元ヤクザなら1週間の路上生活も仕方ないのか
※本稿は、大西連『絶望しないための貧困学』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■ある日突然獄中から届いた一通の手紙
クロダさんから初めて手紙をもらったのはおよそ半年前。2011年9月のことだった。
彼はその時、日本の北端近くにある刑務所に入っていた。罪状は、覚せい剤の所持および使用。元暴力団員で前科もたくさんあった。彼は当時、出所を控えていたのだが、当然、僕と面識があるわけではなかった。
クロダさんが僕に手紙を送ってきたのには理由があった。同じ罪状で捕まっていた彼の舎弟の元妻が、シャバに出てからの生活に困っていて、たまたま僕が生活保護の申請同行を手伝ったのである。そんな縁もあり、彼女と親交のあったクロダさんは僕に手紙をよこしてきたのだった。
刑務所から手紙をもらったのは初めてだったので、最初は戸惑った。便箋の一枚一枚に検閲済みの証である桜のマークが押されていた。まるで刑事ドラマの世界の話のようで、あまり現実感がなかったのを覚えている。
手紙には、簡潔にこれまでの自分の人生と、罪を犯した理由、そして、暴力団から脱会し生活を再建したいのだが、住む場所どころか出所後に行くあてもないことなどが綴(つづ)られていた。
その後、何度か文通をし、出所後、直接話を聞くことになった。
■期待に応えようとがむしゃらに働いた結果……
「こんにちは、クロダです。無事に昨日シャバに戻ってきました。これからは心機一転やっていきたいと思っています。よろしくお願いいたします」
50代のクロダさんは、大きな体躯でハキハキと丁寧にものを言う。
彼は北関東の生まれで、高校を出てから食品加工の会社に正社員で就職した。
就職した会社は都内にいくつか販売拠点のテナントを持っていて、最初は仕分けなどの裏方の仕事に従事していたものの、持ち前の実直さを発揮して4〜5年のうちには店舗を任される立場になったという。
彼はその期待に応えようとするために、がむしゃらに働いた。いや、働きすぎてしまったのかもしれない。
気がつけば仕事のストレスを酒でまぎらすようになり、毎晩1本だった缶ビールが2本、3本と増えていった。この頃から繁華街で飲み歩くようになり、悪い遊び仲間も増えていった。仕事でもささいなミスを連発するようになってしまい、どんどんうまくいかなくなってしまった。
もともと実直さがウリだったはずなのに、飲酒の影響か不眠の影響か、ついに決定的な失敗をしてしまい、北関東にある本社に呼び戻されることになったのだった。
「いま思えば素直に本社に戻って一から鍛え直してもらえばよかった。でも、変なプライドが邪魔をしたといいますか」
本社へ呼び戻されるのが不服で、25歳で会社を退職したクロダさん。しばらくハローワークなどに通ったものの、そう簡単に次の仕事は見つからなかった。
■「度重なる受刑で精神的にも限界」
そんな時、常連になっていた居酒屋で、隣に座った男性と諍いを起こし、ついにはケンカになってしまった。
この時の相手が、のちにクロダさんの兄貴になるわけだが、クロダさんにとっては、まさしく運命の出会いだった。
「人生が一変しました。あの日、兄貴に打ち負かされたことで、酒に溺れて壊れかけていた心が蘇(よみがえ)ったんです」
クロダさんが正式に盃を交わしたのは27歳の時だ。全国でもトップクラスの大きな暴力団の構成員としての人生がスタートした。組で彼が何をしていたのかは聞かなかった。両手の小指は欠損し、右手に関しては薬指もなくなっている。そして、度重なる受刑歴。何より、服役中に診断された覚せい剤依存という診断がすべてを物語っている。
でも、クロダさんはこうして暴力団を脱会し、刑期を終えてシャバに戻ってきた。脱会を決意したのは年齢もあるし、もう無理ができない身体になっていることも大きい。それに、度重なる受刑で精神的にも限界だったのだと話していた。
■現役の暴力団員は生活保護を使えない
「ええと……ご存じだと思いますが、暴力団の人は生活保護、ダメですよ?」
その翌日、G区のフクシ(福祉事務所)に僕たちは来ていた。
「いや、ですから、説明しているじゃないですか。クロダさんはもうすでに脱会しているんです。元暴力団員であって、いまはもう違いますよ」
「大西さん、そうかもしれませんが、本当に脱会をしたのか、その確認をしないと難しいですよ。いま警察署に確認していますが担当者が不在とかで、今日中には難しいかもしれないという話でした。だいたい、急にうちに来られても困りますよ。ちゃんと書類とかをね、そろえてから来てもらわないと……」
暴力団の人たちは、この国では必ずしも生存権が担保されているとは言えない。テレビなどで生活保護のお金がヤクザに流れているといった報道がワイドショー的に流れることがあるが、基本的に現役の暴力団員は生活保護を利用できないことになっている。もちろん、救急搬送などの場合に一部適用されることはあるが、生活保護を使って日々の生活費を援助してもらえることはない。
これは、暴力団員だから生活保護はダメ、ということではない。暴力団員は違法な方法で収入や資産を得ている疑いがあるため、その状況を逐一チェックすることができず、本当に生活保護の基準以下の生活であるのかどうかを判断できない、というのが却下される理由だ。
