「この家では、もう暮らせない」…住み慣れたマンモス団地を出て〈住宅ローン2,800万円〉念願の新築マンションを購入した夫婦、60代で直面した「厳しすぎる現実」
「再雇用による給与激減」「予想を超えて跳ね上がるマンションの維持費」、そして「手元にあるけど使うのが怖い退職金」--。今回は、周囲への焦りや見栄から30年ローンを組み、60代で住宅ローンの本当の厳しさに直面したある夫婦の事例から、マイホーム購入の現実を見ていきます。
「うちだけ、いつまでも団地住まい…」妻の憂鬱
坂本賢一さん(仮名・61歳)は、地方都市の中小企業に勤めるサラリーマン。定年を迎え、現在は嘱託職員として再雇用されています。娘が1人いますが、すでに独立しているため、妻の真美さん(仮名・60歳)との2人暮らしです。
いまから13年前、夫婦には「家をどうするか問題」が浮上していました。
当時、2人と娘が暮らしていたのは、地域でも有名な大規模なマンモス団地。結婚当初は古い棟の1DKに住んでいましたが、娘の成長に伴い、敷地内に新しく建った棟の3LDKへ引っ越しました。
敷地内には緑が多く、スーパーや学童もあり、利便性も抜群。なにより家賃が周辺の民間マンションに比べて格段に安く、「家を買うためのお金を貯めるには最高の環境」でした。坂本さん自身、団地の合理的な暮らしが気に入っていたといいます。
しかし、妻の真美さんは違いました。いくら設備が新しくても、団地住まいであることへの引っかかりがありました。友人たちが次々に一戸建てや分譲マンションを購入した話を聞き、いつまでも団地から抜け出せない焦りと、強烈な劣等感が募っていったといいます。
妻の笑顔に「買ってよかった」
「私も仕事に復帰してパートで稼ぐから」「コツコツ貯めた貯金が1,500万円あるから、1,000万円を頭金にしても大丈夫じゃない?」と、坂本さんに熱心に訴えました。
坂本さんも、「年齢的にもこれが最後のチャンスか。せっかく貯まったお金を頭金にして、資産になる家を買った方がいい」と新築マンションの購入を決断。物件価格は3,800万円。頭金1,000万円を除いた2,800万円の住宅ローンを、48歳にして30年ローンを組みました。
変動金利で毎月の返済額は約8万5,000円。これに購入当初の管理費・修繕積立金が1万5,000円。もちろん78歳までローンを支払い続けるのではなく、繰上げ返済が前提です。
「今の団地の家賃に比べれば高くなるけど、この金額なら無理なく返せるし、退職金もある。夫婦の収入が増えれば、繰上げ返済も十分可能だ」と、当時は楽観的に考えていたのです。
実際に購入すると、新築ピカピカの室内、最新の設備に気分は盛り上がりました。なにより妻が嬉しそうに微笑んでいるのを見て、坂本さんも心底「買ってよかった」と思ったといいます。
退職金1,200万円の誤算。60代で迎えた「定年」という名の崖っぷち
そして今。60代になった坂本さん夫婦は、窮地に立たされていました。「なんとかなる」と思っていた未来予想図が、ことごとく崩れ去ったのです。
60歳の定年時に1,200万円の退職金は支給されました。しかし、いざ住宅ローンの残債を確認すると、まだ約1,600万円が残っていました。
坂本さんは、漠然と「退職金が入ればローンはほとんど片付くだろう」と考えていました。しかし現実には、退職金をすべて返済に充てても完済には届きません。
「退職金で完済して、老後は身軽になるつもりでした。でも、実際には数百万円足りなかった。かといって退職金を全部使ってしまえば、老後資金がなくなる。その現実を前に、返済する決断ができませんでした」
結局、将来への恐怖から退職金には手をつけられず、そのまま定期預金に封印せざるを得ませんでした。
60歳で再雇用になると、坂本さんの年収は約600万円から350万円へと大幅ダウン。定年後に給料がある程度下がることは認識していましたが、ここまでの大幅減は想定できていませんでした。
厚生労働省「令和5年賃金構造基本統計調査」によると、男性(正社員)55〜59歳の平均給与は月45.9万円に対し、男性・正社員以外の60〜64歳の月収は平均29.8万円。正社員から正社員以外になることで、月収は大幅に減少。坂本さんのような減収は決して珍しくはありません。
追い打ちをかけたのが「マンション維持費の値上がり」でした。購入当初は1万5,000円だった管理費と修繕積立金が、築年数の経過と物価高騰に伴い、12年目の今では毎月3万5,000円にまで跳ね上がっていたのです。
ローンの8万5,000円と維持費を合わせると住居費だけで毎月12万円が吹き飛びます。現役時代ならまだしも、収入が激減した身には、想像を絶する厳しさでした。
激しい夫婦喧嘩の果て
また、手元の生活費を増やすため、パートで稼ぐと言っていた妻の真美さんでしたが、慢性的な腰痛や体調不良に悩まされるようになり、思うように動けませんでした。結局、月5万円程度の軽いアルバイトにとどまったのも誤算でした。
年齢とともに夫婦の医療費は増え、車の買い替えなどの臨時支出も重なります。家計は毎月赤字続き。お金に余裕がなくなった結果、夫婦の間には「あなたがもっと夜勤のバイトでもしてよ」「そもそも君が団地を出たいと言ったんだろ!」と、罵り合いが絶えなくなっていました。
返済のストレスで家庭がギスギスする。年金暮らしを5年後に控え、この先どうなるのかという恐怖が坂本さんを襲いました。
再び賃貸へ…「身の丈に合った暮らしは快適」
「この家では、もう暮らせない……」
結局、坂本さんは家を売ることを決断。真美さんも納得せざるを得ませんでした。ただ、幸運にも近年の中古マンション価格の上昇の波に乗り、ローン残債を差し引いても数百万円の手元資金を残すことができました。
2人暮らしで広い部屋は必要ありません。転居先には家賃7万円の少し古い賃貸マンションを選びました。こうして、手をつけずに守り切った退職金1,200万円と、家を売って戻ってきたお金が、ようやく本当の意味での「老後の安心資金」になったのです。
住んでみれば、毎月約12万円あった住居費の負担は5万円も浮くことになり、家計は一気に楽になりました。固定資産税と修繕積立金の増額に怯える必要もなく、身の丈に合った暮らしの快適さに気づいたといいます。
坂本さんは振り返ります。
「退職金があればなんとかなるなんて、甘い幻想でした。私たちの年齢での住宅ローン返済は、よほど慎重にしないとダメだったんだと思います」
真美さんもまた、しみじみと語ります。
「『あの団地から抜け出して、みんなと同じになりたい』と見栄を張り、楽観的すぎました。家を手放して、ようやくあの重苦しい返済ストレスから解放され、心の平穏を取り戻せました」
家は人生最大の買い物。特に定年という収入の崖をまたぐ年齢でローンを組むことの厳しさを、坂本さん夫婦の選択は痛烈に教えてくれます。
