「長嶋巨人でプレーする未来もあった」とふり返る江夏豊さん(右。写真は2014年2月12日撮影)

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「オールスター9連続奪三振」や「江夏の21球」で球史に名を刻んだ江夏豊さん。齢78を迎え、今だから話せる思いを語り尽くした『江夏の遺言』(小学館)を上梓した。伝説の左腕が明かしたライバルとの秘話、そして「遺言」とは──。作家の松永多佳倫氏が聞いた。

【写真】王貞治さんからプロ野球新記録となるシーズン354個目の三振を奪った瞬間。ほか、田淵幸一さんと肩を組む現役時代の江夏豊さんも

フルスイングで応えた最大の強敵・王貞治

 78歳の誕生日を迎えて思うことがある。俺もやはり人の子。"終活"ではないが、あとどれだけの人生を過ごせるか。だから今言いたいこと、残したいことをまとめておく良い機会だと考える。別に弱気になっているんじゃなしに、人生において自分なりのケジメをつけておきたいのだ。

 時代ごとにいろんな強打者、好打者がたくさんいたけれど、自分の現役生活をふり返って最高の強打者は誰かと聞かれれば、やはり人気、実力ともに抜きん出ていたホームラン世界記録868本の王貞治と答える。

 忘れられないのは、1968年のシーズン最多奪三振記録を王さんから奪って達成したシーンだ。4回に王さんから三振を奪って新記録達成だと思ったのが勘違いでタイ記録だったんだ。そこからひと周り三振を取らずに王さんを迎えるのには難儀したものだ。

 巨人ナインにも俺の思いが伝わっていたようで、3番のミスターなんかは当てるだけのバッティングでお膳立てしてくれた。王さんも記録のことは知っており、あえてフルスイングで立ち向かった。紙一重で三振に切って取れたが、少しでも甘く入っていたらスタンドインだったと思う。

 俺の調子が悪かったときは、わざと3ボールにしてから労せず1ストライクを取り、5球目から勝負したものだ。3ボールでは振らない王さんだからこその苦肉の策だ。空振りを奪うか、スタンドへ放り込むかの真剣勝負だった。生涯で20本のホームランを打たれたが、俺にとって輝かしい勲章でもある。

ミスターが渇望した幻の「巨人・江夏豊」

 俺から言わせれば、ONはすべてにおいて好対照のバッター。王さんは武士道の如く、一本足という究極の型を持っているが、ミスターは型などなく変幻自在の忍者殺法。だからといってギアの入れ方が異なるわけではなく、まったく同じ気持ちでぶつかってきた。

 実は俺が阪神から南海にトレードされた1975年、巨人へのトレード話があった。巨人が史上初の最下位に沈んだシーズンで、監督初年度のミスターはペナント奪還に向けて補強を進める中で、阪神の問題児だった俺に白羽の矢を立てたというわけ。他にも南海の野村のおっさんもとろうとしていたんだから、ミスターの巨人再興の本気度はすごかった。

 結局、新聞にすっぱ抜かれてご破算。"もし"の話は嫌いだが、あのとき巨人に行ければ、俺の野球人生も大きく変わっただろう。いつでも野球に全力なミスターは、愛すべき人だっただけに、一緒に野球をやりたかった思いは今でもある。ミスターは俺にとって"太陽"に他ならない。

田淵幸一は「戦友であり親友」

 ブチとは阪神時代からの縁だ。ヤツの素振りを見て「もっと真剣に振れや」と何度言ったことか。あるときは鏡の前で構えだけしているから「何やっとん?」と尋ねると「俺は構えが決まればいい」と答えてきて、呆れた覚えがある。でも本番では滞空時間の長い弧を描くホームランを連発。天性のアーティストだと感服した。

 プライベートではほとんど遊んだことはなかったが、つくづくウマが合うと感じたものだ。一度帰りが一緒になって「どこ住んどる?」と聞くと、近所ということがわかり、「ここや」とブチが指差したマンションが、俺と同じマンションだったこともあった。

 ブチが引退する1984年には西武でもう一度チームメイトにもなった。ブチとの巡り合わせは本当に不思議なもの。今も連絡を取り合う終生の友だ。

「人生は綺麗事ばかりじゃない」

 現役生活18年間をふり返って激動の野球人生だと誰もが思うことだろう。でも俺にとって引退後の42年間も精一杯やった期間には変わりない。本当に人に恵まれ、支えられた人生だったとつくづく痛感している。

 俺は一度法を犯した人間だ。罪を償うために行かなくていいところに行き、体験しなくてもいい苦しみを味わった。映画の世界ではないけど凄惨な場面にも遭遇し、言葉に言い表わせないようなこともたくさん目にしてきた。過ちは一度だけで十分すぎる。そのときに、もう二度としないと心に誓った。

 手を差し伸べてくれた人たちを二度と裏切ってはいけない。それだけを肝に銘じて生きてきた。人生は綺麗事ばかりじゃないのは誰でも知っていること。先の読めない世の中だからこそ、皆必死に耐えて何かを守るために生きているんだ。

 だから、己を信じなければ人生じゃなくなる。己を信じて胸を張って前を見ろ。それだけで人生は変わるから。

※週刊ポスト2026年5月29日号