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トヨタが次の100年を念頭に起こした町

トヨタ自動車(以下、トヨタ)が進める次世代都市『ウーブンシティ』で新たな動きがあった。

【画像】トヨタが進める次世代都市『ウーブンシティ』にモビリティ開発拠点『インベンターガレージ』誕生 全14枚

4月22日、トヨタとウーブン・バイ・トヨタはモビリティ開発拠点『ウーブンシティ・インベンターガレージ』を初公開。『ウーブンシティAIビジョンエンジン』などによって異業種連携をしながら、新しい価値を創造することを具体的に示した。


トヨタとウーブン・バイ・トヨタが『ウーブンシティ・インベンターガレージ』を初公開。    桃田健史

しかしそう聞いても、一般ユーザーはイメージがわかないだろう。

ウーブンシティは2025年秋に開業した、トヨタが次の100年を念頭に起こした町。富士山麓の静岡県裾野市に位置し、東名高速道路の裾野インターチェンジの近くにあるトヨタ自動車東日本の工場跡地に建設された。

トヨタによれば、工場として稼働していたのは53年間で、総雇用者数は7000人、総生産台数は752万台に及ぶ。

最初に生産したのはスポーツ800(通称ヨタハチ)で、その後センチュリー、カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86)、マークII/チェイサー/クレスタ、セリカ、クラウンワゴン/コンフォート、ソアラ、カローラフィルダー、ポルテ/スペイド、スパシオなど。

いずれもトヨタの歴史を刻み、今ではヒストリックカーとして価値が上がっているモデルばかりだ。また、終盤期では全国で見かけるタクシー向けの『ジャパンタクシー』も手掛けていた。

そんな工場の閉鎖を2018年、当時の豊田章男社長が決断した際、新たなる挑戦について従業員と対話をしたことがウーブンシティの起点であった。

インベンターが自由な発想でトライ&エラー

2025年9月後半には、住宅環境を備えたエリア『フェイズ1』が開業し、現在は約100人が、ウーブンシティでは住民を指す『ウィーバーズ』として暮らしている。

今回公開されたインベンターガレージは、旧工場でプレス工程を行っていた施設。延床面積は約2万平米あり、屋根部分は全面的に張り替えて太陽光パネルを備えるなど、大規模にリノベーションを行った。


今回公開されたウーブンシティ・インベンターガレージは、旧工場でプレス工程を行っていた施設。    桃田健史

ここでは、様々な実証を行う『インベンター』が自由な発想でトライ&エラーができる環境が整っている。

今回は『ウーブン・バイ・トヨタ・テクノロジーズ』として、AIを活用した新たなる町づくりの手法が具体的に提示された。この中で注目が集まったのは、カメラ画像から人、モノ、モビリティの行動を理解する『ウーブンシティAIビジョンエンジン』。トヨタがクルマ事業で培ってきた知見を基に、最新AI技術を駆使して新たな発想を盛り込んだ。

また、これまで参加してきた20の『インベンターズ』に加えて、カラオケの『第一興商』など新たに加わった4社や、『ウーブンシティ・チャンレンジ・ピッチ』(コンテスト)のファイナリストたちが自らの挑戦について熱く語る場が設けられた。

こうしたウィーバースとインベンターズの皆さんと意見交換する中で、ウーブンシティが掲げる『ヘリテージ×イノベーション』という『カケザン』の可能性を実感した。

「ここには未来をつくる余白がある」

午後からは、エントランスエリアで『カケザン・ブリーフィング』が行われた。

ウーブン・バイ・トヨタのCEO、隈部肇氏は「次の100年に向けてトヨタがこれまで繋いできた思いを受け継ぎ、新たなイノベーションや発明を起こし、幸せの量産につないでいく」と、同社の存在意義を定義。


エントランスエリアで行われた『カケザン・ブリーフィング』の様子。    桃田健史

そのため「これまでと変わらないフィロソフィーを土台に、違うスピード、違うスケール、違うアプローチで未来を作っていく」と意気込みつつ、次の100年に向けて「未来の当たり前」を形作っていくと強調した。

続いて登壇した同社シニア・バイス・プレジデントの豊田大輔氏は、この地に『ものづくりの魂』が宿っているとし、「トヨタが培ってきた力をクルマだけではなく町へと広げ、技術と人が交わるカケザンの場にする」と改めて表現。

そこで重要なのがAIだと強調するが、あくまでも人中心の発想でAIを活用することが大事であり、そこから新たな価値を生み出すことがウーブンシティの役目だとした。

その上でウーブンシティは「完成された姿ではない。だからこそ、ここには未来をつくる余白がある」と述べている。

トヨタの原点である豊田自動織機の創業から今年で100周年。ウーブンシティはトヨタが100年間紡いできたイノベーションを、次の100年に結びつけるための『交点』なのだと、今回の現地取材を通じて深く理解することができた。