『テミスの不確かな法廷』写真提供=NHK

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 発達障害を抱えた裁判官・安堂清春(松山ケンイチ)が社会に馴染めない自分を“宇宙人”と称し、“地球人”に擬態=普通であることにこだわるのにはきっかけがあった。

参考:『テミスの不確かな法廷』演出陣が撮影の裏側を解説 第6話から登場の齋藤飛鳥への称賛も

 ミラノ・コルティナ2026オリンピックの特別編成により、2週連続で放送休止となっていた『テミスの不確かな法廷』(NHK総合)が再開。第6話「再審請求審」から物語はいよいよクライマックスに突入し、これまでも折りに触れて触れられてきた前橋一家殺人事件の核心に迫っていく。その中でクローズアップされるのが、安堂と父・結城(小木茂光)の関係だ。

 25年前に一家4人が惨殺された前橋一家殺人事件。被疑者として逮捕されたのは、家族に恨みを持っていたとされる男・秋葉一馬(足立智充)だった。秋葉は事件があった夜、娘と自宅にいたとして容疑を否認していたが、突如として犯行を自供。最高裁にて死刑が確定し、弁護団が再審請求の準備を進めていた最中に異例の速さで刑が執行された。そしてこの度、秋葉の娘・亜紀(齋藤飛鳥)が新たな証拠を手に再審請求に踏み切った。

 安堂は、再審を開始するか否かを決定する請求審に加わることになったが、辞退を申し出る。理由は、秋葉に罪を自白させ、死刑を求刑した当時の検察官が自身の父である結城だからだ。法律的には何も問題はないが、安堂は事件の裏にある父の存在と向き合うことで、これまで封じてきた過去の苦い記憶が蘇ることを恐れているのだろう。

 安堂の両親は、安堂が12歳の時に離婚している。きっかけは安堂が、母・朋子(入山法子)が運転する車に轢かれ、怪我を負ったことだった。発達障害という言葉が日本で広く普及したのは、ここ20年ほどのこと。2005年4月に発達障害者支援法が施行されたことをきっかけに認知され始め、メディアやSNSを通じて飛躍的に障害への理解が深まった。それ以前は、落ち着きがない、興味に偏りがあるといった発達障害の行動特性が「親のしつけの問題」として片付けられることも多く、親の苦悩が相当なものであったことは想像に難くない。安堂の母も育児ノイローゼ気味であり、結城は事故も故意によるものと疑って妻を責めた。幼かった安堂は両親が自分のことで言い争う声を聞いている。彼が不安な時や嫌なことを思い出す時に腕を押さえる癖は、その時からあるものだ。

 そんな最中に起きた前橋一家殺人事件。結城は取り調べで言葉巧みに秋葉から自白を引き出した。ただでさえ、長期にわたる拘束で心身ともに疲弊しているところに洗脳に近い誘導尋問を受け、追い詰められた秋葉は罪を認めた。当時、秋葉の精神鑑定を担当し、拘禁反応がみられると結城に訴えたのが、安堂の担当医である山路(和久井映見)だった。ところが、結城は山路の鑑定結果を不採用に。自己保身のために声をあげなかったことを今でも後悔している山路は、安堂に「協力できることがあれば、何だってするつもり」と再審請求審に加わることを宣言する。

 誰もが今回の再審請求審を通して、過去の過ちと向き合おうとしている。8歳の時に祖父母から事件のことを聞かされた亜紀。刑務所にいる秋葉から会いたいと言われても頑なに拒絶したのは、自分が置かれた立場を自覚することが怖かったからだろう。父は病死だった、自分は死刑囚の娘ではないーーそう思いたいがために事件から目を背けてきた亜紀だったが、自分が親の立場になってようやく父がくれた愛情を思い出した。事件当夜、父が4歳の誕生日を祝ってくれたこと。亡くなった母親の代わりに「亜紀はお父さんが守るから」と抱きしめてくれたこと。その模様を録画したVHSには、正確な日時が示されている。

 「私しか証明してあげられない。父はやってない。犯人じゃない。私は、それを知っている。検察にある証拠を出してください。それで父の無罪は証明できるはずです」

 亜紀の陳述は、齋藤飛鳥の25年という日々の積み重ねを感じさせる演技によって胸に迫るシーンになっていた。だが、結城をはじめとする検察側は証拠提出の求めに「不見当」という回答を出す。検察官・古川(山崎樹範)の調べで押収品のVHSが現存していることが判明したにもかかわらずだ。つまり、そこに検察側にとって不都合な真実が隠されているということである。

 不純物が一切ない澄み切った状態を表す清いの“清”と、希望の象徴である“春”を合わせて「清春」。息子にその名前をつけた結城が、生まれたばかりの子どもを腕に抱いた時の愛おしさを知っている結城が、なぜ真実を覆い隠そうとするのか。そもそもなぜ、秋葉が一貫して容疑を否認し、アリバイも存在していたにもかかわらず、自白を強要したのか。検察の威厳を保たなければならないという組織からの圧力もあるが、それ以上に彼は手応えや成果を得たかったのではないだろうか。息子にいくら注意しても聞いてもらえない、自分の言葉が届かない。子育てで得られない手応えや成果を結城は仕事に求めた。その結果が、自白の強要に繋がった部分は大いにあるように思う。

 「どうして“普通”にできないんだ。どうしてみんなと同じようにできない?」と幼い安堂を責め続けた結城。だが、その「“普通”とは何か」という問いに向き合ってきたのが本作だ。同僚の門倉(遠藤憲一)や落合(恒松祐里)、弁護士の小野崎(鳴海唯)など、はじめは安堂を奇異の目で見ていた彼らも大概変わり者である。もちろん、彼らと安堂には発達障害と診断されているかされていないかの違いはある。しかし、「変わってるって褒め言葉ですよね? 個性的ってことでしょ?」という小野崎の言葉の通り、それぞれに“普通”という基準から外れた個性があり、その人にしかできないことがある。実際に安堂はこれまで、違和感を無視できない特性によって埋もれゆく真実を次々と掘り起こしてきた。その真実に心を救われた人が大勢いる。第2話で「名前は親からの最初のプレゼント」と言っていた安堂は、その名前に込められた結城の願い通りの人間に成長しているではないか。

 両親の離婚後、母親に引き取られることになった安堂は家を出ていく結城の腕を掴んで引き留めようとした。だが、今度は真実を闇に葬り去ろうとする結城の腕を掴み、「僕は真実を知りたい。再審請求審に加わり、25年前に何があったのか、必ず明らかにします」と宣戦布告する。安堂は今、結城が残した「どうしてあの子は普通じゃないんだ。まるで宇宙人だ」という言葉に打ち勝つことで、本当の意味で自立の時を迎えようとしているのかもしれない。(文=苫とり子)