「先祖の悪評払拭したい」 伊豆国代官の末裔、秦野の八巻さん 源頼朝挙兵の謎解明へ奮闘

恩讐(おんしゅう)を超え、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の挙兵にまつわる謎を解き明かそうと奮闘を続ける郷土史家がいる。神奈川県秦野市弥生町の八巻(やまき)正和さん(76)。平家追討ののろしを上げた頼朝が最初に打ち破った伊豆国の目代(代官)、山木兼隆の末裔(まつえい)だ。原動力は「先祖の悪評を払拭したい」との一念。一族の悲願を背負い、“旧敵”の足跡をたどっている。
伊豆・蛭ケ小島(ひるがこじま)に流されていた頼朝は1180年8月17日、三嶋大社の例大祭の日に兵を挙げて伊勢平氏の血を引く兼隆の館を襲撃したと伝わる。頼朝の正当性を主張する後世の史書などを通じて“悪代官”としての兼隆のイメージが形成されたが、八巻さんは異を唱える。
「(史書などには)平家の悪政を正して源氏が良い世の中をつくったという思想がある。代官も庶民を苦しめたとされるが、そんなことはない」と八巻さん。兼隆は頼朝同様、伊豆に流された人物で目代に任命されたのは頼朝挙兵の50日ほど前とし、「50日では政治なんて行えない。平家の代官になったから討たれてしまった」と主張する。
調査を始めたのは11年ほど前。定年退職を機に「歴史を知らないと街の将来を語れない。生まれ育った小田原への恩返しにもなる」と考えたのがきっかけだった。経歴など兼隆の事績について判明しているものは断片的で、子孫でつくる「やまき同族会」がまとめた書籍を読み直したが「各家に伝わる伝承が中心」(八巻さん)。史料との整合性が取れない話も多かったという。
