「父親から半殺しにされた」「立てなくなるまでボコボコに」家族に虐待され中2で精神崩壊…小田切ヒロ(44)が、過酷な環境から逃げ出せた“きっかけ”
〈「家で殺し合いのケンカ」「継母を包丁で殺そうと…」5歳で実母と生き別れ→継母から“洗脳と虐待”を受けた小田切ヒロ(44)の壮絶な子ども時代〉から続く
数多くの著名人のヘアメイクを手掛け、登録者数165万人超えのYouTubeチャンネル『HIRO BEAUTY CHANNEL』を運営するヘア&メイクアップアーティストの小田切ヒロさん(44)。
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総フォロワー数390万人(2026年5月時点)を誇り、「美のカリスマ」として脚光を浴びる存在だが、その裏には想像を絶する幼少期があった。
5歳で両親が離婚。父の再婚後、継母から“洗脳”と虐待を受け、さらに学校では壮絶ないじめ被害に遭っていたという。彼はどのようにして、その過酷な状況から抜け出したのか――。小田切さんに話を聞いた。(全4回の2回目/3回目に続く)

小田切ヒロさん ©三宅史郎/文藝春秋
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父親から立てなくなるまで殴られ続けた
――成長するにつれ、父親や継母との関係性が変化することはありましたか?
小田切ヒロさん(以下、小田切) 小学生の時、塾に行っていなかったのと、やさぐれていたこともあって勉強が全然できない子だったんですね。それで、中学校受験で3校受けたんですけれど、3校とも答案用紙を白紙で出したんですよ。少なからずの反抗というか、父親へのサインとして。
――父親はどういう反応でしたか。
小田切 当然、私がなぜ白紙で出したか問い詰められるわけです。その時に、私がこれまで思っていたことや本音をバーッと吐き出したんですね。そうしたら、父親から半殺しにされました。「お前にいくらかけたと思ってるんだ」と。
――お父さんは、小田切さんが本当は塾や習い事に行っていないことを知らなかったわけですものね。
小田切 そうです。継母が嘘をついて、ずっと父親から月謝を騙し取っていたので。だから私が父親からボコボコにされている間、継母は私が本当のことを言わないように、ヘビのような目でこちらを睨んでいて。
「あ、黙っていないと継母に殺されるな」と思ったので、その時はただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と言って、立てなくなるまで殴られ続けることでやり過ごしたんです。
中2で精神崩壊→窓から飛び降りて家出したが…
――その後は、公立の中学校に通ったのでしょうか。
小田切 そうですね。相変わらず継母は、私に月謝袋を持たせて父のところに行かせて、お金を引っ張っていました。
中学2年生の時に、私の精神が崩壊してしまって家出したことがあったんですよ。部屋をグチャグチャにして、部屋にあるものを全部窓から外に投げて、窓から飛び降りて家出したんです。でも、家出と言っても親友の家にいたので、親もどこに行ったのか大体見当がつくわけです。
――迎えに来たのですか。
小田切 はい、家に連れ戻されてまず、父親がリビングで「座れ」と。そうしたら続けて「お前は塾でいじめられてたことを、ずっと話せなかったんだよな」と言われて。
どうやら、私が家出していた2、3時間の間に、継母が父親を言いくるめたようなんですよね。私が塾でいじめられていて、他の習い事でもいじめられていたことに耐えられなくて行かなくなってしまったんだと嘘をついて。
話の途中で私がトイレに立ったんですけど、すれ違いざまに継母から「本当のことを言ったら殺す」と言われたんですよ。
――その時、父親に本当のことを言わなかったのでしょうか。
小田切 それが、打ち明けたんですよ。今まで受けてきた仕打ちの内容や、月謝袋が嘘だということも全部。でも、中学受験の時と、家出の時と、2回も打ち明けているにもかかわらず、まったく伝わらなくて。
父親も継母から“洗脳”されてしまっているようで、その話を信じて疑わない様子でした。「この人に言ってももう何も解決しないんだ」と、そこから諦めの人生が始まりました。
「ロッカーに閉じ込められてボコボコにされた」中学時代に受けた“壮絶イジメ”
――当時、学校生活はどうでしたか。
小田切 中学時代はもう、ありとあらゆるいじめを受けていました。優しいところで言うと、靴がなくなったり画鋲を入れられたりというのは日常で、物はなくなるし、給食の残りを机の中に入れられたり。
掃除ロッカーの中に閉じ込められてボコボコにされることもありましたし、後ろから突然パンチをされるようないじめはよくありましたね。でも、一番強烈だったのは先生からのいじめです。
――先生からはどういったいじめを受けたのですか?
