川口能活、日本代表“奇跡の勝利”を振り返る
7日放送、NHK「ヒーローたちの名勝負」では、「川口能活が神話を作った夜 アジアカップ2004 PK戦」と題し、日本代表が2連覇を達成した同大会から“奇跡の勝利”と言われた準々決勝戦=ヨルダン戦(2004年7月31日)のPKを振り返った。
1998年のフランスW杯では日本代表の守護神として活躍するも、2002年の日韓W杯では楢崎正剛に正ゴールキーパーの座を奪われていた川口は「(楢崎がケガで離脱し)ジーコさんが招集してくれて、自分としてはラストチャンスという意気込みでアジアカップに臨みました」と振り返った。
そんなヨルダン戦は1-1の同点となり勝負はPK戦へ。1人目の中村俊輔は荒れたピッチに足を取られてボールを浮かし、ゴールを外してしまうと、「PK戦も我々に分があると感じたよ」と語った元ヨルダン代表主将アブゼマはしっかりとゴールを決めたが、これを許した川口は一歩も動けず。「勝たなければいけない。自分のラストチャンスというのとプレッシャーがあったせいか動けてなかった」と語る。
すると日本代表は、2人目の三都主アレサンドロもピッチに足をとられてシュートを外してしまう。ここで主将の宮本恒靖は審判に掛け合い、サイドが異例の変更となる事態に。「自分たちの流れにもっていきたい。ヨルダンが蹴りにくい流れにもっていきたいというのはありました」と、宮本は語ったが、それでも川口は「サイドは変わりましたけど、自分の中では入りきれてなかったですね」といい、ヨルダン2人目のアワダートにも、足が動かずゴールを許すと、3人目のアクルにも逆を突かれ、キッカー2人を残して1-3という絶対絶命のピンチに陥った。
しかし、番組のカメラにコメントした6人目のキッカー・ズブーンは「勝ったと思ったよ」といい、7人目のバニーヤスィーンも「2点差だからね。回ってこないと思って喜んでいたんだ」と振り返る裏で、川口は「何かが吹っ切れた」という。
「自分の中に圧し掛かっていた重りというか硬さというか。それが取れた瞬間が3本目決められた瞬間、逆を取られましたけど、自分が跳んだことですね」と話した川口は、ご存知の通り、ここから4連続セーブを見せる。
4人目のシュブールは「相手にとっては決められたら負けという大きな一本だった。そういう時、キーパーは気がはやって蹴る前に動いてしまうもの。先に跳ぶ場合は高くは跳ばない。だから高いコースを狙えば80%決まる」と明かすも、これを見透かしたように「蹴る前ですね。ギリギリまで待って絶対ボールに反応しようと」と語る川口は、「狙い通りに蹴れた」というシュブールのシュートに反応し、間一髪ゴールを阻止。「先に動いてこの高さはいけないですよね。先に動くと大体下に行くので。先に動いたら仮にコースがあってたとしても、この高さに届くことはない」と説明した。
また、5人目のイブラヒムについては「キッカーの顔は覚えています。対峙した時に彼が迷っているような感じがしたんです」という川口に対し、当のイブラヒムは「ゴールがものすごく小さくて空いてるところが見つからなかった。日本のキーパーが巨人に見えた。どこに蹴ればいいか困ったよ」と、すでに川口の気迫に飲まれていた様子。「彼の蹴るコースがなんとなくわかった」という川口に、イブラヒムは「練習ではこっちを狙うことはないんだ。いつもは逆のほうに蹴っている。でも、右が空いているように見えた。わざと右のコースを空けていたんだね。完全に誘いこまれた」と当時を振り返ったが、川口は「意識的にやっていないですね。駆け引きは一切していないですよ。まあ、駆け引きしているように彼には見えたんでしょうね」と笑顔を見せた。
なんとかサドンデスに持ち込んだ日本代表だったが、6人目の中澤佑二がPK失敗。しかし、川口が「相手のキッカーが小さく見えましたし、相手の動きがよく見えた。集中という言葉では言い表せないぐらいの集中力だったかもしれない」と語っている通り、6人目のズブーンはシュートを止められ、「能活が神がかって見えた」という宮本が7本目を決めた。
ヨルダン7人目のバニーヤスィーンは「思いだしたよ。ボールをセットした時、キーパーの顔を全く見ることができなかった。強烈なプレッシャーを感じたからね。いつもならこの位置から助走を始めるんだ。なのにあの時はずっと下がって、下がり過ぎた。助走が長すぎると軸足が不安定になる。コントロールが難しくなる。カーブをかけて蹴ろうと思ったけど上手くコントロールできなかった」、「たいした距離ではないんだけどね。あの時は針の穴を通すような感じだった」などと当時の胸中を明かすと、そんな彼の言葉をVTRで聞いた川口は「運だけでは片付けられない勝負に必要な要素って絶対あると思います。PKのスキルであったり集中力だったり、勝つための執念。最も全てを出し切った試合だったと思う」と結論付けた。
