『ばけばけ』トキにとっての怪談=ジャンプ漫画? 令和ヒット作に共通する鬼・呪い・悪魔
『ばけばけ』(NHK総合)も残すところ今週を入れてあと2週。他文化との共生に悩み、自己肯定感を保つツールが溢れかえる日本で、同作の静かな盛り上がりは、さながら語りとナラティブの復権を意味するかのようである。
参考:髙石あかり×トミー・バストウらキャスト陣が登壇 『ばけばけ』SPトーク、3月20日放送
『ばけばけ』を初めて観たときに感じた新しさについて、これまでと違う地平が開けた感覚があった。それが何かについてすぐに言語化できなかったが、視聴し続けるうち、すぐれた同時代性に由来していると思うようになった。
2020年代は「鬼と呪いと悪魔の時代」と定義できる。ネタ元は『週刊少年ジャンプ』だ。『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『チェンソーマン』はいずれもアニメ化され、2020年代にかけて世界中で大ヒットした。
3作には共通点がある。主人公の少年が仲間や家族を守るために戦う。成長物語であり、恋愛めいたシーンが挿入される青春群像劇の一面もある。これだけ見ると「友情・努力・勝利」という典型的なジャンプ漫画なのだが、彼らが戦う相手が重要である。
鬼、呪霊、悪魔。いずれも現実にない怪異だ。鬼のようにもともと人間だった者もいるが、呪霊や悪魔は呪いや恐怖など負の思念が具現化しており、人間から生まれた点が共通している。鬼と呪霊と悪魔は、人間の制御を超えた理不尽な暴力だ。彼らは想像上の存在である。それでいて、現実に存在する何かであることを強く訴える。
人ならざるものが脚光を浴びる背景に、2020年代ならではの事情がある。閉塞感、あるいは抜け出せなさが世界中を覆っている。政治・経済の混迷、社会全体が先を見通せず、それでいて情報は氾濫し、AIによって人間の存在意義が問い直される現代。
かつてなくアンコントローラブルな状況である。自負と感情はあるのに自己効力感がない。理由はわからない。それでも生きていかなくてはならない。そんな日々の営みをどこかで見たと思ったら、『ばけばけ』で主人公のトキ(髙石あかり)が暮らす日常だった。
名家に生まれたトキは、貧乏な士族の子として育てられる。学校に行けず、若い頃から働きづくめ。夫に逃げられ、異人の女中になる。結婚して人気者になったと思ったら、誹謗中傷を受けて熊本へ引っ越す。
トキの人生はわりと最初から詰んでいて、怪談を愛するヘブン(トミー・バストウ)と出会えたのは単なる偶然である。今で言うと、推しと結婚するレベルの僥倖だ。トキは状況をコントロールできていない。それなのにトキは自分を信じる力を失っていない。毎日がわりと楽しそうである。なぜなのか?
■『ばけばけ』ヒロインにとっての怪談は“自己回復のツール” 生きる希望があったからではない。トキには支えがあったからである。私たちがジャンプ漫画を読むように、トキには怪談があった。
怪談が2020年代におけるジャンプ漫画である、と言ったら飛躍がすぎるだろうか。『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『チェンソーマン』の竈門炭治郎、虎杖悠仁、デンジは、鬼、呪霊、悪魔と戦う。目的は鬼になった妹を人間に戻すことであり、正しい死を追求し、普通の生活を手にすることだ。これらは欠けているもののリストである。彼らは欠落を埋めるために戦っているのだ。
欲求を満たすより、自分を整えるセルフケアが大事。もっとも失われているのは自己効力感である。いま幸福かどうかではなく、そうなれる自分かが重要だ。自分の運命の手綱を握る、人生を手放さずに生きること。その切実さは、自意識の海に沈むセカイ系から一歩踏み出している。
トキの怪談はセルフケアの実践と位置付けられる。不条理な世界に生き、この世を去った者の悲哀をわがこととして受け止める。悲しみによる癒しは同時に赦しであり、語りを通じて実装される。恨めしさがスイッチになり、生きとし生けるものの共感に昇華され“化ける”。
ジャンプ漫画の主人公も、戦いを通じて感情を昇華する。鎮魂であり慰霊。おのれのうちにあるネガティブをしずめ、なだめる作業。鬼や呪霊、悪魔との対峙は言葉をともなう。それらはナラティブの表出で、たまたまジャンプ漫画という様式上、バトルの形をとったにすぎない。戦いを捨象したそれは怪談である。
私たちが推し活をすることや、ショート動画やポッドキャストの語りに活路を見いだすことは、ナラティブの回路に入っていくことを意味する。説明を通じて得られる効力感や世界の一体性への信頼から、生きる力を汲み出す営みだ。
『ばけばけ』のトキは物語を創作しない。消費する側で同時に語り手であるトキは、今でいうYouTuberや配信者に近い。トキにとっての怪談は、理不尽な世の中に削られた自己を回復するツールである。それは自分の心を取り戻すための、祈りにも似た呼吸である。(文=石河コウヘイ)
