【訃報】中曽根康弘元首相が101歳で死去

1982年11月から1987年11月まで内閣総理大臣を務め、3公社の民営化を進めたり、ロナルド・レーガン大統領とファーストネームで呼び合う親密さで日米関係を強化したことなどで知られる中曽根康弘氏が亡くなりました。101歳でした。
中曽根康弘元首相が死去 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191129/k10012195791000.html

中曽根元首相が死去 在任戦後5位、改憲持論 | 共同通信
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1959年に岸信介内閣の科学技術庁長官として初入閣。佐藤栄作の後継者を巡った争いは、三木武夫・田中角栄・福田赳夫・大平正芳の名前から「三角大福」と表現されるほか、中曽根氏を加えて「三角大福中」とも表現されます。このころ、中曽根氏は時局の流れを読んで立場をころころ変えたことから「風見鶏」とも呼ばれました。
1982年には、鈴木善幸のあとを受けて第71代総理大臣に就任。「戦後政治の総決算」を掲げた5年の政権下では、日本専売公社・日本国有鉄道・日本電信電話公社の民営化などが行われました。1981年から1989年にかけてアメリカ合衆国大統領だったロナルド・レーガンとは同年代、かつともに保守派であり、自由主義陣営と社会主義陣営の二極化が進む政治情勢もあって親交を深め、「ロン・ヤス」と呼び合う仲の良さが知られています。その後、1989年のリクルート事件により一度は自民党を離党するも、1991年に復党。
自民党が2000年に比例区に対して73歳定年制を導入しても特例として議員を続けていましたが、2003年に宮沢喜一とともに引退勧告を受けて引退。2018年5月に100歳を迎えていました。以下の映像は2018年7月、自身の主宰するシンクタンクの授賞式に出席したときのものです。
「明るい未来を切り開け」 中曽根元首相が若手激励 - YouTube