1998年のフランスW杯では日本代表の守護神として活躍するも、2002年の日韓W杯では楢崎正剛に正ゴールキーパーの座を奪われていた川口は「(楢崎がケガで離脱し)ジーコさんが招集してくれて、自分としてはラストチャンスという意気込みでアジアカップに臨みました」と振り返った。
すると日本代表は、2人目の三都主アレサンドロもピッチに足をとられてシュートを外してしまう。ここで主将の宮本恒靖は審判に掛け合い、サイドが異例の変更となる事態に。「自分たちの流れにもっていきたい。ヨルダンが蹴りにくい流れにもっていきたいというのはありました」と、宮本は語ったが、それでも川口は「サイドは変わりましたけど、自分の中では入りきれてなかったですね」といい、ヨルダン2人目のアワダートにも、足が動かずゴールを許すと、3人目のアクルにも逆を突かれ、キッカー2人を残して1-3という絶対絶命のピンチに陥った。
しかし、番組のカメラにコメントした6人目のキッカー・ズブーンは「勝ったと思ったよ」といい、7人目のバニーヤスィーンも「2点差だからね。回ってこないと思って喜んでいたんだ」と振り返る裏で、川口は「何かが吹っ切れた」という。
「自分の中に圧し掛かっていた重りというか硬さというか。それが取れた瞬間が3本目決められた瞬間、逆を取られましたけど、自分が跳んだことですね」と話した川口は、ご存知の通り、ここから4連続セーブを見せる。
4人目のシュブールは「相手にとっては決められたら負けという大きな一本だった。そういう時、キーパーは気がはやって蹴る前に動いてしまうもの。先に跳ぶ場合は高くは跳ばない。だから高いコースを狙えば80%決まる」と明かすも、これを見透かしたように「蹴る前ですね。ギリギリまで待って絶対ボールに反応しようと」と語る川口は、「狙い通りに蹴れた」というシュブールのシュートに反応し、間一髪ゴールを阻止。「先に動いてこの高さはいけないですよね。先に動くと大体下に行くので。先に動いたら仮にコースがあってたとしても、この高さに届くことはない」と説明した。
また、5人目のイブラヒムについては「キッカーの顔は覚えています。対峙した時に彼が迷っているような感じがしたんです」という川口に対し、当のイブラヒムは「ゴールがものすごく小さくて空いてるところが見つからなかった。日本のキーパーが巨人に見えた。どこに蹴ればいいか困ったよ」と、すでに川口の気迫に飲まれていた様子。「彼の蹴るコースがなんとなくわかった」という川口に、イブラヒムは「練習ではこっちを狙うことはないんだ。いつもは逆のほうに蹴っている。でも、右が空いているように見えた。わざと右のコースを空けていたんだね。完全に誘いこまれた」と当時を振り返ったが、川口は「意識的にやっていないですね。駆け引きは一切していないですよ。まあ、駆け引きしているように彼には見えたんでしょうね」と笑顔を見せた。
なんとかサドンデスに持ち込んだ日本代表だったが、6人目の中澤佑二がPK失敗。しかし、川口が「相手のキッカーが小さく見えましたし、相手の動きがよく見えた。集中という言葉では言い表せないぐらいの集中力だったかもしれない」と語っている通り、6人目のズブーンはシュートを止められ、「能活が神がかって見えた」という宮本が7本目を決めた。
ヨルダン7人目のバニーヤスィーンは「思いだしたよ。ボールをセットした時、キーパーの顔を全く見ることができなかった。強烈なプレッシャーを感じたからね。いつもならこの位置から助走を始めるんだ。なのにあの時はずっと下がって、下がり過ぎた。助走が長すぎると軸足が不安定になる。コントロールが難しくなる。カーブをかけて蹴ろうと思ったけど上手くコントロールできなかった」、「たいした距離ではないんだけどね。あの時は針の穴を通すような感じだった」などと当時の胸中を明かすと、そんな彼の言葉をVTRで聞いた川口は「運だけでは片付けられない勝負に必要な要素って絶対あると思います。PKのスキルであったり集中力だったり、勝つための執念。最も全てを出し切った試合だったと思う」と結論付けた。