小田切 見た目のコンプレックスってそれぞれあるじゃないですか。目が細い、鼻が大きい、背が小さい、歯が出てるとか、何かが人と違うという。そういう生徒たちが抱えているコンプレックスを面白がる先生がいて。
全校生徒が行く林間学校の時に出し物があったんですけれど、その先生がそれぞれのコンプレックスのパーツだけを写真から切り取って、目だったら目、鼻だったら鼻、というように「この口は誰の口でしょう」みたいなゲームを作ったんです。その時に、私もターゲットにされてしまって。
「もう逃げる場所もない」「死んでやろう」中学校で自殺未遂
――どんな心境でしたか。
小田切 死のうと思いました。家庭のことや学校でのいじめで苦しかったところに、先生からもそんなことをされてしまった。もう生きる場所もなければ、逃げる場所もない。だからその時は、死にたいというよりも「死んでやろう」と思ったんですね。
――復讐のために死のうと?
小田切 そうですね。仕返しのように、その先生を懲らしめてやろうと思っていたんです。それで、結果は失敗に終わったんですけれど、自殺を考えて。でもその日、たまたま足場台が置いていなくて、手が届かなかったんですね。
――そこで思いとどまれたのですね。
小田切 本当は死にたかったわけじゃなくて、死んでやりたかっただけなんですよね。だって、本当に死にたかったら台も自分で用意していたかもしれないですし。そういうことがあったから、中学時代はそれが一番心の傷になっていますね。
あとは卒業の時に、卒業アルバムにみんなで寄せ書きするじゃないですか。みんなが「3年間ありがとうね」みたいなことを寄せ書きしあう中で、私はど真ん中に大きく心を突き刺す言葉を書かれたんです。
――それはすごくつらいですね。
小田切 その日の帰り道に、卒業アルバムを捨てて帰りました。若い時はすごくそれが傷になっていましたけれど、今思えばその傷が強さになったかなと思う部分もあります。
「自分もそこで生きられるんだ」17歳で家出をした経緯
――その後、高校には進学したのですか。
小田切 継母は私が私立に進学することにこだわっていたので、その希望を叶えて私立の高校に入りました。
16歳でバイトを始めてお金を得られるようになり、高2の時に初めて新宿二丁目に行ったんです。そうすると、これまで悩んでいたセクシュアリティの部分が解消されたんですよ。「私と同じような心の傷を負った人がいっぱいいるんだ」と。
――居場所のような。
小田切 当時の私にとっては「自分もそこで生きられるんだ」という場所が見つかった感じでしたね。それから二丁目に入り浸りになってしまったんですけれど、そこで初めて恋愛をしたんです。
――相手はどんな人だったのですか?
小田切 夜の世界の人だったので生活のサイクルが真逆だったんですが、その人に会って、初めて生きている心地を感じたんです。自分のことを認めてくれて、愛してくれて、愛することができる人。
ずっと感情がなく生きていたから、感情が生まれたことが嬉しくて。「今まで私は死んでたんだな」と思いました。そこから彼の夜型の生活に合わせていったので、学校にも行かないで、出席日数も足りなくなってしまったんですね。それで継母が学校に呼び出されて。
――継母は怒っていたのでは?
小田切 「どうなっているんだ」と問われたので、その時に全部告白したんです。私のセクシュアリティのこと、付き合っている人がどんな人かということ。そして「家から出ていきます」と伝えました。そうしたら、継母はすんなり「わかりました」と言ったんですね。
――意外にあっさりだったのですね。
小田切 それで「生活は全部自分で工面してやりなさい」という約束をして。ただその次の日に、継母がわんわん泣いていて、「セクシュアリティの面でそうさせてしまったのは、今までの私の育て方が悪かったのかも」と言ったんです。それは全然違う問題なのに。
でも、例えばそうだったとしても謝ってほしいのはそこじゃないんですよ。ただ、継母は少なからずそこに責任を感じたようなんですよね。
ともあれ、そういう経緯で17歳の時に家を出ることができたんです。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
〈「あなたなら500万円借りられる、サインして」継母から“借金と自己破産”を迫られ、絶縁を決意…小田切ヒロ(44)が家族と決別した“決定的理由”〉へ続く
(吉川 ばんび)