暴力団員を辞めるとなった場合、警察に暴力団構成員の名簿があるので、すみやかに脱会届を提出し、正式に抜けないと、必要な支援を受けることはできない。不正受給対策の観点からも暴力団排除の流れからも、各自治体の窓口はかなりナーバスになっているのだ。
■元暴力団員に対するあからさまな嫌悪
「クロダさんは服役の際、きちんと脱会しています。それに、出所してきてまだ1週間ですよ。行くあてもないし、北海道から東京に戻ってきた時点で刑務作業で得たお金も尽きてしまった。住所とお金がなければ仕事には就けません。そんなこと、フクシのみなさんだってご存じのはずです」
G区の相談員のKさんは、一見人のよさそうな中年の女性だ。でも、クロダさんが元暴力団員とわかってからは、あからさまに嫌悪の感情をあらわにしている。
「そうは言いましてもね。この方が嘘(うそ)を言っていて、私たちがだまされたとなったら大変なことですよ。大事な税金がもし仮に暴力団に流れてしまったらと思うと……。とても怖いですわ」
クロダさんがこれまで何度も法を犯してきたのは事実だ。Kさんの気持ちもわからなくはない。ただ、ここまで露骨な言い方をしなくても……。
暴力団員であったこと、過去に罪を犯していることが、その人を差別する大義名分になっているかのようだ。
■役所は「警察からの返事を待ってから」の一点張り
「脱会届の確認が今日中にできないかもしれないことはわかりました。警察にはすでに依頼をしていただいている、だから返事待ちだということも。とはいえ、実際問題クロダさんは所持金も住むところもなく、いますぐに支援が必要な状況にあるんです。その点、G区としてはどのように対応するのですか?」
「だから、私たちとしては警察からの返事を待ってから、としか……」
「Kさん、わかりました。ただ、上司の方と相談してください。ご存じだとは思いますが、生活保護の申請自体は、仮に暴力団員であっても可能です。もちろん、暴力団員だったら申請を受けつけたあとに却下ということになるわけですが。そして現状、警察の返事があるまでは生活保護の決定も却下もできないわけです。それはよくわかります。でも、それとは別に、クロダさんが今晩泊まる場所もお金もないという問題があるんです。これについてG区はどうするのですか?」
「いや……ですから、警察からの連絡待ちで。それまではご自身でなんとかしてもらうしか……」
「そうですか。しつこいようですがKさん、これは大切なことなんです。警察からの返事はいつになるかわかりません。明日の朝かもしれなければ、3日後、場合によっては1週間かかるかもしれません。もし、僕もKさんもクロダさんにだまされていたとして、本当に彼が現役の暴力団員だったら1週間路上で待たせたとしても問題はないでしょう。でも仮にクロダさんがすでに脱会している状態だったとあとから判明したら。KさんとG区の判断は、生活保護が必要な人を1週間も路上で生活させたことになります。その場合の責任をどうとるのか、これはそういう判断なんです」
性善説か性悪説か。答えなんて出ない。でも、はっきり言えるのは、目の前に今日食べる物や寝床もままならない、困っている人がいるということ。
そして、それを支援するのがいまの僕の役割だ。
■“お役所対応”のせいで制度を使えない人がいる
生活を立て直したい人が手を伸ばしている。そして、そのために使える制度が目の前にあるのに使えない。これではなんのためにある制度なのかわからないじゃないか。
隣に座るクロダさんに目をやると、ひざのうえに握った拳がプルプルと震えていた。
「大西さん、すみません。俺は悪いことをいっぱいしてきました。だから、1週間くらい路上で寝泊まりしたってかまわないです。税金で支えてもらえるだけで御の字の身なんですから。本当に、恥ずかしい限りなんですから……」
「クロダさん……。もちろんあなたには前科があります。僕がまだ聞いていないような悪いことも、たくさんしてきたんでしょう。でも、これからは違う人生を歩みたいという決意がある。その決意を手紙で送ってきてくれたんでしたよね。過去は変えられないかもしれませんが、これからの人生をどう歩むかは、いまのクロダさん次第です。僕は生活保護制度のことしかわかりませんが、制度上、申請自体は受けつけないといけません。それに、脱会届を出しているのは事実なわけだから、時間がかかるだけで生活保護の決定もきっと下ります。僕は自分のやるべきことをやっているだけです。だから、クロダさんもいまできることをちゃんとやっていきましょう」
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
クロダさんはやっぱり涙もろい人だ。声は出さずに、大きな背中をまるめて静かに泣いていた。
■無事アパートも決まり、順風満帆のはずが……
結局、その日からの宿泊場所をG区は用意してくれた。3日後には脱会の確認も取れ、生活保護の受給も決定した。クロダさんの当面の宿泊先に関しては、背中の彫り物が立派すぎるために共同浴場などの設備しかない施設は受け入れ拒否が続き、なかなか確保が難しかった。
しかし、それが逆に幸いしたのか、施設にとどめられることなく早い段階でのアパート入居が決まった。契約の際、僕が緊急連絡先を引き受けると言った時も彼は涙ぐんでいた。
