「残酷な天使のテーゼ」「淋しい熱帯魚」などの作詞家で、エッセイストの及川眠子さんが、5月6日の『北野誠のズバリ』に出演しました。及川さんと北野さんは、4年前やしきたかじんさんの追悼番組で出会って以来とのこと。作詞家としてのこれまでの道のりを北野誠が尋ねます。

エヴァの印税がトルコに?

あの大人気アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督)のオープニング曲「残酷な天使のテーゼ」を手がけた及川さん。
のっけから「その印税はトルコに突っ込んだんですか?」と尋ねる北野。

それに対する及川さんの答えは…。

「そうですね。その後は借金返すのに」

実は及川さん、トルコ人との結婚生活で作詞等で得た3億円を失い、離婚時には7,000万円の借金を背負う羽目になりました。
このことについては『破婚―18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間―』(新潮社刊)というエッセイにまとめられています。

こうした他者から見て破天荒な人生が、この北野誠の番組にマッチしているのが出演理由なのかもしれません。
 

プロの作詞家になるまで

作詞家になることを意識したのは中学の頃。音楽に携わりたいと考えていた及川さんは、ピアノは両手が動かず、ギターではFのコードが押さえられず、ということから作り手を目指したといいます。
そんな作詞手法は、まず真似から入ったとか。

特に音楽的に好きだったのは「女ボブ・ディラン」とも呼ばれた中山ラビさん。他にも山崎ハコさん、森田童子さん、加川良さんらの70年代初頭の情感あふれる作風のアーティストに影響を受けていたそうです。

そして短大を卒業して、さまざまな仕事に就きつつ、夢をかなえるために故郷の和歌山から上京しようと考えます。

周囲からは「『ヤクザの世界』とか『芸能界に入ったら香港に売られる』とか言われる」状況ではあったものの、反対していたお父様が亡くなったという変化もあり上京。
翌年に軽自動車のキャンペーンソングのコンテストで最優秀賞を受賞し、その曲がレコード化されたことで作詞家としてデビューを果たします。
 

自分の売り込み

とは言え、それから仕事が舞い込むわけではありません。
及川さんは業界誌に注目しました。楽曲ランキングに掲載されていたディレクターやプロデューサーに電話をかけて、会ってほしいと売り込んだと言います。

北野「みうらじゅんさんも、自分が書いたイラストをいろんな出版社に持ち込んでるわけよ」
及川「5人にひとりくらいは『じゃあ会いましょう』と言ってくれるわけですよ」

「手段がなかった分、わかりやすかったですけどね。電話すればいいわけですから」と話す及川さん、こうした努力を経て次々と作品を発表していきます。
 

都会派作詞家

及川さんにとって初の大ブレイクは、1988年にWinkに提供した「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」の日本語詞でした。
WinKの詞を書くようになったのは、大地真央さんとの仕事を見た音楽出版社のスタッフから声をかけられたことがきっかけとのこと。

さらに「涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜」の日本語詞を経て、89年にオリジナル曲として「淋しい熱帯魚」を提供。この曲は同年の日本レコード大賞を受賞しました。

「今までは『ユーミンに似てるね』『中島みゆきみたい』と言われてたんです。それが言われなくなります。ただそれだけです(笑)。説明が要らなくなる」

このヒットから「都会派作詞家」と呼ばれるようになった及川さん。

「都会派でもなんでもないのにと思いながら(笑)」
 

ヒットの理由は第六感?

そして及川さんと言えば、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌「残酷な天使のテーゼ」(1995)。
この仕事を請けることになったきっかけは「通りすがり」なのだとか。

当時のマネージャーから、別の仕事で知り合ったキングレコードのプロデューサー大月俊倫さんを紹介された及川さん。
この時、大月さんからの「別の人に決めてたけど、せっかく来てくれたんなら及川さんでいいや」のひと言で決まったんだそう。

なんだかあの大ヒットから考えると適当な話ではありますが、大月さんは第六感が働くことで知られていたそうです。

北野「われわれの業界、たいてい第六感ですから。方程式なんかないもん」

エンタメ界においては第六感の働くワンマンな人が先頭に立つことでヒットするのだそうです。これもある意味方程式と呼べそうです。
 

「残酷な天使」とは誰?

『新世紀エヴァンゲリオン』については、企画書は斜め読み、そして本編は「1話だけ観た」という及川さん。それも詞のイメージのために渡されたビデオだったそうです。
にも関わらず、ここまで作品を決定付ける歌詞はどう書かれたのでしょうか?

たまたま本棚にあった萩尾望都さんの漫画『残酷な神が支配する』を目にして、ここから「残酷」というフレーズから採られ、そこから濁音の使い方や韻を計算していったとか。

「残酷」に続けて「天使」が入ったのは…

及川「お母さんからの視点なんですよね。こどもって、大きくなったら"残酷な天使"じゃないですか?どんどん裏切っていく」
北野「あんなにかわいかった子が反抗期になって、ひとりエッチを覚えた頃からオカンを『ババァ』と言うようになって…」
及川「家に帰ってこなくなり…」
北野「気がつけば女とエッチしてどっか泊まって帰ってきよる」
 

やしきたかじん「東京」

また及川さんは前述のやしきたかじんさんへは39曲も歌詞を提供しています。
ポリスター時代はディレクターが知り合いだったそうです。

及川さんにとって心に残っているたかじんさんとの仕事は、ヒット曲となった「東京」の提供。
たかじんさんにとって4回目の東京進出。この頃コンサートで心機一転、「東京で頑張る」と決意表明したそうです。

北野「どんだけしくじっとんねん(苦笑)」

この進出の際、たかじんファンにはおなじみの「味の素事件」が起こります。
たかじんさんが東京でレギュラーとなった料理コーナーで、調理の際欠かせない調味料・味の素が用意されていないことに激昂し、生放送にも関わらずスタジオを出てしまったのです。

「東京」を提供していた及川さんは事件を知って「あの決意表明はなんだったのか」とあきれたそうです。
 

仕事が元凶?

そして話題はいよいよ『破婚―18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間―』へ。

及川さんは、夫となるトルコ人男性と現地で知り合い、その後9年間の結婚生活を送りますが、生活が大変になるきっかけは、意外にも男性が仕事を始めたこと。つまりは事業欲です。

単なる物欲であれば大した金額ではないんですが、仕事となると「自分は優秀なエンジニアだ」と信じてしまうため、事業に大金を注ぎ込んでしまい、「やめよう」と言っても巻き返せると思っていたようです。

「パチンコ依存症と同じですよ。勝てると思うから」

離婚のきっかけは、この男性がトルコで囲っていた女性の存在が発覚したこと。
ところがこの男性、離婚しても及川さんに「助けてもらえる」と思っていたとか。いかに及川さんからお金を引き出すかに熱心になってしまったようです。

この間に失った金額は、帳簿上で3億円。お小遣い、家族として買ったものは含まれていません。
印税等で稼いだ蓄えが、最後には7千万円の借金まで背負い込むことになりますが…

「離婚するまで面白かったですね。後悔は一切なかったです。なんて面白い経験をさせてもらったんだという」

壮絶な結婚生活をあっけらかんと総括する、ハートの強い及川さんでした。
(ぴゆ太郎)
 

北野誠のズバリ
2019年05月06日13時00分〜抜粋(Radikoタイムフリー)