57歳医師と看護師の夫婦が、一人で東京に暮らす25歳長女の「安否確認」を依頼するまで
2026年5月5日、若者の引きこもり支援を続けてきたNPO法人ニュースタート事務局(千葉県市川市)の活動終了について東洋経済オンラインが報じた。ニュースタートは1994年の活動開始以来、6000件以上の相談を受け、1600名以上がサポートの結果、主体的に自立していった実績を持つ。メディアにも取り上げられた同団体の活動により、「引きこもり」という存在が周知され、多くの支援につながるなどの実績を残した。
引きこもりについて、厚生労働省は「様々な要因の結果として、就学や就労、交遊などの社会的参加を避けて、原則的には6ヶ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態のこと。(他者と交わらない形での外出をしている場合も含む。)」と定義している。
理事・二神能基さんは終了の理由について、動画を発表。そこで一定の実績を残せたことと「問題を家族で抱え込まず、他者の力を借りて問題を解決しようと訴えてきたが、家族で解決しようという潮流があり、そこには勝てなかった」という思いをニュースタートの動画で語っている。
引きこもりは当事者の高齢化もあり社会問題になっている。厚生労働省は2026年5月1日に引きこもり支援のサイトを更新。15〜64歳の50人に1人、約146万人がひきこもり状態にあるという推計結果から、支援が必要なことを訴えている。
キャリア10年以上、3000件以上の調査実績がある私立探偵・山村佳子さんは、メンタル心理アドバイザー、夫婦カウンセラーの資格を持つ。「人間関係のトラブル、さまざまなハラスメント被害などから心の病になり“引きこもり”状態になる人もいます。中には親子関係が良好でないことが原因となり、引きこもる人も。別居している親から“子供の様子を見てほしい”という依頼も増えています」という。
学生時代は警察官を希望していたが、当時は身長制限があり、受験資格はなかった。一般企業に勤務するが、目の前の人を助けたいという思いは強く、探偵の修業に入る。探偵は調査に入る前に、依頼者が抱えている困難やその背景を詳しく聞く。山村さんは相談から調査後に至るまで、依頼人が安心して生活し、救われるようにサポートをしている。
「探偵が見た家族の肖像」につづく連載「探偵はカウンセラー」は、山村さんが心のケアをどのようにして行ったのかも含め、様々な事例から、多くの人が抱える困難や悩みをあぶりだしていく。個人が特定されないように配慮しながら、家族、そして個人の心のあり方が、多くの人のヒントとなる事例を紹介していく。
今回山村さんのところに連絡してきたのは、57歳の看護師・里香さん(仮名)とだ。「おそらく引きこもりになっている娘の様子が知りたい」と連絡をしてきた。
山村佳子(やまむら・よしこ)私立探偵、夫婦カウンセラー。JADP認定 メンタル心理アドバイザー JADP認定 夫婦カウンセラー。神奈川県横浜市で生まれ育つ。フェリス女学院大学在学中から、探偵の仕事を開始。卒業後は化粧品メーカーなどに勤務。2013年に5年間の修行を経て、リッツ横浜探偵社を設立。豊富な調査とカウンセリング経験を持つ探偵として注目を集める。テレビやWeb連載など様々なメディアで活躍している。
25歳の長女のことで
里香さんから「娘が心配なのです」と連絡が入ったのは、金曜日の夕方でした。「夫と土曜日の夕方に伺いたい」というので、里香さん夫妻をカウンセリングルームにお迎えしました。里香さんは看護師、同じ57歳の夫は勤務医で、北海道からやってきたとのこと。スーツ姿でかなり緊張しています。里香さんはすぐに依頼の背景を話し始めました。
「お願いしたいのは、25歳の長女のことです。小さい頃はちゃんとした普通の女の子だったのに、中学校に入ってからは、おしゃれだ化粧だって、遊ぶことばかり。その頃から、手に職がないとまともな結婚ができない時代になっており、女が幸せを手に入れるには勉強が近道だとわかっているのに、娘はやらなかったのです」
その後、1時間ほど娘の素行の話をしており、私が気になったのは、「娘が16歳ごろから自分は男だ、と言い始めた」という里香さんの発言です。里香さん夫妻は旧来の性別観を持っている。話を聞いていると、娘は、セクシャリティはわかりませんが、親が押し付けてくる「女」を否定して「男」になり、自分の心を守ろうとした可能性もあるのではないかと思いました。
「男化はいつの間にか終わり、高校はなんとか卒業できました。不登校も長く、ギリギリの出席日数だったのですが、高校を出たのは、『卒業したら東京に出てもいい』という条件をつけたから」
「医者一族の落ちこぼれ」夫の姉の家に暮らす
就職先も決めずに、18歳の女性が単身で東京に暮らし始めるのはリスクが多いです。
「マオ(仮名)という夫の姉と同居するということなので、OKを出しました。夫の姉は変わり者で、ずっと夜の仕事をしており、医者揃いの夫一族の落ちこぼれ。当時生きていた義母は『足りない者同志話が合うんだね』と呆れていました」
この時、娘は里香さん夫妻のLINEと電話もブロック。しかし、里香さん夫婦は、夫の姉・マオさんに月1回電話し、娘の様子を聞いていました。その内容は「すぐに連れ戻したい」と思うようなことばかりだったそうです。
