萩本欽一 78歳で大学中退、再びお笑いへ…その原動力とは

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「はじめは“ボケ防止”になるかな、くらいの気持ちで通い始めたのよ。でもいま思えば、生徒の中で、ぼくがいちばん大学生活を楽しんでいたでしょうね。とにかく授業が面白くて、一日も休まなかった。60歳近く年下の女のコに『欽ちゃん、友達になろうよ』と話しかけられたときは、どう返したらいいかわからずあたふたしちゃったりもして(笑)」

そう語るのは、コメディアンの萩本欽一(78)。’15年4月、駒澤大学仏教学部に社会人入試で入学。4年間通い、まだ取り残した単位もあったが、今年5月に“自主退学”という形で中退。その決断の理由を明かしてくれた。

「年を取ればとるほど、いい笑いはできなくなる。だから、あと2年ぐらいは笑いをとことんやろうと思って。いま、腹を抱えて笑えるほどのテレビ番組を作るのは難しい。でも、約50年前、コント55号(故・坂上二郎さんとのお笑いコンビ)のときのぼくは、そんな番組が作れていた。いまでも、二郎さんがいたらできると思うんだけど、もういないから、ぼくの“相方”を育てるために、80歳までの2年を使おうと」

もちろん、大学に通っていた当時も、笑いの仕事はきた。

「ただ、仏教の授業で“まっとうな人間”になることを学んでいる最中に、“笑いを作れ”と言われても、なかなか頭が切り替えられず、アイデアも湧いてこない。それで、いちど大学はお休みしよう、となったの。これじゃあ、自分がこれまで愛してきた業界に失礼だな、と思って。でも、大学は“趣味”としてほんとうに楽しかったから、『80歳まで笑いの世界に戻るから、大学の進退は80歳になってから考えさせてくれ』と大学の事務職の方に相談したら、『休学費を払うか、退学するかいま決めてください』と言われてやむをえず……。次はまた、ほかの大学でも受けようかしら。2年後に行くかどうかはわからないけれど、日本には大学がたくさんあるし、どこに行こうか考える楽しみが増えちゃったよ」

人生はつねにアドリブ。決まりきった道はつまらない――。そう語る欽ちゃんの人生は、挑戦の連続だった。

’70〜’80年代に『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン』『週刊欽曜日』などのテレビ番組がお茶の間で大ウケし、“視聴率100%男”と呼ばれるほど出ずっぱりだった欽ちゃんは、’85年に突如それら3番組のレギュラーを降板。映画や舞台の世界で新たな“夢”を探したりもした。

そして’05年には、64歳にして野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督に就任。その2年後には『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーとして、70キロメートルのマラソンにも挑戦……。

新たな夢を見つけては、それを追いかけ、かなえ続ける欽ちゃんの“原動力”は、どこからくるのだろうか。

「やっぱり人生って、たいへんなほど面白いじゃない。しかも、テレビの世界では、“フツウ”のことばかりやっていては、視聴者は見てくれないもの。笑いを作る人生を選んだからには、人とは違うことをやりたいし。山登りだって、登るときが楽しくて、下っているときは面白くないでしょ。登りきったら、もう次どの山に登るかを考えないと」