“最強”の石垣はどっち?雲海に浮かぶ「竹田城」VS森の中に沈む「高取城」!豊臣秀長ゆかりの2城の「強さ」を検証
古城探検家の今泉慎一さんが、「豊臣兄弟ゆかりの“戦う城”」の歩き方と、秘められた歴史ドラマを紹介する本連載。第2回はいずれも石垣が見どころの名城。竹田城(兵庫県朝来市)と高取城(奈良県高取町)です。
文・写真=今泉慎一
秀長に縁深き天空の城・竹田城
「天空の城」またの名を「日本のマチュピチュ」。竹田城の名を知らなくても、雲海に浮かぶ絶景を目にしたことがある方は多いと思います。この城、実は大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主役、秀長とも深いゆかりのある城でもあります。
織田信長の麾下(きか)で、中国方面の軍団長に任命されたのが羽柴秀吉。その忠実な右腕として従っていた秀長もまた、中国地方で戦いに明け暮れます。なかでもその働きぶりが顕著だったのが但馬攻め、現在の兵庫県北部への侵攻でした。その際、秀長は竹田城をわずか数日で攻略。その後は但馬支配の拠点とします。自らの手で攻め落とし手に入れた城というわけです。
比高(麓からの高低差)250mの山上に、ビッシリと築かれた石垣は雲海がなくとも見るものを惹きつけます。実はこの石垣群の大半は、秀長が去った後の城主・赤松広秀時代に整備されたものといわれていますが、それはさておき。基本の縄張(城の間取りや構造)は変わっていないと想定して、「戦う城」としての竹田城の凄さを覗いてみましょう。
本丸から南北尾根を見るとわかること
竹田城は、標高353.7mの虎臥山の山頂一帯、南北に伸びる尾根に築かれています。
本丸は尾根上で、扇の要にあたる場所にあります。南北それぞれを見晴らすと、細かな縄張の工夫が手に取るようにわかります。まずは本丸から「北千畳」と呼ばれる北方。
高低差のある曲輪(城内の各区画)の並びが、左右に折れながらの導線になっているのがわかるでしょうか。直線的に進みづらいほど、城内に攻め入った敵を阻止しやすくなります。元々の地形も“く”の字に折れていますが、さらに石垣を巧みに組み合わせることで、何度も折れを作り出しているのです。
この構造は、南西に伸びる尾根の「南千畳」側を見るとさらに顕著です。
手前のW字のような部分が独特。L字やそれを組み合わせた「食違い虎口」は城ではよく見られますが、W字は他の城ではほとんど見られません。他の曲輪にも、ナナメの石垣が散見されます。
ところで、同じ場所を逆アングルで見てみるのも、城を訪れる際に覚えておきたいポイントです。南千畳へと降りてゆき、振り返るとこんな光景が目の前に現れます。
攻め手になった気分で相対すれば、側面の急崖に気を配りつつ、正面からの攻撃をかい潜り突入することが、いかに困難か身をもって感じられるはず。城はあくまで「攻める」ものであって、「眺める」ものではないのです(少なくとも戦国時代の城は…)。
細部にも様々な仕掛けあり
竹田城、細部にもいくつも(見どころではなく)攻めどころ、守りどころが隠れています。
まずは本丸の西にわずかに突出した尾根上にある「花千畳」。
両サイドに少しだけ高くなった部分は、往時はもっと石垣が高く積まれていたか、その上に柵などが設置されていたはず。曲輪の端を土手のように嵩上げすることで、高低差を増し侵入しにくくし、城内からは身を隠しながら攻撃が可能となります。
L字の折れを組み合わせた食違い虎口、竹田城には北千畳にその典型例があります。
折れているということは、複数方向からの攻撃にさらされるということ。折れても折れてもまだ先がある。メンタル的にも攻め手を萎えさせる効果もあったかもしれません。
城の最も中枢である本丸への石段にも、やっかいな「仕掛け」が施されています。
途中から急に、石段の幅が狭くなっています。導線を曲げることと同時に、狭くすることも防御上のセオリー。考えなしに侵入してしまうと、詰まっているうちに一網打尽にされてしまいます。もっとも本丸手前まで攻められてしまっては、落城は時間の問題かもしれませんが…。
絶景で知られる竹田城ですが、視点を変えて城内すみずみまで巡ってみると、戦う城としての見どころを体感できることは間違いありません。
木漏れ日を浴びる幻想的な高取城
竹田城が「天空に浮かぶ石垣の城」ならば、高取城はいわば「森に沈む石垣の城」です。
天下をほぼ手中にした秀吉の弟として百万石の大大名となった秀長。自身の居城は郡山城とし、その南を守る要として大改修を施したのが高取城でした。標高584m、比高390m。城下町から徒歩で向かうと、2時間近くかかる山中にあります。
6万平方メートルもの城内に大小の天守、27の櫓、33の門。そして、おそらく全国の山城の中でも、その石垣の規模やバリエーションの豊富さは、「山城日本一の石垣」といっても過言ではありません。さらに素晴らしいのが、大半が見上げるような高石垣で、しかも残存状態が極めて良好なことです。
壁のように立ちはだかる高石垣には、ただただ息を呑むばかり。竹田城とは異なり、城域は切り立った尾根上ではなく、山肌を覆い尽くすように広がっています。
その大半が緑に覆われており、木漏れ日も相まってミステリアスな雰囲気も醸し出しています。
凝りに凝った構造は何のため?