「同性の恋人と付き合って100万円以上のお金を貢いでしまったとか、魂の友人だという男性の家に泊まったら、強制的に性交渉になりアフターピルを飲んだとか、その後に付き合った恋人からはDV受けて病院に行ったとかそんなことばかり。マオさんも『ゆるやかに死ぬことを望んでいるような自暴自棄っぷりだよ』と話しており、『しばらく見守ったら、いい頃合いで、私が諭すから』と言ってくれていたのです。ところが、マオさんは諭すことはせず、7年間も娘を野放し状態で……。娘は上京当時の経験のショックから、半ば引きこもりになっており、夫の姉の身の回りの世話や、ネットでもできる仕事で稼いでいたようです」
”野放し状態”と里香さんは言いますが、マオさん自身、医者ぞろいのなかで「落ちこぼれ」と親から言われる状況から逃れてひとり上京していて、娘の思いを理解していたのだろうと想像します。そういう存在がいて本当に良かったと聞きながら感じていました。
夫の姉が65歳で急死
ところが、1年前にマオさんは急性心不全で亡くなります。
「朝起きたら冷たくなっていたと聞きました。65歳という若さだったのです。私たちが死去を知ったのは、いつものように夫の姉に電話すると、娘が出たことから。通話相手が私と知ると、『マオちゃんは亡くなりました。葬式も終わってます。もうあなたたちとは無関係です』と電話を切り、着信拒否されました」
その後、里香さんが夫の姉の友人に話を聞くと、第一発見者は娘で、警察での手続きなども行い、マオさんの友人たちと葬式を出したことがわかったのです。
「夫の両親は他界しているから、仕方ないのですが、私たちまでお線香1本上げられないなんて寂しいですよね。未婚で子供もいない夫の姉の資産は、マンション含めて娘が相続したことがわかりました。そもそも心臓が弱かったから、事前に準備を進めていたんでしょう。困ったのは私たちで、娘について聞くことのできる、頼れる人がいなくなってしまったのですから」
そこで里香さんは、仕事の合間を縫って、娘の家に何度も行きましたが、チャイムを押しても常に留守。
「いつもドアノブに娘の好きなお菓子をかけておいたのですが、ある時5回分まとめて『ゴミを放置するな。警察に通報するぞ』と赤マジックで書かれた段ボール箱にぎゅうぎゅうに詰め、送り返されました」
娘の恋愛事情を詳しく把握している理由
ここまで話すのに2時間半、里香さんも夫も目を真っ赤に泣き腫らしています。そして「多分、娘はずっと引きこもり状態だと思います」と言いました。
「私たちが恐れているのは、変な人と同棲していないかどうか。娘は昔から交際相手に支配されやすい。相手に依存したり、試すようなことをしてしまうのです。また、すぐに体の関係を持ってしまうのも心配なのです」
親が子供の恋愛事情をここまで把握しているのは珍しいです。おそらく、里香さんは娘の行動を監視したり、制限を加えていたのではないでしょうか。
「心配ですから、そうしますよ。一緒に住んでいればコントロールできましたが、もうお手上げ。まだ25歳なのだから、まともな道に戻って、働いて、家庭を築いてほしい。その前に、今、どういう生活をしているのか、知りたいのです」
里香さん夫妻は、娘を自分たちが考える「幸せのレール」に乗って欲しいと思っている。こういう環境で育ったから、娘はある種の生きづらさを抱えることになったのではないかと拝察しました。親からの否定は、子供の心に自己不信を植え付ける傾向が強く、境界性パーソナリティ障害や、解離性障害になる可能性が高い。娘が思春期に「男性になりたい」と言ったことも、生き辛さが現れているのではないかと感じました。
娘の安否確認だけしたいんです
そこで里香さんの夫が思い口を開きます。
「妻はあれこれ言いますが、娘は生きていればいいと思っています。あなたにお願いしたいのは、安否確認と今の姿の撮影です。引きこもっていても外出はするでしょうから行動パターンを把握しておきたい。また、出入りしている人がいるなら身元を突き止めてほしい。これは、もしもの時、娘を守れるように、親として知っておきたいのです」
父親として、思いを込めて話しており、私もお役に立ちたいと強く思いました。最後に、他にご家族がいないか質問すると、「次女がおります。今、22歳で夫の母校である医大に在学中で、東京に住んでいます」とおっしゃっていました。
次女は、勉強が大好きで医師の道を歩んでいます。きょうだいの仲は悪くないそうです。
「次女は人を突き放したところがあるので、長女のことはなんとも思っていないと思います。医大は勉強と部活に忙しくて、長女と会ってさえいないでしょう」
帰りがけに、里香さんが「もし、変な人が出入りしていたら、警察に通報してください」言っていました。切実な親の気持ちを受けて、調査に入ることにしました。
◇ご夫婦はともに長女のことを思い、愛情を持っているけれど、マオさんへの対応を見ても、「医師の一族」としてのプレッシャーにもさらされてきて、「男性はかくあるべき」「女性はかくあるべき」となってしまっていたのかもしれない。長女が安心して自分のままで生きていけるように、心のケアが必要なのだろう。
では今はどのような生活をしているのだろうか。詳しくは後編「25歳で引きこもりの長女の安否は…57歳医師と看護師夫婦が知った、長女にしのびよる「魔の手」と「救いの手」」にてお伝えする。
