民主主義の破壊だ」などと、左右双方を第3者的に批判する余裕がなくなったのです。「破局」が迫った、との認識からでしょう。

検察は左翼と戦うのに軍は傍観か?

――破局……クーデターが起こるというのですか、今の韓国で。

鈴置: それを期待する人がいるのは確かです。在野保守の指導者の1人、趙甲済(チョ・カプチェ)氏は9月21日、自身のサイトで「今、検察は左翼と戦っている。国軍は見学だけするというのか?」(韓国語)を書きました。

 趙甲済氏は「民族反逆者の金正恩(キム・ジョンウン)勢力と手を組むものも民族反逆者だ」と文在寅政権を非難。そのうえで「今、検察は左翼、腐敗、反憲法、民族反逆者勢力と戦っている。国軍は見学だけするのか?」と呼びかけました。

 ただ、こうした呼びかけがなされるということは、軍がクーデターに動く公算が低い、との認識の裏返しでもあるわけです。

 高級軍人もすっかりサラリーマン化して、将官にしてもらえるか、大将・中将で退役できるかに小心翼々。人事権を持つ青瓦台をヒラメのように見上げてばかり、というのが韓国の定説です。

――では、クーデターは起きない?

鈴置: 「そう見る韓国人が多い」のは事実です。しかし、「起きない」とも断言できません。前の左派政権、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時、米軍に「クーデターを起こすから支持してくれ」と持ちかけた韓国の軍人がいました。関係者が明かしました。

――それに対し米国の軍人はどう答えたのですか?

鈴置: 「前の2回はやむなく追認したが今度はもう、許さないぞ」と言ったそうです。そう言われてクーデターをあきらめたのか、元々、それほど本気ではなかったのかは不明ですが、この時は不発に終わりました。

朴槿恵政権当時も戒厳令に期待

――結局、曹国辞任でクーデターは回避できましたね。

鈴置: とりあえずは。しかし、左右どちらかしか生き残れない戦いが終わったわけではありません。法務部長官の首をとって勢いに乗る保守は、政権への攻勢を強めるのは間違いありません。

 対立案件は者国問題だけではありません。別のテーマを探して再び街頭に繰り出すでしょう。デモが大成功したという実績を得たのですから。

――文在寅政権はどうやってしのぐのでしょうか?

鈴置: もちろん、クーデターの動きには神経を尖らせ続けるでしょう。政権を握るや否や、軍の諜報部門で政治的な行動に出る可能性のある「機務司令部」を解体したのもそのためです。

 今後、再びクーデターが噂されるほどに社会が混乱したら、戒厳令を敷いてデモを抑える手もありますし。

――戒厳令ですか!

鈴置: 盛り上がる反政府デモを前に、青瓦台(大統領府)は曹国を辞任させるか、戒厳令を敷くか、との選択肢で考えたと思います。

 2016年秋に朴槿恵弾劾デモが盛り上がった際「戒厳令を布告して運動を抑え込もう」と主張した人がいました。いまだに「あの時に戒厳令という奥の手を繰り出しておけば、弾劾もなかった」と、残念がる保守も多い。

 機務司令部を解体したのも、この組織が戒厳令を検討したと文在寅政権が疑ったからです。今は政権を握った左派が「自分たちも奥の手を」と考えても、不思議はないのです。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ)
韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年10月14日 掲載