獺祭

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2026年3月12日に放送される『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)に、山口の酒蔵「獺祭」の三代目当主・桜井博志会長と四代目社長・桜井一宏氏が登場します。そこで今回は桜井会長が、獺祭の軌跡を振り返った記事を再配信します。(2026年1月23日配信)海外での日本食ブームやインバウンド需要を背景に、日本酒の輸出が好調です。日本酒造組合中央会によると、2024年の日本酒輸出総額が434.7億円(昨対比:105.8%)となりました。近年海外市場での日本酒の躍進のきっかけのひとつとなったのが、「獺祭」です。データを重視した酒造りなどで、日本国内の価値観を大きく変え、西日本大水害での被災やコロナ禍などトラブルに見舞われながらも海外進出を果たしました。桜井博志会長が「獺祭」の成長の軌跡を振り返り、経営哲学を綴った著書『獺祭 経営は八転び八起き』(西日本出版社)から、一部を抜粋して紹介します。

【写真】米・ニューヨークにある獺祭の酒蔵

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獺祭の酒造り 

心配するな。絶対うまくいかんから。

「心配するな。絶対うまくいかんから」というのは、1年間密着取材を受けたNHKBSの「ザ・ヒューマン」のタイトルです。「酒造会社会長 桜井博志 〜心配するな 絶対うまくいかんから」…。たしかに、社内で私がよく使う言葉です。フルバージョン版で言うと「心配するな。『最初は』絶対うまくいかんから」なんですが……。

失敗を恐れて小さくまとめるだけになることを心配して、同時にうまくいかなくて落ち込んでいるスタッフに対して、よく言っている言葉です。最初はうまくいかなくてもいい。修正しながら第二・第三の矢を放てばいい。ということです。その方が、最終的には大きな成果につながる、という個人的経験から話していることです。

PDCAという言葉が有ります。プラン・ドゥ・チェック・アクションの略で、ビジネス上やいろんな業務遂行の上で金科玉条の如く言われています。

この言葉に代わって中国ではTECAという言葉が使われるそうです。トライ・エラー・チェック・アクションです。

ともすれば精緻な計画ができるまで動かない、動き出してもその計画に縛られて現実の状況との間に矛盾があっても変更できない。そして、失敗すればものすごい非難を浴びる。われわれ日本人の弱いところだと思います。ところが中国はTECAでぐんぐんいくわけです。近年、日本経済が中国経済に追い越され、背中も見えない状態になっているのも仕方のないことかもしれません。

有名なコンサルタントが書いたプロジェクトの責任者の指南書に、「私は今までプロジェクトを炎上させたことがない」なぜなら「勝てるプロジェクトしかやらなかったから」とあったのにびっくりしました。

「やりたかったから」

「絶対うまくいかないから」なんて言っている経営者としては、読めば読むほど自分のバカさ加減が身に染みます。なんせ失敗するプロジェクトばかりやってきたわけですから。

「おっしゃる通り、その通りです」「私がバカですから」と頭を抱えて反省するしかありません。

思い起こせば、いくつもの失敗事例が頭をよぎります。


『獺祭 経営は八転び八起き』

また、経済合理性から考えればどう見ても普通の選択肢と逆にいったことも多々あります。例えば、山口県庁などと軋轢が起こることが予想されるにもかかわらず、県の奨励品種の酒米を無視して山田錦に集約してしまったこと。酒造業界でだれもやらなかった、市場のない、確立された量産技術のない、ないない尽くしの純米大吟醸造りに挑戦し続け、それを酒蔵の製品ラインのど真ん中に据えたこと。

諸先輩方の忠告を無視して、地元に依存するのではなく山口県外に飛び出して東京市場に活路を見出したこと。アメリカに酒蔵を造ったことだって、現段階ではとても合理的な判断とは言えません。

しかし、振り返ってみて、その時の自分を思い出すと、「やりたかったから」としか言いようがないんです。まるで「悪魔に魅入られた」みたい。

何より不思議なのは、いくら考えても、これらの失敗の数々がなければ今の獺祭がないということです。後から考えると、「あの時やらなきゃ、あの数億円は損しなかった」とか「あの時こっちの道を選択したほうが得だった」という選択肢がいくつも浮かんできます。

しかし、その合理的な選択肢の結果を考える時、今の売上げの20分の1ぐらいの規模の、クレバーだけど、全国を探せばありそうな、「普通の酒蔵」しか思い浮かばないのです。山口県内でそれなりの酒蔵にはなったと思いますけど、おそらく、それだけ。今の獺祭の現状が説明できないのです。

獺祭には獺祭の哲学

かつて急成長する獺祭に対して「あの蔵には文化がない」と言われたことがありました。果たしてそうでしょうか。獺祭には獺祭の哲学があります。

ニューヨーク蔵には見学者向けのテイスティングルームがあります。この部屋の展示で重視したのは「いかに獺祭の哲学を表現するか」です。「手間」に代表される「造る」ということを大事にする獺祭の考え方は、ある意味アメリカが持っている「製造はマーケティングと比べて下のもの」そして「合理化・標準化・大量処理・機械化」こそ重要というアメリカの考え方と対極にあります。

