店の一角には真っ黒に炭化した遺体が…女性6人を縛りガソリンで焼殺 「腕のいいうどん屋」が「残酷な強盗殺人犯」になるまで【平成の衝撃事件】
【写真】平成の「未解決事件」といえば…女性3人が射殺された凄惨な現場
公判で殺意否認・無罪主張
平成12年(2000)年6月11日、宝石店の女性従業員6人(22〜51歳)が手足を粘着テープで縛られた上、ガソリンで焼き殺されるという惨劇が起きた。現場は栃木県宇都宮市の繁華街。犯人の篠沢一男(49=当時)は1億2000万円相当の貴金属を強奪して逃走したが、翌日に逮捕された。
日頃は単なるパチンコ三昧の中年男だった篠沢。女性従業員6人に対する個人的な恨みなどはなく、単に“大金を奪う”ための凶行である。しかも後の公判では殺意を否認して無罪を主張し、被害者遺族にとてつもない衝撃と怒り、悲しみを与えた。
戦後初の死刑確定囚100人到達、法務大臣の死刑執行立ち合いなどもあり長く注目されている「宇都宮宝石店強盗放火殺人事件」を、「週刊新潮」のバックナンバーで振り返る。

(以下、「週刊新潮」2000年6月29日号「顔を見られたで宝石店女性『皆殺し』の残酷犯」を再編集しました。文中の年齢等は掲載当時のものです)
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半年前に結婚したばかりの22歳も
事件現場となったのは宇都宮市の「オリオン通り」と呼ばれる繁華街の一角。午後10時50分頃、突然、通りの宝石店から爆音とともに大きな火の手が上がった。
119番通報で駆けつけた消防隊が消火にあたったが、
「店内の休憩室で発見された5人の焼死体は、焼け落ちた天井や壁の瓦礫の下に折り重なって埋もれていました。どの遺体も真っ黒に炭化し、内臓や骨が見えるほど損傷が酷かった。しかも、1人はトイレの便座に腰掛けたままの状態で焼死していました」
と説明するのは松田一男・中央消防署副署長である。この哀れな被害者は店長(49)ら6人。半年前に結婚したばかりの従業員(22)も焼き殺された。
「その日、篠沢は4リットル入りのガソリン缶2つを隠し持って、閉店間際の午後7時半に、店に入り込んだのです」
と地元記者の1人がいう。
「最初は商談を装って話し込んでいたが、隙を見て全員の頭からガソリンをぶっかけ、“火をつけるぞ”と脅して、貴金属類を強奪したようです。しかもその後、粘着テープで女性従業員たちの手足を縛り上げると、ただ単に自分の顔を見られたからという理由だけで、ライターで火を点け、無造作に皆殺しにしてしまった」
見栄っ張りで仕事を転々
「昔は腕の良いうどん屋だったのにねえ」
と嘆くのは近所の住人。
「篠沢は地元の高校を中退すると、関西のうどん屋で修業。で、中学の同級生だった奥さんと昭和47(1972)年に結婚したのを機に、実家でうどん屋を始めました。郵便局に勤めていた父親の退職金を元手にしてね」
しかし、約10年前に閉店。これが彼の転落の始まりだった。その後、骨董屋を始めたり、さつきの盆栽を売買する会社に勤めたりしたが、どれも長続きせず、仕事を転々。
昨年には、暴力団関係者として県警から銃刀法違反容疑で家宅捜索を受ける始末だった。そして最近では、産廃処理会社の顧問を名乗ったりしていたが、知人の一人はいう。
「ラクして大金を手に入れることばかり考えているような男だった。ブランド物好きだと言われてますが、いつも白いワイシャツに黒のズボン。エルメス製だと自慢はしていたが年中、同じ服なんです。車もベンツ、BMW、そして今はポンティアックに乗っていましたが全部中古ですよ」
反省の色は微塵も見せず
そんな見栄っ張りの篠沢は消費者金融に数百万円の借金を作っていた。カネに困ると、霊園の管理人をしている80歳過ぎの父親などにも無心をしていたというし、しかも自分の息子の進学費用や生活費は妻が薬局の事務などのパートをして稼いでいたという。
で、本人は何をしていたかというと、これがパチンコ三昧の日々で、なんと月に300万円も注ぎ込んだこともあったというのだ。
「あの人はほとんど毎日顔を出していました。負ければ自棄(やけ)になってパチンコ台を叩くし、風体はヤクザみたいで質の悪い客でしたね」(小山市内のパチンコ店店長)
その篠沢は6人の女性を皆殺しにした強盗放火殺人で逮捕された。しかし警察の取り調べに対し、反省の色は微塵も見せないままだという。
「奪った貴金属を、未だに自分のカネで買ったなどと惚けているんだよ」(捜査関係者)
ある被害者の実母は、こういって声を詰まらせた。
「本当に悔しい。娘は戻ってきませんが、犯人には娘と同じ目に遭わせてやりたい」
(以上、「週刊新潮」2000年6月29日号より)
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一転して無罪を主張
逮捕後の篠沢は、大金目当てに犯行を企てたこと、女性従業員しかいない店を狙ったことを供述した。以前から犯行現場の店舗を利用しており、当初は店長だけを殺害する強盗殺人を計画していたが、5月下旬に失敗。従業員全員の焼殺に計画を変更すると、6月1日に再来店して商談を持ち掛け、計画を決行した11日は商品の受け取りを約束した日だった。
しかし同年10月10日、宇都宮地裁での初公判では一変。放火による火傷のため車いすで出廷した篠沢は「殺すつもりではなかった」と殺意を否認し、無罪主張に転じた。そのまま争ったが、平成14(2002)年3月19日、地裁は求刑通り死刑を言い渡した。
被害者遺族から「判決は当然」「控訴しないで」との声が上がるなか、篠沢は東京高裁に控訴。平成15(2003)年4月23日に棄却されたが、傍聴に訪れた多数の遺族は殺意の否認を続ける篠沢を厳しく非難した。
最高裁への上告も平成19(2007)年2月20日に棄却され、死刑判決が確定した。当時、別の強殺事件でも上告棄却での死刑確定があり、篠沢と合わせて戦後初の死刑確定囚100人到達となった。東京拘置所での死刑執行は平成22(2010)年7月28日のこと。当時の千葉景子法務大臣が執行に立ち会ったことも話題となった。
令和7(2025)年に篠沢の死刑執行から15年、事件から25年を迎えた遺族は、一部がメディアの取材に応じた。そこで切々と語られたのは、いまだに癒えぬ心の傷と、事件が風化することへの危機感だった。
デイリー新潮編集部
