●「いっそお前と一緒になる方がマシであったな」
テレビ画面を注視していたかどうかが分かる視聴データを独自に取得・分析するREVISIOでは、15日に放送されたNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』(総合 毎週日曜20:00〜 ほか)の第10話「信長上洛」の視聴分析をまとめた。

(左から)宮崎あおい、小栗旬=『豊臣兄弟!』第10話より (C)NHK

○「そ、そ、そ…そのようなことを」

最も注目されたのは20時27〜28分で、注目度80.0%。市(宮崎あおい)と柴田勝家(山口馬木也)が別れ際に言葉を交わすシーンだ。

緊迫した雰囲気の中、小谷城で催された市と浅井長政(中島歩)の婚礼は終わった。勝家は挨拶のため、岐阜へ戻る前に市を訪れ、市もまた勝家にねぎらいの言葉をかけた。「もし、何かお困りごとがあればいつでもお呼びつけください。この勝家、すぐに駆けつけてまいります」「そういうわけにもいくまいが…では、一つ言づてを頼む」「嘘から出た真じゃと小一郎に」市は婚礼前、小一郎(仲野太賀)に長政は秀麗な顔立ちであり、気性も優しく、物静かで穏やかな誰からも慕われる人だという作り話で励まされていた。市は好みではないと一蹴したが、実際の長政は小一郎の語った通りの人物だったのだ。

今ひとついきさつを飲み込めていない勝家に「そなたのせいで私は不幸になったと伝えよ」と、市が続けると「あやつ! お市様に一体、何を!」と、勝家は色めき立った。「あ…おのれ! 許せぬ! このことは殿にもお伝えして…」激昂する勝家に「待て待て。ただのざれ言じゃ。やっぱり伝えんでいい」「いや、しかし!」収まりのつかなくなった勝家を「相変わらず、無骨なやつじゃな」と市があきれてなだめる。

決まりが悪い勝家がうつむくと、「でも、長政殿より私に合うてるやもしれぬ。いっそお前と一緒になる方がマシであったな」と市はやさしい声でつぶやいた。「そ、そ、そ…そのようなことをと、と、と…突然、言われましても…も、も、もし、殿のお、お、お耳にでも…」「勝家。ざれ言じゃ」思いがけない市の一言に取り乱し膝をつく勝家。「気を付けて帰れよ」市はそう言い残し、屋敷の奥へ消えていく。勝家は複雑な気持ちで市の後ろ姿を見送った。

=『豊臣兄弟!』第10話の毎分注視データ推移

○「お市様もまんざらではなかったのかな」

このシーンは、将来夫婦となる2人の会話に、視聴者の注目が集まったと考えられる。

織田信長(小栗旬)は上洛の妨げとなる浅井家を押さえるために、長政に妹である市を嫁がせ同盟を結んだ。典型的な政略結婚の駒として使われた市だが、この婚礼を自分の初陣ととらえ兄・信長の力となるために受け入れた。主である信長の決めたことゆえに勝家は織田側の参列者として小谷城での婚礼に出席したが、心中穏やかではない様子だった。

SNSでは「お市さま、露骨に今後の伏線を張ってきましたね」「ふたりの今後を考えるとニヤニヤしてしまう展開だったな」「勝家の一方通行かと思ったけど、お市様もまんざらではなかったのかな」と、市の言動に視聴者のコメントが集まった。

浅井長政は現在の滋賀県北部にあたる江国北部を支配した戦国大名で、小谷城を本拠とした。1545(天文14)年に浅井久政(榎木孝明)の嫡男として生まれ、若くして家督を継ぎ、六角氏からの独立を果たした。幼少期は六角氏の本拠・観音寺城下で人質として過ごしていたと伝わる。

小谷城は近江国北部に築かれた戦国時代の山城で、戦国大名である浅井長政の本拠地として知られている。城は標高約495メートルである小谷山の尾根に築かれた大規模な山城で、浅井氏三代にわたって使用された。最後の城主は羽柴秀吉。日本五大山城の一つに数えられている。城の築城は15世紀頃とされ、浅井氏の祖である浅井亮政の時代に整備されたと考えられており、現存しない。現在は国の史跡に指定されている。

●信長、足利義昭の扮装を見破る
第10回「信長上洛」では、1567(永禄10)年から1568(永禄11)年の様子が描かれた。最も注目されたシーン以外の見どころを紹介していく。

まずは、正体を隠して近づいてきた義昭(尾上右近)の正体を見破った信長のシーンが挙げられる。義昭はこれまでも家臣である明智光秀(要潤)を前面に立て、各地の大名に直に会い見定めてきたようだ。今回も今までのように光秀の従者に扮していたが、竹中半兵衛(菅田将暉)の目はごまかせず、信長に正体を明かされることになった。