この「手間」を大事にするということをアピールするのは、アメリカ文化を否定することにもなり、危険性は大いに承知しながら推し進めています。

山口県の山奥の小さな酒蔵がこの40年ほどで、なぜ大きく成長できたのか……。まず、社会が大きく変わったことが挙げられます。その変化にタイミングよく対応して変わることができたといえます。

なぜそれができたか、おそらく「こういう酒蔵になりたい」という理想があって、その方向に向かっていったのが大きいと思います。そう言うと理想に向かって計画的にやったと思われるでしょうが、私がせいぜい考えたのは、「なんか良い酒をお客さんに出したいなぁ」「格好いい酒蔵になりたいなぁ」「黙っていても酒が売れる酒蔵になりたいなぁ」と、その程度のミーハー的なものでした。

ただ、何よりも力を入れたのは、「美味しい酒を造る」ということでした。これは絶対にブレない核でした。

戦後、日本経済が発展する中で、様々な就職先が生まれて農村の労働力は減っていきました。となると酒を造る杜氏や蔵人も減ってくるわけです。

灘や伏見、新潟などの大手メーカーは機械化によって労働力の不足を補っていきます。地方の酒蔵で優秀な杜氏を抱えるところは、大量生産はできないけれど地方の銘酒として残っていきます。でも、このどちらにも弱点がありました。

酒造りの機械化は非常に難しいのです。

徹底的にデータ化

日本酒は米を麹の力で糖化して、できたブドウ糖に酵母が取り付いて発酵する。糖化と発酵が同時に起こる並行複発酵です。非常にコントロールが難しい発酵形態で、機械化による品質の低下をどうカバーできるかが大きな問題になります。一方で、優秀な杜氏がいる地方の酒蔵は、生産量が増えないために商品力が上がりません。どんなに素晴らしい酒でも幻の酒になってしまうと、先細りになるのみです。

そんな中で、私の稚拙な経営に愛想をつかして杜氏が逃げてしまって考えました。

杜氏の経験とはデータの蓄積です。勘とは蓄積したデータと現場の現象から何をすべきかを選ぶことです。だったら杜氏の頭の中のデータを見える化すればいいじゃないか、ということで始めたのが、酒造りを徹底的にデータ化して、それを見ながら社員が酒を造る形でした。機械ではなく人間が造っているため、微妙なところまでコントロールできます。

さらに、空調で冬場の温度に合わせた環境を作り、1年中に酒を造っているから緊張が途切れません。年1回だけ造る寒造りだと、何かトラブルがあっても翌年の仕込みまで改善できませんが、我々は翌週の仕込みタンクで実行できるわけです。

偉そうに書いていますが、圧倒的な負け組がどうしようもなくなってとった策です。ピンチが救ってくれたのです。

いいお酒を適量

私が若い頃、昭和30年代(1960年前後)を思い出してみると、大工さんの日当が1日500円。一番安いお酒の一升瓶は同じ値段でした。高かったからたくさん飲めなかった。


獺祭会長の桜井博志氏

しかし、私が酒蔵を継いだ1984(昭和59)年になると、経済成長もあって大工さんの日当で、10本から20本くらいの酒が買える時代になりました。そうすると、いくらでも飲める。小遣いの範囲内でアル中になれるわけです。

それを見ながら、たくさん飲んでもらうのではなく、いいお酒を適量楽しんでもらう方向に変えようと考えてきました。

それまでのビジネスのやり方では絶対に勝てないわけです。

変わる中で考えたのは、できる限り売上げを上げて、できる限りの利益を取るのではなく、誤解を招くかもしれませんが、できるだけ原価をかけようと決めたのです。良い山田錦を使って手間をかけて造ることで、結果として売上げも上がってきました。

「売れればいい」は違う

とにかく売れればいいとか、マーケティング主導型で売ろうとするのは、違うのではないかと思ったのです。

「朝は希望と共に起き、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。誰の言葉か知らんけど、ええ言葉じゃねぇ」と社会人一年生の時の同期で、その後、田舎に帰って農家をやっている友人からメールをもらいました。これができたら本当に幸せですね。

しかし、それを読みながらつらつらと考えました。私の場合は、「朝は寝ながら考えついた浅い思慮の解決案(?)と共に起き、昼は勝手に描いた理想や目的が高すぎて当然のごとく上手くいかず、夜は愚痴と悔し涙と共に眠る」です。

寅さんじゃありませんが、「奮闘〜 努力の甲斐もなく〜、今日も〜涙の、今日も涙の日は暮れる、日は〜暮れる〜♪」ですね(汗)。

まあ、うまくいきませんねぇ。何事も。これを、74年間毎日毎晩繰り返してきたのです。飽きもせずに。


獺祭会長の桜井博志氏

最近、「115歳で過労死を目指す」と広言しています。

これから40年も悔い多き人生を送るつもりですから、周囲の人たちはいい迷惑かもしれませんが、よろしく我慢とお付き合いをお願いします。

七転び八起きではなく

ただいま、八転び中です。

※本稿は、『獺祭 経営は八転び八起き』(西日本出版社)の一部を再編集したものです。