「港区女子」が吉原遊郭を訪れる理由【特別対談】本橋信宏×フリート横田

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アンダーグラウンド文化や人間の裏面を鋭く描き続ける作家・本橋信宏氏と、路地徘徊家を自称し、東京とその周辺に残る昭和の風景を訪ね歩く文筆家・フリート横田氏による対談。『全裸監督』のギャラにまつわる噂から、バブル期の煌びやかな東京、そして現代の路地裏ブームまで、アウトローな視点を持つ両者が語り尽くす。

前編記事〈「大ヒットした『全裸監督』の原作料ってホントのところいくらなんですか?」【特別対談】本橋信宏×フリート横田〉からつづく。

「不法占拠状態」の神田駅前を仕切った外国人

本橋:私にとって東京で一番しっくりくるのは、新宿、池袋あたり。所沢が地元の私にとって、新宿は初めて踏み入れた「大人の街」でした。忘れもしない1973年。紀伊國屋書店で購入した『ノストラダムスの大予言』を読んで「俺の人生は40代で終わるんだ」と暗澹たる思いになったことを覚えています。

横田:当時の歌舞伎町の印象はどうですか?

本橋:歌舞伎町はいまよりもずっとミステリアスで、何より怖い街でした。雑居ビルの裏を覗けば、ひったくりに中身だけ抜かれたハンドバッグの山があったりね。私は大学卒業するまでチェリーボーイでしたから。西武新宿駅を降りると、歌舞伎町をスルーして紀伊國屋書店に直行していました。

横田:在日の方や華僑の方も入り乱れて街を作っていたからこそ、唯一無二の猥雑さがありますね。

本橋:最近は「トー横キッズ」なんて言葉もありますが、昔からあの界隈はどこか「やさぐれた」連中の溜まり場でした。

横田:本橋さんといえば、高田馬場のイメージが強いです。

本橋:私が人生の多くの時間を過ごしたのは馬場。あまりにも近しく、それこそ血肉化している街です。1974年、早稲田予備校の夏期講習に通うために初めて降り立ちましたが、まだ学生運動の残り香が漂っていた。馬場には有名なスケバンがいて、当時早実野球部の学生だったAV監督の山科薫は、路地裏でカミソリの刃で脅迫されたそうです。でも、彼はドM。逆に、喜んでしまった(笑)。

横田:東京の駅前には「不法占拠状態」エリアが存在していましたが、そのひとつが高田馬場駅前の10軒ほどの店舗群です。ただ、不法占拠といっても、焼け跡時代はほとんど利用されておらず放置されていたような場所が、時代が変わって地価が上がり、その場所の価値が見出されたことで結果的に占拠状態になってしまったというケースが多々あるかと思います。無理やり占領したというわけではないですよね。

本橋:寿司屋をはじめ、あの並びが不法占拠状態だと聞いて驚いた。やけに安かったけど、 固定資産税も払わずに商売をしていたんだから当たり前ですよ。でも、利用している側はまったく気づかないくらい街に馴染んでいた。

横田:神田駅前にある極小の飲み屋横丁「神田小路」もそうでした。戦後間もなくの混乱期にできた小路で、 そこに積まれていた瓦礫を片付けた報酬として外国人が仕切っていた。ガード下に店が20数軒。広さは1坪半程度で、家賃は近隣の相場とはかけ離れた安さ。そこへ近くに本店を構える日銀の偉い人たちが通い、ピカピカの黒塗りのハイヤーを汚いガード下に待たせて飲んでいた。日本の近代化を象徴する場所でしたが、耐震補強を理由に立ち退き交渉が何年も行われ、一昨年に消えてしまいました。

吉原に関心を持つ「港区女子」

本橋:花街の名残りが、横丁という形の飲み屋街として息づいている場所もありますね。

横田:池袋のサンシャイン60通りの裏手にある「美久仁小路」はもともと朝鮮半島出身者の方が多く、帰還事業で帰られた後、そのまま虫食い状態になり、再開発を逃れたという話もあります。近くに「人世横丁」がありましたが、こちらは再開発でなくなり、跡地にはニッセイ池袋ビルが建っています。かつておばあさんが営業していた「人世横丁」のあるお店には、青線営業していた頃の逃げ道があったそうです。

本橋:私が青春時代を過ごした80年代には、こうした路地裏、横丁なんて誰も目を向けなかったけど、いまは注目を集めている。いまではプレミアも付くけど、かつては焼酎なんて「終わった飲み物」扱いでしたから。煌びやかな時代の反動が現在の路地裏ブームにつながっているのかもしれません。

横田:新宿ゴールデン街にしても、2000年以降、再発見されて再び人が集まるようになりましたが、80年代には再開発の波が押し寄せ、激しい地上げに晒されて消えかけた時期があります。横丁といえば、渋谷ののんべい横丁に近くには、旧宮下公園跡に建つ「MIYASHITA PARK」内にある渋谷横丁がある。片やバラック、片やつくられた猥雑さ。「横丁とは何だろう?」と考えさせられます。

本橋:驚くのは、吉原や鶯谷の街歩きツアーを主催すると、男以上に好奇心旺盛な女子が集まること。サブカル女子だけではなく、「港区女子」まで来るんですよ。男は客として行けるけど、女性にとって遊郭跡やソープ街は未知の世界。「中はどうなっているの?」という探究心がすごいんです。吉原にある遊廓専門書店「カストリ書房」もお客さんの半数が女性だといいますし、路地裏やアンダーグラウンドへの関心は、いまや性別を超えています。

血を売った金で「モツ焼き」を…

横田:一方で、昭和の香りを残す聖地が再開発で次々と潰されています。「せんべろの聖地」として有名だった京成立石駅北口にあった呑んべ横丁も再開発事業に伴い、跡形もなく取り壊され、代わりにタワマンが建設されます。

本橋:私は「あるがままに」というスタンスだから再開発を否定しないけど、呑んべ横丁の「ベロベロに酔ってのはしごはNG」といった独自の文化やルールが消えるのはもったいない。

横田:駅近くに大きな製薬会社の工場があった立石は、昭和30年代はまだ売血が盛んで、自分の血を売って得たわずかのお金を、モツ焼きと酒に換えてしまう男たちがいた。我々が大好きな五木寛之さんは若い頃、立石に出入りしていたみたいですね。

本橋:五木さんの『風に吹かれて』には血を売って、その金で赤線に行って女を買うというエピソードが出てくる。初めて立石を訪れたときは「五木さんはここで血を売っていたのか」と感慨深いものがありました。あのうらぶれた、独特の雰囲気はほかにはない。

横田:デベロッパーと組んだ建築家のセンスのなさには閉口します。ピカピカの広場を作って、上に上にのばすだけ。まるで金太郎飴。立石にしても、タワマン複合ビルの低層階に役所の機能が入るというありきたりなものではなく、ワンフロアを細かく区切り、若い人に「何をやってもいいスペース」として格安で提供すればいい。アートを持ってきて賑わいを創出するなんて、お金の無駄ですよ。大きな街の、特に東京のターミナル駅の周囲などは、「持つ人」しかたたずめなくなってきていると思います。「持たない人」との分断、これは街にとって正常とは思えません。再開発を一概には否定しませんが、爺さんたちが肩を寄せ合って飲める場所が、もう少し残っていても悪くないと思うんですがね。

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