SNSでは「抵抗なく従者を演じる義昭も只者じゃないな。単なる暗愚なやられ役にはならなさそうで楽しみだ」「秀吉が誰彼関係なく明るく接するから足利義昭の正体を半兵衛が確信するに至ったのいいよね」と、義昭をめぐるエピソードに視聴者の投稿が集まっている。

義昭は室町幕府・最後の将軍である第十五代将軍で、三好三人衆や松永久秀(竹中直人)に謀殺された実兄・足利義輝は第十三代将軍。第十四代将軍は足利義栄という。父は第十一代将軍である足利義澄の子である足利義維で、将軍家の分流である阿波公方家の出身。将軍擁立を進めたのは三好長慶の死後に権力を握っていた三好三人衆と松永久秀だった。義栄は京都に入ることができず、摂津・富田の普門寺で将軍宣下を受けた。

しかし織田信長が上洛して足利義昭を擁立したため、1568(永禄11)年の2〜9月という短期間で将軍の地位を失った。京都に入れないまま将軍になった点や将軍宣下を京都ではなく摂津で受けた点で異例な将軍だ。

○六角家、織田信長に蹴散らされる

次に、上洛する信長の前に立ちふさがりながらも、合戦の様子を描かれることなくナレーションであっさり処理されてしまった六角家が挙げられる。あまりにも一瞬で処理されてしまった六角家にSNSでは「ゲームみたいな雑な潰され方で笑ってしまった」「六角氏、まさかのナレ死確認」とあわれむ投稿が集まりました。ご先祖である婆娑羅大名・佐々木道誉も、この扱いを知れば激怒しそうだ。

六角家は宇多源氏佐々木家の嫡流で、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国南部を支配した守護大名の名門。京都六角東洞院に屋敷を構えたことから六角家と呼ばれるようになった。ちなみに佐々木家の庶流には京極家などがある。戦国時代になると守護大名から戦国大名へと変化し、独自の領国支配を行うようになる。

本拠地は観音寺城。この城は標高432メートルの山城で、近江最大級の要塞だった。上洛を進める信長と近江守護である六角義賢・義治父子との間で起きたのが観音寺城の戦い。しかし六角軍は戦闘らしい戦闘を行わないまま撤退し、信長が城を占領した。この結果、六角家は近江の支配を失い戦国大名として事実上滅亡した。信長軍は岐阜から近江を一気に突破した。この時の進軍は非常に速く、六角側は十分な防衛体制を整えることができなかったといわれている。

六角義賢は六角家第十五代当主。後に出家して承禎と号し豊臣秀吉の御伽衆となる。関ヶ原の戦いの2年前に秀吉に先立って78歳の生涯を終えた。家臣団の離反を招いたなど否定的な評価が多くあったが、近年は戦国大名として一定の統治能力を備え、近江の自治制度を整えたなどの点が再評価されている。

○有力大名、続々登場

最後に即位した第十五代将軍・足利義昭に拝謁するよう、信長が各地の大名に文を出したシーンが挙げられる。自分の敵をあぶりだすという目的で送られたものだったが、多くの大名が投げ捨てたり焼き捨てたりと、今後の波乱を予感させる演出がなされていた。SNSでは「少年マンガの強敵のチラ見せシーンみたいでワクワクするな」「錚々たるメンツだね。役者さんもすごいわ」と今後の展開に胸を躍らせる視聴者のコメントが集まった。

1996年の大河ドラマ『秀吉』では、今作で松永久秀を演じる竹中直人が豊臣秀吉を、武田信玄を演じる高嶋政伸が豊臣秀長をそれぞれ演じていた。また、武田信玄の宿命のライバル・上杉輝虎(工藤潤矢)は2009年『天地人』で阿部寛が演じて以来、17年ぶりの登場になる。

きょう22日に放送される第11話「本圀寺の変」では、小一郎と藤吉郎(池松壮亮)が織田信長から新たな命令を受け、堺へ向かう。また、小谷城では距離を縮めていく市と浅井長政の姿が。一方、第十五代将軍・足利義昭のいる本圀寺に三好三人衆が襲いかかる。







(C)NHK

REVISIO 独自開発した人体認識センサー搭載の調査機器を一般家庭のテレビに設置し、「テレビの前にいる人は誰で、その人が画面をきちんと見ているか」がわかる視聴データを取得。広告主・広告会社・放送局など国内累計200社以上のクライアントに視聴分析サービスを提供している。本記事で使用した指標「注目度」は、テレビの前にいる人のうち、画面に視線を向けていた人の割合を表したもので、シーンにくぎづけになっている度合いを示す。 この著者の記事一覧はこちら