本丸周辺の石垣はアート作品のようにも見える部分も。
もちろんこれらも「見せる」ためにこのような姿になったわけではありません。あくまで軍事施設として、敵の侵入を防ぐための工夫です。
本丸唯一の入口は北側。スロープ状の緩やかな坂道ですが、U字型に180度向きを変える導線で、わずかな隙間をすり抜けてゆく必要があります。両側の高石垣上から雨霰の攻撃は避けられません。さらにその先にも…。
なんと、さらにもう一回、U字型に折れ曲がっています。執拗なほどの折れ。本丸入口なのでここがいわば「最後の砦」ですが、絶対に諦めない築城者の強い意志が感じられます。
本丸は四方を全て10m近い高石垣で守られていますが、特に注目すべきは北東の角。
立体的かつ幾何学的に複雑に組み合わさった構造は、後から徐々に積み増しされたものか。あるいは当初からこの形だったのか。
いずれにせよ、「より崩れにくく強固に」「より高さを増し侵入しづらく」、という意図だったことは間違いないでしょう。
ややマニアックですが、各頂点が算木積(さんぎづみ=長編を互い違いにする積み方)になっているのも注目。石垣を頑丈にするための工夫のひとつです。
本丸から下った先にも見どころ多数
高取城、本丸とその周辺だけでも充分に石垣のダイナミックさを体感できるのですが、山道を少し下ってみると、さらにその凄さを堪能できます。
勾配はそこそこ急なところもありますが、道は明確で迷うことはほとんどありません。
松ノ門そばにある櫓台は、自然の断崖上に聳えています。自然地形も活かしつつ、その上に石垣を積みましさらに高低差を稼いでいるのが実にみごと。
門跡を抜けると、両サイドを高石垣に挟まれた堀底道。まるで両側から石垣が覆い被さってくるかのよう。
本丸から約20分ほど下ったところが二の門。ここにも石垣は残っているのですが、もうひとつ注目すべきは「水堀」。
高取城の案内板などにはそう記されていますが、実際には水の手(籠城時の水源)としての役割の方が大きかったのでは、と思われます。山深い場所になぜこれだけの規模で?と思うほどの広大さには、石垣同様に息を呑みます。
城域自体はまだまだ先まで続いているのですが、めくるめく石垣群が続くのはこのあたりまで。ここまででも十分、「山城日本一の石垣」ぶりを堪能できるでしょう。
竹田城と高取城、タイプはまるで異なりますが、いずれ劣らぬ石垣が見事な名山城の両巨頭。そして、その二城いずれにも、豊臣兄弟の弟・秀長ゆかりの城というのも驚きです。どちらの城も、『豊臣兄弟!』の展開も想像しつつ訪れてみると、美しさとともに「戦う城」としての魅力にも気づけるはずです。
今泉慎一(いまいずみ・しんいち)
古城探訪家。編集プロダクション・風来堂代表。著書に『戦う山城50』(イースト・プレス)『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社)など。
