カタールW杯では多くの日本人サポーターがごみ拾いを実施【写真:Getty Images】

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【識者コラム】最初のゴミ拾いは1993年4月15日でJリーグ開幕よりも前

 国際サッカー連盟(FIFA)は1月12日、2022年の各部門最優秀候補を発表した。

 その部門の1つ、「最優秀FIFAファン賞」にノミネートされたのは3か国のファンだった。

 母国サウジアラビアを応援するため55日間かけて1600キロを歩いてドーハにやって来たアブドゥラ・アル・サルミ氏、「信じられないほどの数でチームのために駆けつけた」アルゼンチンファン、そして「試合後もスタジアムに残り清掃を手伝った」日本ファンがエントリーされている。

 日本サポーターの試合後のゴミ拾いが世界的に有名であることは間違いない。カタール・ワールドカップ(W杯)グループリーグ第2戦のコスタリカ戦前日の公式会見では、海外の記者がチームやファンの清掃活動について森保一監督に質問する場面もあった。

 だが、その活動は周知のこととしても、いつ、どうやって始まったかについてはあまり知られていないだろう。実は日本のファンが一斉に清掃を始めた日というのは存在する。当時、私は観客席にいてその様子をつぶさに見ていた。今回、あの「始まりの時」を書き残そうと思う。

 私が振り返るに、ゴミ拾いが定着したのには2つの要因があった。1つは1回限りの活動で終わらなくなるようなきっかけ。もう1つは活動の主体。これがちょうど時代にミックスしたように思える。

 最初にゴミ拾いが始まったのは1993年4月15日だった。Jリーグがスタートしたのは同年の5月15日なので、実はJリーグよりも歴史は古いことになる。当時は日本プロサッカーの黎明期だった。どんな背景があったのか簡単に振り返っておこう。

 清掃活動が始まる1年前の1992年、日本サッカー界は念願のプロ化を果たし、1993年開幕のリーグ戦に先駆けてヤマザキナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を開催した。サッカーという目新しいコンテンツに加えて、Vゴール(ゴールデンゴール)方式のハラハラ感から大会は一気に盛り上がりをみせる。

 それまでサッカー観戦とは縁のなかった人たちが物珍しさにスタジアムに足を運び、観客数は急激に伸びた。同時に日本代表も注目を集め始めた。1992年11月、広島で開催されたアジアカップでJリーグのスター選手たちが活躍し、劇的な勝利を積み重ねて初優勝したのだ。

1993年バングラデシュ戦で大勝後の国立競技場はお祭り騒ぎでスタンドは散乱

 プロサッカーがスタートしたことと日本代表も強くなり、1993年のW杯アジア予選にも希望が湧いてきた。悲願のW杯初出場に向けて希望に満ちて年が明けた。

 1993年、W杯アジア1次予選で日本はUAE、タイ、バングラデシュ、スリランカとグループFに入った。1順目を日本で、2順目をUAEで開催するダブルセントラル方式がとられ、首位のみが次の最終予選に進むことができる。

 日本ラウンドは4月8日〜18日、UAEラウンドは4月28日〜5月7日のいずれも10日間で4試合というタイトなスケジュールだった。日本はアウェーでの戦いをあとに控えるということで、まずはホームで4勝を挙げることが必須だった。

 当時の日本代表はいいところまで勝ち進んでは苦杯をなめるという辛い経験を繰り返していた。もしかしたら初戦のタイに負けるかもしれない(実際に1984年ロサンゼルス五輪最終予選では初戦のタイ戦で2-5の大敗を喫した)。3連勝を飾ってもUAEに歯が立たず夢が絶たれるかもしれない(中東との対戦成績は悪かった)。まだ日本代表に「強い」というイメージは定着していたなかった。

 初戦となる神戸で行われたタイ戦、今ならさぞかし盛り上がったと思うかもしれないが、実はそうでもなかった。神戸ユニバーシアード記念競技場は満員にならなかった。

 ともあれ、初戦の日本は緊張でガチガチだったが、三浦知良のゴールを守り切り1-0の辛勝を収める。4月11日、中2日で迎えたバングラデシュ戦は8-0と大勝し、日曜日の国立競技場はお祭り模様になった。

 だが当時のサポーターはまだ代表チームの勝利に慣れていなかった。一通り喜んでみたものの、スタジアムを出る前には冷静になっていく。この喜びがそんなに続くはずがないという不安が残っているようだった。

 落ち着いたあとに周りを見ると、あふれかえったゴミ箱や、捨てる場所が見当たらずに足元に放置されたゴミが落ちている。1人の小柄な女性が「こんなに散らかしちゃダメだよ」などと大きな声でブツブツ言っていた。

スリランカ戦後に続き、UAE戦では誰からともなくゴミ拾いの作業がスタート

 そして、4月15日のスリランカ戦がやってきた。この試合でも日本は5-0と大勝する。試合後、大喜びしたあとに1人の男性が大量のゴミ袋をカバンから出して拡声器を持つ人物に「これ、みんなに呼びかけて!」と手渡す。拡声器を握っている人物は「聖地国立、キレイにして帰りましょう」と大声で叫んだ。

 バングラデシュ戦後に文句を言っていた女性は、実はみんなの心の声を代弁していたのだろう。たちまちいろんなところから手が白い袋に伸び、みんなでゴミ拾いが始まる。

 この当時の座席割りは現在と違っていた。バックスタンドの下段はS指定席、そして上段はA自由席。それだけ観客動員に苦労していたのだろうが、逆にこれが幸いした。バックスタンド上段でみんな腰をかがめて清掃する姿は目立ったのだろう。S席から柵を乗り越えてゴミ拾いに参加する人も現れる。

 これが最初の光景だった。だが、これだけで試合後の清掃活動が定着したわけではない。

 いよいよ日本ラウンドの大詰め、4月18日のUAE戦がやって来た。この日の日本代表はそれまで注目される大切な試合で散ってきたチームとは違っていた。前半、コーナーキック(CK)から柱谷哲二がヘディングで押し込んで先制点を奪うと、後半にもCKから高木琢也が決めて2-0と完勝したのだ。

 もしもこの試合で日本が負けていたら、試合後の観客席はどうなっていただろうか。「やっぱりダメか」という絶望感が広がって、みんなそそくさと家路を急いだかもしれない。

 だが好試合の後はいつまでもその場にとどまりたいもの。そして前回の記憶はしっかりとみんなに残っていた。誰からともなくゴミ拾いの作業が始まる。今度はたくさんの人がゴミ袋を持参していて、スリランカ戦の時よりも多くの人が参加して清掃作業をした。

 この2回目が定着に大いに役立った。勝利という甘い記憶とともに続けられたことで習慣化できたのだ。

 また誰か中心人物がいて指揮したり促されたわけではなかった。ゴミ袋を持参したり、ゴミ拾いをするだけで活動の主体になれた。さらに「来た時よりも美しく」という日本の教えがみんなの心に刻まれていて、自発的に参加する人ばかりだったことがこの運動の息の長さにつながっているのだろう。(森雅史 / Masafumi Mori)