「心が折れた時もあった」…苦難を乗り越え、田中隼磨が導いた“あと1勝”
川崎フロンターレがJ1リーグ連覇を決め、鹿島アントラーズが悲願のアジア王者に輝いた10日のことだ。J2リーグでは大分トリニータと横浜FCが揃って勝ち点3を上積みした。この時点で松本山雅は暫定2位となり、翌日の栃木SC戦を落とすようなことがあれば、さらに順位を落とす可能性さえあった。
藤田息吹のタテパスに左サイドで反応した石原崇兆がドリブルで仕掛け、相手DFをかわす。
「中に(前田)大然とハユ(田中隼磨)さんがいるのが見えたんで、マイナスで折り返して後は『中頼み』という感じだった」と石原はグラウンダーのクロスを供給した。これが田中隼磨の下へ届くと、ダイレクトで左足を振り抜く。決して力強いシュートではなかったが、執念でゴールに押し込むと大歓声が沸き起こった。山雅はこの1点を守り切り勝ち点3をゲット。首位を奪回すると同時に、次の最終節で勝利すれば、無条件でJ2優勝と4年ぶりのJ1昇格が決まるという状況までこぎつけた。
「ボールがこぼれてきたのは本当に運も味方してくれたと思います。ただ何もしていない人には運は来ない」
殊勲の男は試合後、神妙な面持ちでこう言った。サッカーの神様は真剣に努力した人間にしか微笑まない。どんなに苦しい時も手を抜くことなくひたむきに前進し続けたからこそ、大一番でゴールという最高の結果を残すことができたのだろう。
首位の座を堅守し最終決戦へ
振り返ってみれば、田中にとって今季は苦難の連続だった。反町監督は昨季途中から「隼磨の代わりになる選手がいたらとっくに代えてる」と語り、厳しい評価を下すようになっていた。その発言を行動に移すかのように、今季序盤から田中を控えに回し、3年ぶりに古巣復帰した岩上祐三を起用し始めたのだ。その状況は7月まで続いた。
横浜F・マリノスと名古屋グランパスでJ1制覇を経験。山雅移籍後は1年目からJ1初昇格の請負人になった。そんな男が、ここまで公式戦から遠ざかったのは「サッカー人生初」とも言える状態だった。
「正直、心が折れた時もあったよ。練習場ではそういうのを出しちゃいけないと思ってグッと我慢したけど、家では相当辛かった」
胸の奥に悲痛な思いを募らせていた。それでも、努力をやめたら、巻き返しの可能性もなくなる――、彼は自分にそう言い聞かせて、ひたすらトレーニングに励んだ。
「シュート練習したり、クロスを上げたり、ドリブルで切れ込む練習をしたり、フィジカルコーチの人に付き合ってもらって走ったり、色々なことに取り組みました。俺がシュート練習するのを見て、周りは『ハユさん、何でシュートなんか練習してるの?』と思ったかもしれないけど、運を引き寄せようと思ってガムシャラにやりましたね」
そういう姿勢を反町監督は何よりも重視する。町田ゼルビア、横浜FCに連敗した後に迎えた水戸ホーリーホック戦(9月1日)、指揮官は満を持して背番号3を右サイドバックでスタメン出場させた。この一戦で田中は同点弾を決め、チームに貴重な勝ち点1をもたらした。