その後、クロダさんの紹介で元暴力団員の人の相談にのったり、生活保護の申請同行に行ったりすることも増えた。クロダさんは医療機関につながり、依存症の自助グループなどにも通うようになった。何もかもが順風満帆のように思われた。
そんな矢先に、クロダさんからまた手紙が届いたのだった。
開くとただ一言、「大西さん、ごめんなさい」と書かれていた。差出人の住所は「R警察署」だった。僕は急いでR警察署に向かった。
■初詣でお賽銭を奮発した帰り道、運命が変わる
接見室に入って5分。警察官にうながされ、クロダさんは面をあげた。涙と鼻水が混ざってぐちゃぐちゃになっている。
「わざわざ来てもらってすいません。いろいろお世話になったのに……本当にごめんなさい……」
「クロダさん、いいんですよ。本当に。ただ、何があったのかなって。それにもし差しさわりがなかったらなんですが……。やっぱり、今回も同じ罪状だったりしますか?」
「……はい、すみません」
アパートに移ってからのクロダさんの生活は何もかもが順調だった。本人いわく、「順調すぎた」。アパートに入居してからは、以前のような生活に戻らないように毎週必ず依存症の自助グループに通ったし、医療機関にも定期的に通院した。服薬も守り、自炊もし、お酒の誘惑も断って慎ましく生活していた。クリスマスには駅前の製菓店で小さなケーキを買い、大晦日(みそか)には年越しそばを食べた。徐々にではあるが、念願の普通の生活を手に入れつつあった。
2012年の正月。クロダさんは久々にG区を離れ、都心の大きな神社に初詣に出かけた。一張羅のジャケットに革靴を履き、今年はいい年になるようにとお賽銭(さいせん)も奮発した。
でもその帰り道、彼の運命はまた大きく変わってしまった。
■かつての兄貴と邂逅し、再びその道へ
「お前、クロダか?」
見覚えのある顔。しばらく会っていなかったが、すぐにわかった。少し老けたように見えるが、一度は本気で憧れた男。
それはかつての兄貴だった。
その日は、ほんの立ち話で終わった。兄貴はいま事業を展開しているとかで羽振りもよさそうだった。クロダさんは真新しい名刺だけを受け取り家に帰った。3日が過ぎ、1週間が過ぎた。クロダさんは名刺の番号に電話をかけた。
最初はただ、旧交を温めるつもりだった。実際に兄貴と会っても酒は断ったし、昔話に花を咲かせ、楽しい時間を過ごした。
しかし、その日からクロダさんのなかで決定的に何かが変わった。
「いったい、どうして電話をしたんですか? また、いろいろ誘われたりするのはわかっていたはずなのに……」
「そうですね。その通りです。なんでなんだろう……。なんていうか本当に、アパート生活はうまくいっていたんです。俺も満足していました。いや、これで満足なんだって、思い込んでいたのかもしれません。兄貴と会ったあの日から、なんというか血がうずくようになったんです。一生、役所と病院と自助グループとスーパーを往復するだけの人生でいいのかって……。ハローワークに行っても、前科者で病気持ちの俺を雇ってくれるところなんてないし。俺の人生、このまま終わってもいいのかって……」
クロダさんが、心なしかみるみる小さくなっていくように見えた。
「……さみしかった」
しばらくの沈黙のあと、クロダさんはぽつりと言った。
「そう、さみしかったんです。俺は生きている実感がほしかった。まだまだ俺はやれるって、そう思いたかったんです。本当に、本当にやり直したかった。でもあのままでは、あのアパートにいたままではダメだったんです。最後にひと花咲かせてやろうって……またバカなことを……」
■どうしようもない孤独に耐えられず自ら破滅へ
接見の時間が終了したことを警察官が事務的に告げた。僕はクロダさんに一礼してから部屋を出た。クロダさんの罪状は覚せい剤の所持と使用。彼は罪を全面的に認め、裁判でも争わず、いま再び刑に服すことになった。出所から半年も経っていなかった。
僕自身はその後も、出所者の支援や、受刑中の人の相談、元暴力団員の人の支援を引き受けていたが、クロダさんのことはいまもずっと気がかりに思っている。
「さみしかった、か……」
彼は、どうしようもなく孤独だったのだろう。もちろん、彼が犯した罪は決して許されるものではない。しかし、彼はアパートでの普通の生活よりも、兄貴とのつながりに心を満たされた。
それが社会的に正しい道でないことを、いつかは自分自身を破滅に導く道であることを承知しながらも、兄貴のもとに走ったのだった。
クロダさんからは、いまも定期的に手紙が届く。
そこには、美しい桜の刻印が押されている。
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大西 連(おおにし・れん)
認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長
1987年、東京都生まれ。新宿ごはんプラス共同代表。生活困窮者への相談支援活動に携わりながら、日本国内の貧困問題、生活保護や社会保障制度について、現場からの声を発信、政策提言をしている。ツイッター:@ohnishiren
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(認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長 大西 連)