娘と家出した妻に毎月6万円を送り続け…人間ATMと化した男が辿り着いた「絆の整理」(下)
「もう死にたい!」
妻は何度となく裕司さんに訴えかけてきたのですが、裕司さんは一向に首を縦に振らなかったので妻は精神的に追い詰められていたのです。
「勝手なことをしたらどうなるか分かっているんだろうな!」
裕司さんがくぎを刺していたにもかかわらず、結局、夫の目を盗んで移住を決行したのです。娘さん、そして愛猫を連れ岡山県内へ引っ越したのですが、いかんせん先立つものがないので娘さんのために加入していた学資保険(当時の掛け金は計100万円)を勝手に解約し、転居費用に充ててしまったのです。高校を卒業してから12年間勤めてきた会社を辞めたようですが、裕司さんには、妻がどれくらいの覚悟で「死にたい!」と言ったのか想像もつかなかったのです。
裕司さんの再三にわたる忠告を無視する形で別居へと踏み切ったのに、妻は平気な顔で「生活費を送ってほしい」と頼んできたのです。「お前は自分が何をしでかしたのか分かっているのか。もう自己責任だろ。そっちで何とかしろよ。無理だって言うなら花梨をこっちに返せよ」と、あきれてものも言えないという感じで一度は断ったのです。
裕司さんはもともとの住宅ローン(月8万円)に加え、自宅の修繕にかかる費用を現金だけでまかなうことは難しく、不足分のローン(月4万円)を組まざるを得なかったのですが、年収500万円の夫には二重のローンが重くのしかかっており、3人暮らしが1人暮らしになったところで、生活費は3分の1になるわけではありません。反対を押し切って姿を消した妻子へ仕送りするほどの余裕はないというのが本音でしょう。
しかし、過去の妻の言動を考えると、裕司さんに生活費を渡さないという選択肢はありませんでした。例えば、妻は近所のスーパーで品物を万引きし、盗品を使って晩御飯を作ったあげく、食事中に「盗んだ品」だと暴露し、まるで武勇伝のように自慢げに語ることがあったようです。もし別居先で妻が金銭的に追い詰められた場合、娘さんに食事を与えない、学校に通わせないといった育児放棄だけでなく、娘さんにスーパーで食材を盗んでくるよう指示し、窃盗の片棒を担がせる可能性も十分にあったのです。だから、裕司さんは妻の小遣いではなく、娘さんの養育費として毎月6万円を送金し続けたのです。
もちろん、裕司さんの年収で月6万円を工面するのは難しいので、土日は除染作業のアルバイトに汗を流すことになったのですが、そこで目に飛び込んできたのは被災地の惨状の数々。勝手に出ていき、戻ってくるかどうか分からない妻子のためにお金を振り込み続ける……裕司さんは自分の悩みなんて大したことがないと気付かされたのです。もちろん、被災者の方々から厳しい言葉を浴びせられることも多々あったようですが、一方で「頼りにしているよ」「頑張って」「無理するなよ」と温かい言葉をかけてもらうことも。
ただでさえ、裕司さんがほぼ年中無休の状態で働き続けたのに、妻はそんなことはお構いなしに「ゲーム機を買ってあげたい」という理由で毎月の生活費とは別に2万円を、「携帯を持たせてやりたい」という理由で同じく1万円を請求してきたり、「月末まで」という約束だったのに「今月は厳しい」という理由で20日までに振り込むよう言い出したり、妻は裕司さんの気持ちを逆なでするような言動を繰り返してきたのです。
淡い希望を捨てきれずにいたが…
「離れて暮らしてほとんど連絡を取らず、お金のやり取りだけ。これでは離婚したも同然ですよ。別居と離婚の違いは戸籍だけなので、籍だけ入れていても仕方ないのでは?」
私は裕司さんへアドバイスしたのですが、それでも裕司さんは被災者から勇気をもらうことで7年間、妻子を待ち続けたのです。7年間、女手一つで当時4歳だった娘さんを育てるのは大変なので「男がいるのでは」と勘ぐるべきですが、妻への未練をにじませる裕司さんにそのことを伝えるのは私には無理でした。
「あわよくば娘が帰ってきて、妻と寄りを戻し、夫婦としてやり直したい」
裕司さんはそんな淡い希望を捨てきれずにいたのですが、そんな中、妻の方から決定的なメールが届いたのです。「一緒になりたい人がいるから別れてほしい」と。妻は岡山県内で原発ゼロ運動を行っている団体の職員と一緒に暮らし、夫婦同然の生活を送っており、あとは籍を入れるだけという段階でした。
「ふざけるな! 震災から今日まで……お前があんなふうに出て行って、こっちはどれだけ苦労したと思っているんだ!! そっちだけ幸せになって喜べるわけがないだろ!」
裕司さんは真っ赤な顔で思いの丈を妻にぶつけたのですが、妻は反省の色も見せず、「だからどうしたの」という感じで開き直ったのです。
「花梨は彼の娘として育てていくつもり。もう福田家の跡取りでもないんだし、福島の地を踏むことは金輪際ないわ! いい加減、花梨のことは忘れて、そっちはそっちで生きていってくださいな」
妻は離婚の条件として養育費の停止を提案してきたのですが、実際のところ、裕司さんも会社員としての仕事に加え、週末は除染のアルバイトに出かけており、すでに心身共に限界が近付いていました。離婚を断ったところで新しい彼氏がいるのなら、妻が裕司さんのところへ戻ってくることは期待できず、娘さんにとっても生みの親と育ての親が存在すれば、今後の生活に支障が出ることが予想されるので、裕司さんは苦渋の決断でしたが、離婚に応じ、養育費を止め、休日の仕事をやめることでようやく体力的にも金銭的にも、そして精神的にも落ち着きを取り戻すことができたのです。まさに金の切れ目が縁の切れ目という感じで、裕司さんは「人間ATM」状態から解放されたのです。
もしかすると震災が起こらなければ、裕司さん夫婦は離婚せずに済んだかもしれないので、裕司さんも震災の被害者だと言えるのではないでしょうか。
「絆の重要性を再認識したという美談をよく耳にしますが、本当にそんな夫婦ばかりなのでしょうか。僕は違います。僕は今回の件で、誰との絆が大事で、誰との絆が大事ではないかを再認識しましたよ。結果的に『絆の整理』ができたんじゃないかと思っています。もちろん、娘を失ったショックが大きいことに変わりはありませんが」
裕司さんはそんなふうに振り返りますが、震災から7年間、離婚の件数は増えるどころか減っているくらい。震災をきっかけに夫婦間にトラブルが起こったケースが「震災前」には存在しなかったことを考えると、離婚を思いとどまっている夫婦が現在も相当数いることは察しがつきます(離婚件数は平成29年=21万、平成28年=21万、平成27年=22万、平成26年=22万、平成25年=23万、平成24年=23万、平成23年=23万。厚生労働省「人口動態統計」より)。
まだ夫婦の関係が壊れていなければ、震災はやり直すチャンスでしょう。しかし、すでに壊れている場合は別です。裕司さんは震災が起きる前に離婚していた方がよかったかもしれません。なぜなら、つらい思いをするのは1度で済んだのだから。震災があって一度はやり直したものの、その後、妻に出て行かれたので裕司さんは2度もつらい思いをしなければならなかったのです。相手の気持ちが一時的なものか、そうではないのか。それを見極めることが大切です。
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(露木行政書士事務所代表 露木幸彦)
